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2013年9月 6日 (金)

わんころと揺れ雲をめぐる冒険【プラズマみかん】130905

2013年09月05日 カナリヤ条約

2年前の同タイトル作品の再演。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/110713-1643.html
ところどころ、と言うか、だいぶ変わっているのは、自分の記憶が薄れていることはあるにしても、間違いないと思う。
でも、この作品は境界線が出来てしまった者同士の共生を見出そうとしているのだと思う。
作品としては、震災における被災者と非被災者の境界線を思わせるような視点で描かれているが、現実にあり得る様々な出来てしまう境界線のことにも通じさせるようなところがある。

初演も再演も、失われた命を慈しみ、その中で生き残った命へ込められた祈りを感じさせる、素晴らしい作品であると思う。
ただ、初演はけっこう複雑で、頭が混乱した。
今回はとてもスムーズな観劇。
これは、話が変わったからとかではなく、きっと時間の経過だと考える。
あくまで、震災という点だけで書くが、震災直後であった当時は、共生ということを本当にどうすればいいのか分からなかったのだと思う。それは創り手もこちら側の客も。
あれから時間が経ち、実際に様々な形の共生への手段が取られてきた。思っていたけど、現実には全然出来なかったこと、新たに見つかったするべきことなど。
依然、迷いの中で彷徨ったり、新しい問題点が生まれたりはしているとはいえ、一つの方向性が見出され、未来への希望が少しだけ光を差し始めているのではないだろうか。
それが、この作品自体が持つ自信のようなものに繋がっているように思う。

色々と言葉に出来ない感じるところがある。
自分に文才が無いことが非常にもどかしい。
そして、強いて言葉にしてしまえば、単純だが、とにかく感動したとしか書きようがない。
今年も様々なタイプの名作に出会っているが、中でもこの作品から受けた衝撃は非常に大きい。
素晴らしかった。

隣町で魔物に襲われた子、なっちゃんが転入してくる。
この町は被災していない。
でも、一番身近でその魔物を見た生き証人として、その事実を演劇で演じようとしている。
作家であり、主人公も務めるあくえり、演出家のももてん。
実際に行われた舞台では、あくえりがなぜか練習のように言葉を発することが出来ずに終わる。

3人は秘密基地とかで遊びながら、結束を固める。
みんなでかわいそうななっちゃんを守る。そう誓った。
そして、時は経つ。
ももてんはボランティア活動を始める。
なっちゃんは、未来への希望を明るく語り続ける。
あくえりはなっちゃんの面倒を見るのが負担になってくる。
いつしか、3人は距離を置くようになっていく。

そんな3人の記憶をたどる旅。
あの魔物が襲ってきた日から、隣町との境界線が出来た。
その境界線を越えてやって来たなっちゃんと過ごした日々。そして、いつのまにやら揺らいでうやむやになってしまった境界線。
あくえりや、当時、被災した先生やわんころの視点を交えながら、自分たちの想いを掘り起こす。

冒頭は、あくえりが言葉が出なくなった魔物の襲撃を描いた作品の舞台から始まる。
観客席からは、思い思いに怒号が飛ぶ。
そして、客が舞台に乗り込んで、演じ手と客の境界線が揺らいでしまう。
これは2年前の作品をイメージするような感じかな。
もちろん、あの時、怒号が飛んだり、セリフが飛ぶような醜態を見せられた訳ではない。
被災と距離のある者が演じ手という状態で、被災者はもちろん、同じ立場の非被災者に何かを伝えようとした時に、本当にどういう言葉を発すればいいのか、言葉が出てこなかったのではないか。
それを振り絞って、言葉にして、不安の中にも願いを込めて、作品が出来上がっていたのか。
これが今は混在し始めているようである。
今、被災者自身が何かを語ろうとし始めている。ようやく、そんな時がやって来たように思う。
それは、被災者が現実に見た失われた命、そして生き残った自分たちの生を見詰めることになる。
あれからこの作品はそんな風に変化していったようなことを伝えている前説のような感覚を得る。

なっちゃんは魔物によって与えられた傷を頭に持つ。
物理的に肉体に残る怪我、後遺症もあるだろうし、精神的に心に残る傷もあるだろう。
それを背負って生きていかなくてはいけない。
それを見て、あくえりもももてんも彼女を守らなければいけないと誓ったのだ。
ただ、必ずしもそんな人ばかりではない。
なっちゃんを否定する、傷からあるから色々な物を与えられる彼女の状況を批判する者たちもいる。この作品ではクラスメートを利用して、そんな現実にもあった被災者への差別意識を浮き上がらせているようである。
ただ、この作品はそんな被災者の差別に対して、優しいだけでなく、厳しい視点も与えているように感じる。
与えているだけでは、いけない時期になった。ボランティアのやり方、捉え方も変えていかなくてはいけない。
受けた苦難を乗り越えさせる。自分自身が人生の主人公となる。舞台に戻ってくる。いつまでも、見せられる客席側に居座られても困る。
周囲、被災から距離あった者も、同じように生を全うしようと日々を過ごしている。
自分たちも、つらい悲しみがあるにせよ、それを乗り越え、また歩みを取り戻して欲しい。
上っ面だけの優しさからくる偽善を否定するような厳しい一面が感じられる。
本当に、今、出来ること、やらなくてはいけないことを、あの当時を振り返りながら突き詰めようとしている感じか。

3人はいつの間にやらバラバラになる。
互いに連絡も特に取りあっていない。もう、3人で会うことも無いのだろう。
途切れた友情。
震災への関心の薄れみたいな感覚だろうか。
それでも、想いが決して無くなったわけではない。
あの時、もちろん全員ではないだろうが、多くの人たちが被災者のために何かをしたいと考えた。実際に、各々の立場で出来ることを、出来る限りするという風潮があった。
基本的にみんな、優しい心を持っているんだと分かったように、今でもその気持ちは残る。
遠く離れて長年会っていない友達でも、その友達であることは決して消えないように。
そんな世間的には揺らいでしまっている優しい人の想いも、友達という絆の深さと照らし合わせて、それを信じたいかのように描かれている。

初演時は、生き残った命、新たに生まれる命から、繋がれていく命に希望を託したようなラストだった。
今回も、そんな命の繋がりは感じるが、その繋がれた命をいかに豊かにするのかという、もう一段階進んだことを考えようとしている感覚が残るラストだった。
全ての人が豊かな生活を営むためには、互いに想い合う精神は避けられないと思う。そんな人を想う心は、必ず人は持っているから、きっと輝く未来が訪れるはず。だから、そのことを忘れずに頑張っていこうというような込められた優しい願いと、そのために必要な甘えの無い厳しい覚悟を感じさせられる。

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