こりす池のともぞう【コトリ会議】140207
2014年02月07日 芸術創造館 (140分)
始まって40分ぐらいは訳が分からず、ほとんど意識を飛ばしている。
休憩を挟むとはいえ、140分の大作。これはつらい観劇になりそうだと前半は心の中でうなだれる。
ただ、そこから、こんなにのめり込むくらいに面白い作品として観れるようになるとは思いもしなかった。
今から思えば、意識を飛ばした40分をしっかり観ていれば、また作品の捉え方が違ったのだろうなと感じる。
まあ、仕方ない。正直、寝てしまった事実はどうあがいても取り消すことは出来ない。
それが運命だ。
といった、小さな村のある出来事を描きながらも、宇宙の壮大な世界の中での、人間を含めたありとあらゆる生ある者たちの運命の姿を映し出しているような話のように感じる。
この劇団らしい、独特の言葉の掛け合い。
これを、今回は群像劇スタイルで見せることで、何やら壮大なテーマを扱っているような印象を持たせながら、いつものクスリと笑える小さな面白味も健在という、魅力的な作品と仕上がっているように思う。
<以下、若干ネタバレしていますが、何を書いているかほとんど分からないと思いますので、白字にはしていません。ご注意願います。公演は日曜日まで>
こりす村。山奥にある湖よりちょっと小さいくらいのこりす池を囲んで村人たちが暮らす。
ともぞう。いつも、天体望遠鏡で星を観察。周囲の目は全く気にならない変り者みたいだ。
そんな、ちょっと村人からは馬鹿にされているかのようなともぞうを温かく見守る病弱な妻。文句を言うわけでもなく、いつも縁側でともぞうの帰りを待つ。冷え込みの厳しい冬の夜でも。
病気がひどくなったらどうするんだ。自分よりも、実は頑固なところがあるような妻を、いつも叱りながらも、心配して、不器用な愛情を注ぐともぞう。
ただ、病弱な妻の面倒を見てくれて、二人を影で支えてくれるなかなか頭の切れるお手伝いさんがいるから、こんな生活も出来るところもあるみたい。
もちろん、ともぞうも妻も、そんなお手伝いさんには大きな感謝の気持ちを抱いている。
世間では日食が起こり、世の中に災いをもたらすと、怪しげな坊さんを教祖とするおさとう組とやらが村人たちを騒がしている。
ともぞうを仲間にしたいみたいだが、無愛想で偏屈なともぞうは全く相手にしない。
その側近の女性はケシの実を使って、村人たちを操る。そして、何もしていない村人たちを傷つけている。そんな姿に一番下っ端は疑問を感じているが、上には逆らえない。
ついには、ともぞうの妻をこりす池に突き落とし殺害した上、さらには頭の悪い村人にその罪をなすりつける。
教祖は役所とも通じているので、犯人に仕立てられた村人は不幸にも死罪を言い渡される。
何とか弟を救い出したいと、犯人にされた村人の兄は、精力的に動き回るものの、学が無いからどうしていいのか分からず苦悩する。
悲しみにくれるともぞうの下には、こりす池で日々、釣りをしているという謎の釣り人がやって来る。
ここで一幕が終了。
5分の休憩に入る。
上記したように、前半の記憶が飛んでしまっており、後半でだいたいの背景は理解したものの、いまひとつ、各登場人物の行動理由が分からないままの状態になっている。
二幕は奇想天外な話の展開に。
と言っても、この作品、マラカスピッピとかいうおかしなコトリによる語りで話が展開しており、その語りの言葉からキーワードに未来という言葉が浮かぶようになっているので、だいたいは想像していたことが明らかになっていく。
怪しげな坊さんは未来からやって来ている。釣り人は、そんな坊さんを追うタイムパトロールだ。
おさとう組の下っ端は、役人の隠密である。
話は、ともぞうの妻殺害事件の犯人探しと同時に、日食を利用して、人々を惑わす坊さんの謀略を阻止しようとするおさとう組vsタイムパトロール率いる隠密、ともぞう、村人たちという構図を交錯させながら、まとめていっているみたいだ。
ともぞうの妻殺害の犯人が明らかになり、そして、はるか未来から来た坊さんの真相は・・・
と書いたものの、肝心のその真相はよく分からない。
どうも、本当の悪人はいない。全ては、宇宙の法則という変えようの無い運命みたいな流れに身も心も捧げる人間たちの姿の行き着いた先といったような感覚で、誰に悪意があったから、こうなったという描き方はしていないように感じる。
未来では、人が死んでもすぐ生き返る世の中になっているらしい。
ともぞうは、そんな秘薬を手に入れるが、妻にその薬を使うことは無かった。
このあたりが、ずっと星空を眺め、宇宙というあまりにも大きな存在の中での自分たちを心に深く刻み込んでいたからのように思う。
そんな大き過ぎる世界の中にずっと身を置いていたともぞうにとって、人の生死はちっぽけであると同時に、永遠で尊く、大きさで表せるようなものではない超越したものだという考えに至っていたかのようである。
時は江戸時代という設定だが、はるか未来のお話みたいにも感じさせられる。
未来だけど昔話という不思議な感覚。
視点が未来からやって来ているマラカスピッピによる語りで話が展開しているからだろうか。
舞台上には、食玩のようなミニチュア動物モデルが置かれており、これにいつもスポットライトが当たっている。
そんな動物たちもいつしか死んでしまい、銀河の一つの星となり、星座を創り出す。そんな、はるか未来では、その星座の形すら崩れ去り、もう記憶としてしか残っていない。
死んだ者たちの形を甦らせても、永遠の時ではそんな形も崩れ去るものであり、残るのはその想いだけといった感じだ。
それでも、はるか未来でも、この世界に存在していたあらゆる命は人々の意識として宿り続ける。
そんな壮大な命への想いが、生死の別れとなったともぞうと妻の、永遠の愛として最後に浮き上がらせているような感覚を得る。
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