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2013年10月13日 (日)

高間響国際舞台芸術祭 Cブロック 131013

2013年10月13日 アトリエ劇研

笑の内閣、上皇の高間響さんが、今、ちょうど同じく京都で行われている京都国際舞台芸術祭に対抗、と同時に協同して盛り上げようと企画された芸術祭のようです。
参加するのは全部で7団体。
基本的に1ブロックが3団体の公演と、ディベート企画やトークショーで構成されています。
ディベート企画やトークショーには、、これまた結構、有名な方々がゲストに招かれており、詳しくはHPを参照いただければいいですが、トークショーなどは、マジかよと驚く人も登場されます(まあ、このブログがアップできる時間の数時間後には登場ですので、宣伝になりませんが。間に合うなら足を運んでみてください)。
ブロック間の公演の合間には、京都で活躍される可愛らしい女優さんお三方との模擬デートとやらも企画されており、本家とはまた違った魅力溢れる公演となっています。

今回は時間の都合上、下記するCブロックの3団体のみ。
うち、2団体は初見ですが、普段、大阪で観る雰囲気とは違った京都の劇団色が出ているような不思議な個性ある作品でした。
ちなみに、1ブロック3団体で、1日2ブロック。つまり、一日6団体が30分程度の短編を公演し、ゲストで招かれた著名な先生と、よく知らないどっかの劇団の人や、高間上皇、もしかしたら自薦で一般の客などが採点をして、優勝団体を決めるようなシステムになっています。
私がこのブログを書いている時点では、トップに立っているのは、私の大好きな友達図鑑。今日の22:00ぐらいには、残り3団体の公演も終わり、優勝団体が決まっていることでしょう。
意外にその行方が、今、気になったりしています。

<以下、明日、月曜日も公演がある団体のあらすじを書いてしまっているので、その該当部分を公演終了まで白字にします>

友達図鑑の砂漠に土左衛門:友達図鑑

 

公園に一升瓶片手にグダグダやってる男。酒を飲んで死のうとしているらしい。
そこに財布を落として困っている男がやって来る。
職探し中。その上、こんなことに。
如何にも運が無さそうではある。昔は演劇もやっていたらしい。
どっちもどっちだが、死のうとしている男は、華がないやら、頭が悪いやら言いたい放題で男に怒鳴り散らしている。
確かに華は無いけど、技はあったと言い返す言葉は脆くて弱い。
勝ち目が無いと思ったのか、馬鹿らしくなったのか、怒って何処かに行ってしまう。
次にやって来た男女カップル。
死のうとしている男はいきなり襲われる。強盗をしようとしているらしい。
悪質なところから金を借りたのか、返さないとやばいことになるみたいだ。
酔っていて力が強くなっているのか、死のうとしている男は強盗を撃退する。
強盗すらうまくいかないとウジウジと嘆く男に、女はイライラしている。
場所を変えて、もう一度やろう。女の提案にオドオドして従う男。
死のうとしている男は口止めされるが、死ぬつもりだから別にどうでもいい話だ。もっとも、ただ酔っていく一方で死ぬ気配は全く無いが。
やがて、先ほどの財布を落とした男がやって来る。さらには、彼氏が家で帰りを待っている幸せそうな女性も。二人とも、行く先には強盗が待ち構えている。
死のうとしている男は、一応、止めようとはするのだが・・・

 

最後の方は、ほとんどはしょっています。でも、ここからが、色々とドタバタになりながらも、計算高い巧みな脚本に驚かされるところ。
いつもながらの、不思議な発想するなあと感動する面白い作品となっています。
全体的に暗くて、厭世観が溢れている登場人物、話なのに、なぜこんな大笑いとなるのかがいつも不思議です。
何か、結局、人を見下して、それを嘲笑しているのかと、罪悪感を持ちそうになるんだけど、やっぱり面白いから吹き出しちゃうみたいな感じかな。
人の不幸はな何とやらといった感覚でしょうか。
役者さんの個性的な力が、上手くバランスよく配置されていて、安定した面白さを醸しています。

