萱場ロケッツ!【第2劇場】140308
2014年03月08日 インディペンデントシアター1st (100分)
凝りに凝りまくった構造で、しかもある男の妄想世界を辿るような話なので、まあ頭が混乱する。
さっぱり訳が分からない状態になるが、忘れるということを意識させ、そこから目を背けている自分の抱える問題たちと対峙させる、厳しく突き刺さしてくるような感覚を得る。
それでも、どこか楽しく観ることができるのは、数々の不可思議なキャラたちの存在であり、ちょっとしたファンタジー色を持たせながらも、今の社会問題をも鋭く警鐘するような話となっている。
前説の男が、そのまま芝居に巻き込まれる冒頭から、記憶を失っている男に潜む事実を明らかにしていく。
舞台はこれから、引越しをすることなっている部屋。
片付ける中で、一体これは何だったのかみたいな、大事なことなのか、どうでもいいことなのか、思い出すべきことなのか、封印してしまっているのか薄れる記憶をイメージさせている模様。
男は記憶が無い状態で、芝居をしなくてはいけない状態になる。
自分は平野という男らしい。
最初はこの男が戻ってくるまでといった流れに任せた安易な考えだったが、男はどんどんと深入りし始める。
治験コーディネーターがいて、どうやら臨床治験の対象患者になっているらしい。その薬のせいで、こんな記憶が無い状態になっているのではないか。現実と、芝居の世界が交錯し始める。
芝居は話が進行しない。肝心の主人公とも言える平野がこの有様なのだから仕方が無い。自分には無理だなんて言い出してしまっている。
そのため、平野が残したと思われる平野日記という妄想だらけの内容をベースに、男は平野を自分で創り出す決意をする。役作りみたいな感じだろうか。
いつも一緒にいたアキラという男が電車に轢かれて死ぬ。突き落としたのは平野では。
危険手当で多額の報酬を手に入れる。危険な薬の臨床治験で報酬をもらうかのように。
採血をする。たくさん抜かれて意識が混濁する。同時に舞台も暗くなる。
温泉に行く。パートナーは、ダンボールを被った何も語らない人で、恋愛のもつれから決闘にまで至るラブロマンス。
そんなダンボールを被った人たちの緩いミュージカル。
アキラがゴジラとなって現れる。そんなゴジラを人類の未来のために埋めた平野。
ガイザーカウンターが警音を発する。ロケットを壊すために使ったバールに反応しているみたい。
と、こんな訳の分からないエピソードを、第何話といった形で繋いでいく。
意味は分からないが、漠然とした事実が浮き上がる。
この世界は平野の頭の世界。
危険なことを金目当てでやって、遊んで暮らす。
同僚はそれで亡くなってしまった。
自分も同じように体を壊し、精神にも異常をきたす。
その治療のための薬の影響で記憶が飛ぶようになる。
やがて、改善の兆候が見られ始め、自らの経験をベースに心機一転、芝居を創り始めようとする。
この作品自体が、そんなかつての様々な平野の忘れてしまった、無理に忘れた記憶たちと対峙し、自分のこれからの人生に受け入れていくようなものなのだろうか。
最後に照明がついて明るくなった舞台が、自分自身を明確に受け止めてスッキリした平野の頭なのかな。
時とともに自然に忘れていってしまい、本当に思い出せなくなってしまう感覚。思い出したくないから、無理に忘れる感覚。
アルツハイマーのように病気として忘れる感覚や、原発問題に深く関わったがばかりにその恐怖から防御的に忘れる感覚。
薬で強制的に記憶を飛ばしてしまい忘れる感覚、自分とは距離があるために風化して忘れていく感覚。
震災、医療、介護みたいな様々なテーマを絡ませ、色々な忘れるを意識させることで、自分の周囲の問題に逃げ場なく気付かされるような厳しい作品のように感じる。
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