あの町から遠く離れて【A級MissingLink】131108
2013年11月08日 カフェ+ギャラリー can tutku
冒頭のシーンは、今回と同じく本公演に向けた試演目的の公演であった限定解除、今は何も語れないを思い起こすような感じでした。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/amissinglink110.html)
これが本公演になって、被災者が語りだすような感覚を得る作品になっているように感じたのですが、その時はまだその答えがどこにあるのか混沌としているような感じでした。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/2011-ff76.html)
今回は、あれからさらに時が経ち、答えが出るとまでは言いませんが、各々があのことを事実として受け止めて、また人生の歩みを進み始めているようなことを感じさせます。
もちろん、そこには、未だ残る被災者の悲しみや、被災者と非被災者の距離があるとは思うのですが、あの頃はどう行き着くかも分からなかったことが、確かにこういう形で収まろうとしている。そのことから、それをどうしていけばいいのかを考えようとすることが出来る段階に至ったような印象を受けます。
<以下、あらすじを書いているのでネタバレします。本公演が前提の試演なので、白字にはしませんのでご注意ください>
秀人の出身地である瀬戸内の離島から大阪に戻るフェリー。
妻の有紀も一緒。
一緒に乗っている親戚の英二から、半ば、無理やり渡された本をいやいや読んでいる。
ゴドーを待ちながら。難しくて、なかなか先へは進まないみたいだが。
二人とも喪服。秀人の父親の葬式帰りのようだ。
大阪に戻ってからは、有紀は子供と一緒に実家の山口に戻るみたいだ。一方、秀人は東に向かわないといけない。まだ、震災の傷跡が残る東日本へ。
恐らくは何度も、何度も話し合いをしたことだろう。一緒に山口で暮らせないのかと。
答えは、仕事があるという理由でノーだったのだろう。
二人が出した結論は離婚。
大阪にフェリーが着いたら、有紀は秀人から手渡された離婚届にサインをしてあるので、それを渡すつもりだ。
大阪まではそこそこの時間がある。
英二はすっかり着替えてリラックスし、この時間を利用して、自作の映画のプロットを考えるつもりだ。
南太平洋から謎の怪物が大阪を襲う。ゴドージラ。少々、変わった人みたいだ。
秀人と有紀も着替えに向かう。
なんか、移動動物園の微妙に賢い犬と、その看板娘も乗り込んでいるみたい。
のどかな船旅といったところか。
そんな中、突然、大きな衝撃が。
舞台はいつの間にか戦時中の船の中に変わる。
秀人は特撮映画に使われる飛行機やら建物やらを作る活動屋となっている。もちろん、戦時中なので、軍人として戦地に赴き、どうやら手を負傷したらしく、日本へ戻る船の中という状況みたいだ。
そんな彼を救ってくれたのが、軍医である秀人の祖父の兄。
二人は船旅中、船底に滞在しているが、今は船上デッキに上がってきて、会話をしながら休息している。
軍医は船底に戻ろうとする。それを何故か、嫌な予感がすると活動屋の男は止めて一緒にまだここにいようと言う。
秀人の祖父は離島のお医者さん。
祖父が跡を継いだ。つまり、祖父の兄は跡を継がなかった。いや、継げなかった。なぜなら、この船は、敵艦の攻撃を受けたのか、沈没して多くの犠牲者を出した。その犠牲者の一人が、祖父の兄だったわけだ。
秀人は眠りから覚める。
夢。船が沈没する夢だった。
妻は不吉なことを言わないでと、嫌な顔をする。
現実の、二人が乗っていたフェリーも、何かにぶつかったらしく、沈没の心配はないものの、運航停止状態になっている。
秀人は、船への衝撃でガラス片が、子供に降りかかるのを身を呈してかばったらしく、手を負傷している。
ちょっと有紀が、惚れ直したのではないかといったぐらいの勢いで、少し嬉しそうな秀人。有紀はさほどでもないみたいだが。
時間が経過しても、事態は改善しない。
海上保安庁の救助やら、何か不安を煽られるような状況。
どうもエンジン停止状態なので、潮に流されているみたいだし。
船内はややパニックになっているみたいだ。
落ち着こう。そう言う英二が一番、落ち着きを無くしているのだが、水を買い占めるという機転を効かしたりもしている。
大丈夫だと言い張る秀人。
そんな秀人に有紀は人を信じることが出来るから、そう思えるんだと言う。
でも、あの時みたいに何か隠されているのでは。自分は自分の身を守ることしか考えられないと。
犬も子供の不安を解消しようと頑張りすぎたのか、少し壊れた感じになっている。
このままでは、最後に真面目になって死んでしまうのだとか。
爆撃された日本へ帰還する船。
活動屋の男は数少ない生存者だったみたいだ。
秀人の祖父と帰国後に会っている。
祖父の兄である軍医のおかげで、戦地から生き残ることが出来た。
でも、共に生きて帰ってくることは出来なかった。
あの時、何か不吉な前兆を感じ、軍医を引きとめたが、もっと執拗に引き止めるべきだった。
悔いを残す活動屋の男に祖父は、これも運命であり、自分が離島の医師として跡を継ぐことになったのも、また、そんな運命の導きなのだろうと励ます。
大変だ。大阪が燃えている。
ゴドージラが遂に南太平洋から大阪に上陸したらしい。
淀屋橋、北浜やら、中心地をどんどん壊している模様。
英二の作品はどうやらそういったものらしい。
舞台となる壊される大阪の数々の建物。
