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2014年2月 9日 (日)

のにさくはな【桃園会】140208

2014年02月08日 アイホール (120分)

いつもながら、話が多層化していて、かつ相関も複雑なので、難しい印象は受けるが、結局は今、生きている人たちの尊さ、誇りを願う話なのではないだろうか。
降りかかる日常生活を脅かす様々な災厄を受け止めながらも、野に咲く花のように強く生きる私たち、そうあって欲しいと祈りを込めているような気がする。
強くたくましさを秘めた人たちの尊き素晴らしさを生きるための大きな駆動力として捉えて、映し出しているように感じる。

あらすじはあるような無いような。
秘められたテーマは難解極まりないと思うけど、話自体は難しいというわけではない。
秋祭りが近付いたあるマンションの6部屋の人たちの各々、そしてその相関を描きながら、このマンションに迫っている何か不穏なものを感じさせながら話は進行していく。
当日チラシで、相関図が渡されるので、だいたいのことは分かるようになっている。
マンションがマンションそのものなのか、誰かの夢の世界なのか、はたまた日本、大きくは今の世界の象徴のように捉えられるようになっているのか、どうとでも観れて好きなように想像力を膨らませて感じてみなさいと言ってくる。私のような者にとっては、それで頭がパンクしてしまうくらいの世界観となっているのは、いつものごとくで、もう慣れてきた。あえて、そこに挑もうという気は起らない。ボロボロになるのが分かっているから。

日常の中に突然降りかかる悲劇。
これを明確にしないから難しんだろうな。そして、そこがこの作品の面白味でもあるのかもしれない。
祭りの太鼓の音は砲撃の音にも聞こえ、戦争を意識させるし、救助ヘリの音からは自然災害を思い起こさせる。
そんな大きな災厄だけでなく、日常にはびこる日々の生活を脅かす災厄も同時に描かれる。
何やらずっと悪いことをしてきた強盗団もウロウロしている。分かりやすい善悪でしょとばかりに、以前の舞台でも拝見したような善・悪の仮面を被ったものたちがゲームのように対立構成を見せている。
ドロドロした恋愛要素。偽りの愛を見せる不倫。本当に愛し合えていない、疑念と狡猾が絡み合う夫婦。そんな両親の下で育ったからか、世間的には立派な父親の歪んだ愛情に対する反発なのか、歪んだ兄弟愛の基で、引き起こされる女性への暴行。その家に居候として住みついた人生行き詰った男は、ストーカーまがいの自分に都合のいい考えで女性との妄想の恋愛を現実のものとする。
世間のしがらみからは目を背け、自分の殻に閉じこもって、ひきこもりに近い生活の中で、何か勝手に降りかかってくる変革の時を待っているかのような女。それは災いたるものでもいいかのように、破滅的な考えに映る。
そんな世間の不穏とは無関係のようにお気楽に自分たちのことだけを考える知的さに欠ける無関心な夫婦。
姿は見せないが、恐らくは祖母の介護問題で兄弟にもつれが生じているような感覚を得る家族。長女と次男の仲睦まじき姿も見せかけのような脆さを感じる。そして、長男はこの家族の問題を理解しながらも、無意識な状態でも日々は流れるので、そのままにしてしまっている感じ。劇中では準備をしてないといった言葉で警鐘されている。災厄はいつでも訪れる。分かっちゃいるけど、その時にならないと現実化しない。そして、その時には悲しみすら感情として湧いてこず、茫然とするだけである。だから、その不穏なこと自体よりも、不穏な空気に脅えているかのようである。
親子関係のもつれだろうか。よく分からないが母親と三人姉妹の家族。このうち、次女と三女が上記した性的な犯罪に巻き込まれる。次女に至っては、介護問題を抱えているような家族のしっかりしない長男と恋愛関係にあったりする。この母親はいつも3人の立・見・聞の仮面を被った役者さんが演じられる。世間から距離を置くようになった、精神的な分裂、病んでいる母親の印象を受けたが。そして、長女はそんな母親の代わりに妹たちを守るのに追いつめられた日常を過ごしているような感じがする。

こんな日常に降りかかる災厄の中で、生きているマンションの住人。
それを風刺するかのように、秋祭りのために呼び出した劇団のシェイクスピアのタイタス・アンドロニカスが劇中劇として演じられている。このマンションの中での現実を虚構の世界で描く皮肉みたいな感じだろうか。演じられる劇の中でのイチゴミルク味のする偽の血は、現実では死の結果として好きなだけ撒き散らされている。
偽りでない現実として、日常は流れ、何も虚構じゃないという事実。これこそ、悲劇として有名なシェイクスピアの最高傑作が生み出されているかのようである。。
そして、何たら害虫処理サービスを営む変な姉弟は、このマンションがどういう状態になろうと、いつものごとく、引っ越しした後の家の清掃・駆除サービスを実施する。それをすれば、そこで起った出来事など全部消えてしまうかのように。さらには、大きな災厄により、世間が乱れていることを映し出す、文字どおり映像が乱れるテレビにおいても、自分たちの宣伝CMを滞りなく粛々と世間に流す。
マンションの住人じゃない、事の本人で無い世間の象徴みたいなもの、もしくは現実を虚構かのようにかいつまんだ情報としてだけ流すマスコミみたいなものなのかな。

ずいぶんとこのマンションはひどいところだ。
悲劇を率先して引き込むかのようだ。でも、そんなわざわざ自分たちの日常を脅かすものを受け入れたがる人などいない。全て、不条理に降りかかっているのだろう。
自分はこんなマンションに住んでなくてよかったあ。
・・・だろうか。でも、こういうところで、あなた生きてるんじゃないですか、あなたの住んでるところにも不穏な空気の臭いはしてるはずですよ、そして、そこから出ていくことも出来ないはずですと言われているような感覚が気味悪く拒絶感を生み出すのだと思う。
でも、ここで、そんなの嫌だと目を背けさせないところが、これまで、この劇団を観てきて、難解さに悩まされながらも気付き始めたところだろうか。
こんな世界だ。でも、その中で生きていく人たちへの尊き想いは絶対に消えない。そんな真摯たる祈りがやはり最後には込められているように思うのも事実である。
作品名ののにさくはながそれを物語っているように感じる。
私たちが生きている場所は、全てが満たされたご立派な素敵な場所では無い。どこにでもある、ともすれば汚い物や自分たちを悩ます様々な災厄が吹きさらしで入り込んでくる野なのだろう。でも、私たちはそこで腐って生きているわけではない。場所が野でも、素敵な花として生きている。そんな誇りとそうでありたいという祈りを感じさせる話のように思う。

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