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2014年2月15日 (土)

新説・とりかへばや物語【カムヰヤッセン】140214

2014年02月14日 ウィングフィールド (115分)

重層化した現実と虚構の世界を交錯させて、一つのテーマを綺麗に浮き上がらせます。
まあ、プロだから当然とはいえ、うまく創るものだよなあとまず感心が先にくる。
創作という過程を見せ、さらには出来上がった物語の中に入り込むという手法を見せて、作品の中に惹き込む技が見事で感動ものでした。

<以下、ネタバレがありますが、この後、大阪公演が日曜日まで、福岡公演もさらに続くので、白字にはしていません。ご注意願います>

春日亭一門の鶯二は真打ちになって数年。
まだまだ、その芸に対してうるさいことをいう連中は多いが、師匠はそんなことは全く気にしない。ちょっと、生意気で無礼なところがあるが、新しい時代を築き上げてくれると信じてくれているみたいだ。
そんな心の広い師匠だが、たった一つだけ、鶯二の考えを頑として聞き入れないことがある。
弟子のことだ。
鶯二は真打ちなので、弟子をとるのは何も問題ない。でも、その弟子が女だというのだ。
高座に女が上がる。鶯二の新しい芸風は認めても、これだけは認められないらしい。
と言って、弟子入りを辞めさせようとはしていない。ここは、真打ちの鶯二の考えを尊重する。ただし、この件に関して自分は一切の関わりを持たないという姿勢を貫く。
鶯二は、とにかく会うだけでも会って、話をして欲しいと懇願するが、鼻から頑固なのだろう、一切、受け入れる様子は無い。

そんな中、鶯二は創作落語を考え始める。
それは、自らの男女の子供を入れ替えたというとりかへばや物語を基にした作品。
元々、話をする、喋るということは女性の方が優れていたのではないのか。それがいつの間にか、入れ替わってしまったのではないのか。そんな独自の発想から生まれた話である。
普段からお世話になっている古本屋に、とりかへばや物語を取り寄せさせ、二人で作品を完成させるべく、試行錯誤しながら創り上げていく。
前半の60分は、そんな物語の創作過程をユーモアを所々に散りばめながら、メタフィクションの形で面白おかしく描いている。

八之助には、双子の子供がいる。
兼義はおとなしく、外観が女っぽい。男なのにペラペラとよく喋り、お話が上手い。
ミヤは、明るく快活な、男勝りの女の子。女なのに算術に優れている。
世が世なので、これでは二人の優れているところを活かせない。八之助は二人に入れ替わって生きてみることを薦める。
こうして、兼義は女の世界の落語へ。噺家の女師匠のところに弟子入りをする。女らしさを身につけるための先生として女郎も当てがわれる。この時代、噺は女の世界。こうなると、贔屓の客として旦那さんが付き、そっちが生業になったりするのも自然の流れであったようだ。そして、貫録ある席亭の下、兼義は高座に上がるようになって、人気も出て活躍し始める。
ここでよく分からないところがあり、兼義は男であることが初めからバレています。何でバレテいても社会は認めたのか。客も含めてみんな分かっているが、女装姿ということで暗黙の了解となる。噺は女の世界という風潮でも、芸を見るのに男も女も関係なんていう考えが根本にはあったのだろうか。
一方、ミヤは男の世界の学問所に。
同期の男たちに負けない優秀な成績を残して、立派に活躍する。

二人の入れ替えは大成功かのように思われた。
でも、噺の世界の女が風紀を乱すため、役所から女の噺家を禁止する法令が発布される。
ちょうど、兼義は女作法を学ぶために当てがわれていた女郎と深い仲になり、自分の男の性を隠せなくなっており、これを機会に男として噺家への道を進む決心をする。
ミヤは、同級生の男に、正体を見破られてしまい、普段から優しく接してくれていたその男との子を宿してしまい、女性に戻ることになる。
かくして、二人は、己の性との葛藤に苦しみ、元々の八之助の提案が誤っていたかのように、元の姿へと戻っていく。
 

