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2014年3月28日 (金)

男の60分 2014【ゲキバカ】140327

2014年03月27日 世界館 (80分)

徳島、淡路島と旅行に行っており、千秋楽に間に合うように大阪に戻る。2日しか公演が無かったので、こんなスケジュールを組むしかなかった。大阪に来られたここを観逃すことは私には絶対に許されない。
・・・つもりだったが、帰り道が大渋滞。
彼女を家まで送ってから、劇場に向かっては絶対に間に合わない。
一緒に観るしかない。
ということで、私は楽しみにしていたからいいとはいえ、疲れた体に鞭打っての観劇に。
普通なら、無理やり連れて来た彼女に気を使いそうだが、ここはその点、安心。
間違いなく、楽しませてくれるはずだから、観終えた後は、逆によかった、楽しかったという言葉が聞けると信じていた。
その通りになりましたというのが、この作品の感想そのままでいいだろう。

母が亡くなった俺が、久しぶりに戻ってきた故郷で少年時代を思い起こすことで、郷愁感を漂わせながら、母への変わらぬ想いにつながっていくまでの時間を共有する。
ほとんどの時間で繰り広げられる少年時代のおバカな遊びっぷりは、個々の弾けた役者さんの悪ガキキャラを笑いながら楽しむ。ダンスパフォーマンスも今まで以上の凄さだ。
そうしている中で、自然とその仲間たちへの大切な想いが、母への感謝の気持ちへと通じていくようになる。
主人公の俺が特別に何かするわけでは無い。
母との強烈な思い出がつづられるわけでもない。
でも、いいお母さんだったんだろうなという、像が浮かび上がって来る。
笑って面白かったのに、何か心の中ではじわ~っと温かいものが残るような作品。

出会いと別れ。
初めて出会うのは母親。そして、それから数多くの人たちと出会って、自分と一緒の時間を刻んでいく。
やがて別れる時。死んだらもちろんだけど、生きていたって、もう会えなくなる人なんて幾らでも人生の中で出てくる。
そんな人たちを思い出す時。色々な想いが駆け巡るのだろうが、最後はありがとうと感謝の気持ちで締めくくりたい。会えなくなっても、一緒に時を過ごした楽しかった思い出と感謝の気持ちは消えることは無い。
人生の原点である母への想いが、歳を経た今でも変わらないことを俺は知り、自分のこれまでの生、そしてこれから続く自分の時間に対する尊き気持ちが沸き上がったように感じる。
そして、そんな俺を通じて、私たちは俺と同じ気持ちを抱えて劇場を後にするような話だ。

母が亡くなり、久しぶりに実家に帰って来た俺。
葬式の費用捻出は何とかしたものの、父が亡くなった時にもしたので2回目ではあるが、喪主の挨拶とかは当然のことながら慣れていないので不安だ。
昔は一緒によくバカな遊びをしたものだが、今では立派な国語教師になっている実家に残る弟がしっかりしているので、少しは心強い様子。
弟は今日、明日にも子供が産まれるという状況なのに、無理をいって、一緒にいてもらっているみたい。もちろん、弟もそんな兄のことをよく知っているので、自分は妻の下へは行けないと覚悟している。
故郷もすっかり変わったみたいだ。昔、よく遊んでいた山や川、野原は今ではもう、あの頃の原型を留めてはいないらしい。
セミの音がうるさく感じるようになったのはいつからだろうか。
セミの音など気にもせず、仲間たちと大いに遊んだ少年の頃を思い出す。

東京から大阪に引っ越してきた。
弟が東京ではあり得ないくらいの大きな野原を発見。
二人は、テンション上がってキャッチボールをして遊ぶ。
そんな中、一緒に遊びたいのか、やたら、設定を重視して野球について口出してくるおかしな少年。名はケーと言うらしい。実はこの少年、その後、セリエAで活躍する誰もが知るあの人である。
ところが、このケー、いざ、仲間に入れたら、まともにキャッチボールも出来ないは、バッティングもめちゃくちゃだはで・・・
そのうち、二人の被っている帽子を見て、急にキレ出す。
そりゃあそうだ。ここは阪神の聖地。巨人にヤクルトの帽子では、ケンカを売っていると捉えられても致し方ない。
ケーは、仲間を連れて来る。
もじゃおという名のとおり、天然パーマでもじゃもじゃの兄貴分的な存在の少年を筆頭に、5人の少年が集まる。
この5人組は、このあたりでは有名な悪ガキたちみたいだ。
もじゃおたちと二人はケンカになるが、ここは子供とはいえ、男のケンカ。
好きなだけ、殴り合った後には、確かな友情で結ばれる。
この日から、もじゃおたちは7人組の仲間として結成される。

子供の発想力を活かした怪獣ごっこ。詳しくは書かないが、約20分の長丁場、そのシーンが連なる。めちゃくちゃに面白い。
ままごとのような家族ごっこ。その遊びはトッタンと呼ばれる少年は嫌いみたい。名前の由来は家がトタンで出来ているから。相当な貧乏なのだろう。父がいないみたいで、自分が他の少年たちと違うことを思い出すので嫌なのだろう。生きるために必死なのか、万引きなんて悪いことも、仕方ないことぐらいに悪びれずに繰り返しているみたいだ。
コチュジャンは怖い話をして、みんなをビビらせる。この山には昔は防空壕があり、たくさんの人が死んで、今でも幽霊が出るんだなんて言って。もじゃおがそれに付け足すようにさらに怖い話をするものだから、みんな叫ぶくらいに怖がって盛り上がったり。ケーなんかはビビりまくっている。不謹慎なことを平気で遊びや笑いにしてしまうのは、子供だからこそか。変に意識してしまう大人よりも、子供は純粋だからこそ、何の悪気も無いのだろうが。名前の由来は家が焼肉屋だから。そして、この少年は在日である。周囲からは異色の目でやはり見られていたみたいだ。子供たちにはそんなことは関係ない。でも、そんなことを気にする親もいる。俺と弟の母親は一番の友達になりなさいなんて言っていたらしい。何も分からず、そうすると返事をした二人に母は嬉しそうにしていたのだとか。
泳ぎが得意の少年は河童と呼ばれる。荒れた川で泳ぎを披露して、流されてしまい足に大怪我をする。大事件だったらしく、河童の母親は、二度とあの子たちと遊ぶなと言って、河童をみんなから遠ざけるようになる。だから、あんなに一緒に遊んでいたのに、いつの間にか女の子と一緒に遊ぶような子になってしまった。もじゃおはリーダーとして、そんな河童を強硬策で母親の管理から救い出し、みんなとまた遊ぶように仕向ける。もじゃおの父親は工務店を経営しており、仲間を大切にする男気を知っていたのだろう。ただ、そんな河童は、将来は女の子と遊んだ頃の経験を重んじた姿と変わってしまうのだが。
ケーはひょんなことからサッカーを知る。元々、興味があったのか結構、詳しかったみたいだが。ボールとお喋りが出来るくらいに通じ合う。キャッチボール一つにしても、実践を意識して、やたら試合の設定をイメージしながら遊ぼうとしていた少年だ。卓越した身体能力に、さらに理論的な考えを実践に結びつける能力が強く問われるスポーツなので、彼が活躍できるスポーツとしては最適だったのかもしれない。

そんなバカなことばかりしていた少年たち。
今は不幸でも奇跡を起こして幸せになってやる、誰もが楽しく過ごせる平和な世の中を創りたい、どこ生まれだとかなんていう差別なんて関係ない音楽の世界で世界を変えてやる、得意の泳ぎで活躍する、世界を駆け巡る最高のサッカー選手になる・・・
みんな夢を持っていた。
俺と弟もそんな仲間たちと共に、まだ見ぬ未来に向けてひたすら走っていた。
そして、その傍にはいつも母がいた。

母が亡くなった今、あの頃からずいぶんと時が経った。
みんなは各々の道の現実にいる。理想からは遠く離れた者もいるし、あの頃の理想をそのまま追いかける者もいる。
故郷の姿も変わったし、みんなもすっかり変わってしまった。変わらないものなど何も無いぐらいだ。
あの怪獣ごっこでは、バカみたいに怪獣をやっていた弟も、今では国語教師である上に、もうすぐお父さんになるのだから。
俺も色々と変わってしまったのだろう。セミの声がうるさく聞こえる。
でも、今でも何一つ変わらないものがある。
それは、あの頃も抱いていた母への想い。
少年の頃を思い出し、変わった故郷やみんなの姿を頭に思い浮かべながらも、今でも仲間たちに抱く大切な想いは何一つ消えていないことから、そんなことがより強く感じられたみたいである。
久しぶりに帰った実家で、そんな大切な人への想いを見詰め直した俺は、心の底から素直に母への感謝の言葉が口から出て、母への想いを胸に抱く。

めちゃくちゃに楽しかった子供の頃。思い出されるのはそんなことばかり。
でも、本当はつらく悲しい時もあったはず。
それは、母をはじめ、家族や友達、周囲の人たちの愛で薄くしてくれていたのかな。だから記憶が薄いのかも。
温かい人の優しさに包み込まれたいたからなのかもしれない。
そんなことを、大人になって初めて知る。そして、本当に大人になり、親になる。
俺と弟のこれから進む道には、常に母の想いが礎になっているようだ。
踏み出す一歩に、誇りを感じられるような温もりを得る作品だった。

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