 

・劇団愉快犯のグレイテスト・ヒッツ:劇団愉快犯

 

三作品の短編集。
「金銭トラブル」
一万円札、五千円札、千円札の肖像画をモチーフにした物語。
樋口一葉と野口英世が、紆余曲折の末、結ばれるまでをトレンディードラマかのような話の展開で描いたリーディング作品。
福沢諭吉は、二人にとって、人生の訓をもらうような人物として描かれます。
言葉の節々に、各々のお札や、その肖像画の人物の歴史的なエピソードに基づいた、シャレたネタも隠されており、笑いと感心が絶えない作品でした。

 

二作品目は、一人芝居。
「クリスマス・イブ・キャロル」
日本最後のサンタクロースをしている普通のおじさんの話。
妻も子供も普通にいて、公然とサンタクロースを仕事としているみたい。
実際は接待をして、子供たちへのプレゼントを必死に集めて回るというあまり夢の無い仕事みたいだが。
そんなこともあって、家族サービスは全く出来ていない模様。
クリスマスも近いある夜、妻のミスで一年に渡って貯めてきたプレゼントの大半が濡れてダメになってしまう。追い打ちをかけるように、取り引き中止の連絡が。
絶望の淵に追い込まれたサンタクロースだが、息子は別に仕事を辞めても構わないような様子。むしろ、そうして欲しいみたいな。
サンタクロースは決心して、みんなのサンタクロースから、自分の子供、妻のためのサンタクロースに戻る。
家族の絆の歯車が少し狂ってしまった家族に訪れた絆再生の時。これからのサンタクロースの人生に大切なもの。これまで頑張ってきたサンタクロースがもらった最高のプレゼントだろうか。
いい話なので、仕方が無いところがあるとは思うが、後半が少し盛り上がりに欠けて、役者さんの熱演も一緒になって落ちていった感が残る。
三作品は、中野劇団で拝見したことがある作品。

 

「ランドセル」
先生と生徒の親の二人の会話劇。
クラスで給食費を盗まれた生徒がいて、犯人探しをするためにランドセルを調べたという先生の会話の切り口から、いつの間にか生徒のランドセルから、世界初の化学物質が見つかったことへの意味の分からない話にスライドさせて、ズレた不条理会話を楽しむような作品。
正直、DVDで観た痛快なテンポ、リズムが刻めていないように感じる。ギグシャクした感が残り、かなり脚本自体の面白さに助けられているように思う。

 

元々、公演自体が短編集であり、さらにその中で短編集にするなら、何か共通テーマを感じさせて欲しい気がする。
1、3作品のような頭のいい巧みな作品の間に入り込んでいる2作品目とかが、今となってはすごく浮いているように感じてしまう。
不条理設定の中での男女愛や家族愛なら、3作品目は違和感があるし。

 

・ディベート企画 「真剣20代喋り場」
お題は芸術家はちゃんと授業に出るべきか?
ゲストに京都橘大学教授で、文化政策や地域芸術環境づくりに詳しい、小暮宣雄先生。
演劇やってたら、単位も取れんというグループと、それはアホだからできちんと取れるというグループに分かれて、激論を繰り広げる。
中傷や自虐ネタなど、なかなか腹を割り過ぎてしまっているような議論を笑いながら拝聴する。
小暮先生がまとめる。
要は、演劇をしていることに対して、大学側が価値を見出すような言動をすればいいといったところだろうか。
これは、別に演劇だけじゃなくて、あらゆることに通じるだろう。
自分の好きなことをしているのは結構だが、それを単にしているだけなら、いわゆるマスターベーションに近く、それがどれだけ価値あることなのかを分からせる努力は必須ではないか。
特に私自身が研究をしたりしているが、それを単なる自分の楽しいことをしているだけでお金もらって働いているでは、そんな都合のいい話はなく、やはりそれに魅力を感じさせることを研究の中に付随させないといけないとよく考えているつもりだ。実現はできているかと聞かれたら、答えには窮するが、少なくともそう思っている。
しかし、驚いたのは、先生が持参された大学の良し悪しを決める雑誌。
偏差値とかでは無く、退学率などが一つのポイントになりつつあるらしい。これは離職率が高い企業があまり受けが良くないと同じではないか。
最近、国立大学の二次試験が面接になって学業よりも人物評価重視になるとか聞いているが、もうこんなだったら、大学の存在価値が無いのではないだろうか。企業と同じ感覚で入ることになり、経験もそんな人達ばかりの中でしか得られないなら、少しでも早く企業に入って、正直、お金を貯めた方がいい。若い世代は老後問題だって抱えているのだから。
ディベート自体は楽しかったけど、何か大きな問題を残しながら、おかしな方向に進もうとしている世の中が浮き上がってきて、不安な気分になった。

 

・川:ナマモノなのでお早めにお召し上がりください。

 

ある男が、濡れた少女と出会う。
雨が降っている。そっちは川が増水している。危ない。そう声を掛けるが、少女は微笑んで、川の方へ消えて行く。
急いで追いかけると、別に増水も何もしていない、ごく普通の浅い川にはまり、そのまま溺れる。
気付くと、どこかの病院のベッド。
お気楽そうなナースに、なぜかしばらく入院させようとしてくる怪しげな医師。
あの時、別に雨も降っていなかったらしい。幻覚でも見たのだろうか。
ふと、病室の窓から外を覗くと、あの少女が手を振っている。
病室からは水の男が聞こえる。洗面台に流れる音、天井からの雨漏りの音。そして、少女の姿。
やはり、恨んでいるのかな。男はそう思う。男は川の開発をする仕事に携わっているみたいだ。
やがて、男は退院する。
下っ端だから、やらなくてはいけない仕事がたくさんあるし、それを自分もしようと思っている。
傍には、他の人に見えているのか、少女の微笑む姿がある。それを送り出す医師とナース。

 

少女の幻想的で純粋無垢な姿、やたら現実感のあるお気楽なナース、何かを隠し持っているような医師の言動、思い詰めた表情で疲れているような男の姿。
これが、幻想と現実の境界があいまいな世界を創り出し、作品の奥深さを醸し出すが、そこまでなかなかたどり着かさないようなところもある。
情報をかなり隠した感じで、多くの部分は観る側の想像で補わないといけないような感じだろうか。
全体として何かの話として設定して、各々を何かのメタファーとして捉えたりすればいいのだろうが、なかなかそこまで噛み砕くことが出来ない。
感覚的に思うのは、喪失からの乗り越えみたいなものだろうか。
男は何かを喪失してしまった。それは、何かは分からないが失ったモノが少女の姿として現れているようである。水が絡んでいるのだろうから、どうしても今の時ならば、津波みたいなものを想像してしまうが。
男は、直接で無いにしても、間接的にその失った原因を創り出している人なのかもしれない。
この喪失は医師やナースも同じく経験しているように感じる。
ナースはそれを明るく元気に振る舞うことで昇華しようとしており、医師はその立場からか喪失したショックを自分が持つよりも、そんな人を救うことを頭に置いているような感じがする。
男は、悔いや悲しみからか、その喪失により、前へ進めなくなっている。
でも、いつまでもそれではいけない。それは自分自身も思っていることだろうし、少女の微笑みからも消え去ることになってしまったモノからの願いのように思う。
最後に男は、それでも、今までどおりの生活に戻ろうとする。
これが喪失を乗り越えて、また歩を進めようとする希望の姿に映る。喪失による悔いや悲しみを、自分が生きる覚悟に変えて、力強く、喪失したモノを大切に背負って前へ進もうとしているように感じた。

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