こんな話が出来上がる。
後半の60分は、鶯二が、自らの創作した作品の登場人物の行動をたどりながら、その心情に対峙していく。
自分で創作したはずなのだから、登場人物の行動も気持ちも全て、作者の手の中だと思うのだが、そういったものではないみたいだ。物語の登場人物というものは、いつの間にかその物語の中で生命を宿すかのように、自分の手から離れて動き出してしまうものなのだろうか。
個々にインタビューするかのように、その時の気持ちや、鶯二自身でも理解できない行動を理解しようとしていく。
噺は元来、女のものだったという仮説。その仮説を基に、様々な試行錯誤を経て、形となる物語。何だか、数々の実験を経て得られた結果みたいだ。
となると、後半、していることは、その結果の検証だろうか。科学の世界では、そんな流れで進めることが多い。結果だけ見て、その仮説が証明されたとか、一つの謎を解き明かしたなんてことは、しても世間からすぐに否定される。その検証を経て、得られた結果が仮説を支持するものなのかが判断されるものだ。
この作品では、作者の鶯二自身がそんな検証に携わっているが、これは本来、同時に客がすることなのかもしれない。もちろん、客は観ることしか出来ないから、この作品みたいに、質疑応答を経て物語を理解することは不可能であるが。
何か文学の世界が科学的に見えて、とても興味深いところであった。。
観ていて、どうも第三者的に創られる物語を見守っていた前半と、妙に一緒に物語に入り込むかのように、何だったらちょっとそこは私も聞きたいところだと発言したくなってしまうような後半の観方の切り替えはこんなとところにあるのかもしれない。

色々な場面を遡りながら、最後は八之助が二人を入れ替える決心を兼義とミヤに伝える最初のところまで戻って、八之助の気持ちを聞き出す。
生を受けた時に授かる性。それとはまた別の生き方。持って生まれた才能、役割を全うすることで得られる幸せを我が子に与えたかったようなことを伝えている。
そして、完結した物語のその後も描かれる。
一つの結果が、どのように私たちの社会を変革したのかを見せようとしているのか。
もはや女装姿でない男の兼義が高座に上がるのを拒絶する女師匠。降りかかってきた不条理な条例により、これまでの努力により発展してきた噺の世界をつぶされた女師匠。全てを失い、自暴自棄な生活の中で、こんな思いをするのは私で最後とばかりに、社会がどうなろうと二度と女を高座に上げないという意地や執念が交錯する芸人の姿を見せる。その覚悟は、現実世界の鶯二の師匠の姿を通して、女師匠の真摯たる噺への想いを語らせている。女ということで拒絶された噺の世界。それならば、もう二度とあの頃のように女の話を聞くことは出来なくして、社会は大切な文化を放棄すればいい。少し、破壊的な印象を受けるのだが、それだけに真摯な想いの大きさも伝わる。
一方、ミヤは母親となる。学問所の同期の男は、けじめをつけて父となり、家庭を作り上げたみたいである。そして、その子は梅子と名付けられる。苗字は津田。その後、女性が学問をすることへの基盤を築いた人だと認識している。
こちらは発展的かな。相当な苦労の中で、得られる新しき社会の姿が浮かび上がる。
女であることにより、その才能を活かす機会を失った、もしくは得ることが出来なかった女師匠とミヤ。虐げられた後の二人の姿は相対的に見えるが、時代というものは、そんな破壊と建設的な考えを混同しながら変わっていくものなのかなあ。
冒頭に出てくる、二周りすれば物事は変わるといった言葉。今では、多少の制限はまだあるとはいえ、噺も学問も女は出来る。長き時を経て、どんな形だろうと性に囚われない、自らの力を社会に貢献させて幸せに生きることが出来る世を創りたいと願った人たちの想いの成果なのだろう。
そして、鶯二は物語を創るということを通じて、最後に師匠の女弟子の完全否定の考えを少し緩めたかのようである。それは同時に、時代の犠牲になった女師匠をはじめ、数々の才能を活かせなかった女性たちの無念を癒し、これからの新しき時代への期待を感じさせるものである。

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