正義の人びと【コロブチカ】131020
2013年10月20日 シアターカフェNyan
へこんでいる。
10月の頭から、宇都宮、東京に引き続いての大阪公演なので、ブログ、Twitter等で、その魅力は相当なものだという感想を目にしていた。
どれだけ衝撃を受けるのだろうか。そんな期待を胸に抱いて、足を運んだのだが・・・
全然、心に響かない。ただ、観ただけ。観終えて、少し反芻しても特に何も感じないという、お粗末な観劇になってしまった。
古典がダメなのだろうか。それとも、私には大事な何かが欠けているのではないか。ダメじゃないか、自分とちょっと悲しくなる。
原作はよく知らないが、アルベール・カミュの作品で、それを脚色した作品らしい。
ロシアのテロリストたちの革命への正義に対する苦悩を描いたような話で、難しそうだが、非常に分かりやすく話を進めている。舞台も緊迫感のあるシンプルだけど、美しい空間が醸し出されている。そして、何より圧倒される迫力で心情描写をされる役者さんの名演技。舞台でのその存在感は相当な見応えだった。
これは、噂どおりで、素晴らしいなあとはもちろん感じた。
でも、それが総じて作品としての感動へは繋がらなかったといったところだろうか。
どこをとっても、エリート的なスマートさがあるところが拒絶反応を起こしたのかな。そもそも、テロリストという概念に否定の意識が強く、共感できなかったのかな。とにかく、役者さんの熱演も相まって、話はよく分かりましたといった感想に落ち着いてしまう。まあ、それでも、いい勉強になったから、それでいいのだろうが。また、いつの日か思い出して、この作品の真髄に何かを感じられる日も来るだろう・・・
帝政ロシアで圧政を強いる大公を爆弾テロで殺害し、ロシアの民たちを救おうとしている社会革命党。
リーダーのボリアの下、愛を語る詩人であるヤネク、その恋人ドーラ、政府に捕えられ恋人も殺され、自らも激しい拷問を受けて戻って来たステパン、正直者で気が弱いが革命には何かを破壊しなければいけないという信念を持つアレクセイが集う。
馬車に乗る大公を待ち伏せし、爆破する予定だったが、ヤネクは爆弾を投げることができなかった。同乗していた子どもたちの姿が目に入ってしまったから。
この失敗により、テロリストたちは、自分たちが考える正義に対して言及し合う。
芸術家らしい理想論的な考えをするヤネクに対し、厳しい現実を目の当たりにした経験を持つステパンの対比が、革命における愛と憎しみを考えさせられる。
明確な意思統一は不可能で、各々の正義の考えが交錯する中で2回目のテロが実行される。
今度は、大公を殺害することに成功。
ヤネクは捕えられ、牢屋で絞首刑を待つ身となる。
同じ牢屋で捕えられている男は、ヤネクよりも人を殺してきた男だが、死刑執行人の手伝いをすることで減刑されている。
大公暗殺に社会的な正義を認めているのか、警視総監は特赦をヤネクに迫る。
そして、夫を殺害された大公妃は、子どもたちが同乗していた時にテロを実行しなかったことに、ヤネクへの正義を感じたのか、敬虔なクリスチャンであることからの慈悲なのか、同じくヤネクに特赦を願い出る。
でも、ヤネクは全てを拒絶し、自らの思想のために死を選択する。
彼がそんな考えを絶対に変えないことを、恋人のドーラは、それが愛であるかのように仲間たちに語る。
愛と憎しみ。理想と現実。神と人間。
各々の正義が、どういった要素から築き上げられているのかという相違を見せながら、正義のための生死に葛藤するような話。
そこから、正義とは何なのかを深く考えさせられるようでした。
ただ、どうも自己正当化をしているような感があり、私にはあまり協調できるものではありません。
正義に理由付けをしているところが、どうもしっくりこず、愛や憎しみ、神や理想といった、人間が抱ける大切なものを大義名分にしてしまっているような気がします。結局、それは生死をおろそかにしてしまうことに繋がってしまっているようで、何だか悲しい気持ちになります。それでも、何かを変えるためにはといったところが、その葛藤の苦しみなのでしょうが。
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