活動屋の男は、そんな大阪の数々の風景をスケッチしている。
秀人と有紀を乗せた船は、どうやら大阪に到着したらしい。
結局、順番に救助されていっているみたいだ。
もうすぐ、二人も救命衣を着て、無事に上陸することだろう。
英二は早くと二人をせかしている。
二人は、特に秀人は微妙な気持ちだ。
大阪に到着するということが、二人の別れにつながるから。
最後の有紀からの秀人への質問。もう、何回も繰り返された質問だ。答えは同じ。
これも、また二人の運命だったのか。
ラストはその一年後。
一周忌に向かう大阪からのフェリーの中。
英二と秀人が乗っている。やはり、離婚は避けられなかったみたいだ。でも、そこに、観光がてらお墓参りをするつもりの有紀がいる。
ゴドーを待ちながらは、まだ読み切っていない。でも、後少し。離島到着の頃には読み終えることだろう。
そして、例年、この時期に離島に行くことになっているらしい、移動動物園の人たち。
昨年のフェリー事故で、乗客に癒しを与えた美人調教師のいる移動動物園とずいぶん話題になって、えらく儲けたと思われているが、実際は飼育していた動物の一部がワシントン条約に引っかかってえらい目にあったのだとか。
時が経って、各々が自分たちなりに進み始めていることを思わせるシーンで締められる。
と、時系列はおかしくなっているかもしれないが、こんなお話。
話は今のフェリー、昔の帰還船に起こった出来事を交錯させて進めているようです。
今のフェリーの話の焦点は、数年前、まさにあの時、あの瞬間を描いているのでしょうか。誰が、こんなのどかな船に、こんな出来事が起こると思っていたのでしょうか。人々はパニックになり、あらゆることに疑いを向けて、自分の身を守ることを優先する者もいれば、人を信じて善意的に事を考える者もいる。
移動動物園はボランティアみたいなイメージでしょうか。そのボランティアですら、犬のようにもう精神的にいっぱいいっぱいになってしまっている。
ただ、数年前の作品ならば、船は港に着かなかったのかもしれません。船が沈没していたかもしれませんし、多くの犠牲者が出た事故として描かれていたかもしれません。この作品では、一人の犠牲者を出すこともなく、無事に帰還します。これが、あれから時間が経ち、数々の問題は残るものの、希望を描いてもいいような心情を得始めているような気がします。
そして、昔の帰還船の話は、昔ではなく、現実の今に焦点が当たっているように思います。多くの犠牲者を一瞬で出した。時が経ち、あの時のことを振り返ることが出来る。そして、その時の生存者は、それから今を生き始めている。もちろん、そこで失われた尊い命があったという事実も踏まえて。
昔の帰還船の事故から時を経た今が、今のフェリーの事故において、絶望では無く、希望を持たせるような感覚を得ます。
古くは戦時中の帰還船の事故。昨年のフェリーの事故。
時が経ち、その乗客たちは何らかのつながりを見せながら、各々の人生を歩み始めているというラスト。
その時の経過に長短はあるが。
いつやって来るのか分からない、それこそゴドーのようなゴドージラ。
そんなゴドージラのことを描く作品も世に出るようになってきた。帰還船で事故に合った生存者は、そんなゴドージラの恐ろしさを大阪を舞台に描く作品に力を貸すことで何かを語ろうとしている。
そんな中でも、あの出来事が引き起こした別れや大切な人を失った事実は消えない。
それは、戦時中の帰還船の事故のように。
でも、昨年のフェリーの事故では、みんな助かった。戦時中の事故が招いた悲劇が、時を経て、そんな希望に変わったかのように感じる。それは、そんな悲劇の中から、繋がりを持つ人たちが生まれ、互いに生を全うしようとしてきたことも事実だからのように思う。
あの出来事が招いた一瞬の悲劇から、その後も連鎖的に続く様々な悲劇を経て、人々はまた歩みを進めようとしている。
ゴドージラはやって来る。そんな認識を持てるようになったのも、そんな時間の経過が生み出したように感じる。
フェリーと帰還船という時間軸を変えた話の交錯は、震災に対する昔と今とを同調しているような感じで何となく理解できるのだが、もう一つ入り込む、自作映画の大阪襲撃のゴドージラの話が、何かまだ独立しているような感じで、このあたりがうまく融合して捉えられるような話だと、もう少し頭がすっきりするような気もするが。
どうにせよ、悲劇から時が経ったということ、それが今、希望へと変換できる可能性を秘めていること、そして、こうした演劇作品という虚構の世界で、希望を感じさせられるラストを創り上げられるようになったことが感じられる。
3.11を描くのではなく、3.11から今を描くことで、これからを考えてみようという段階にようやくなったのだろうか。
そう思うと、こういった作品は、実はこれから、色々な表現形で世に伝えていかないといけないのかもしれない。
| 固定リンク
「演劇」カテゴリの記事
- 【決定】2016年 観劇作品ベスト10 その3(2016.12.31)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その2(2016.12.30)
- 2016年度 観劇作品ベスト10 その1(2016.12.30)
- メビウス【劇団ショウダウン】161209(2016.12.09)
- イヤホンマン【ピンク地底人】161130(2016.12.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント