抱きしめて、【近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻22期生卒業公演】130920
2013年09月20日 近畿大学会館5F 日本橋アートスタジオ
企画、脚本、演出、出演、公演と一連の流れを全て学生さんに委ねられた公演らしい。
戯曲を作ることを学ぶ人たちと、演じることを学ぶ人たちのジョイント、三作品のオムニバス公演と、色々な初めてづくしで苦労された経緯が、当日にいただいたパンフレットに書かれている。
苦労の甲斐あって、なかなか個性的で魅力的な三作品を拝見した。
<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
「あかいくつ」
何やらよく分からないが、砂浜でボーリングの特訓みたいな映画を撮影しているみたい。
その近くに、住人の女性が姿をくらまして放置された部屋があり、そこを勝手に楽屋のようにしている。
映画に出演する、地方CMでお色気キャラとして少しだけ活躍している売れない女優と、2人の女学生がその部屋を使っている。
学生の一人は、働いているガールズバーの客にストーカーされており、友達は心配している。
その子がさっきまでいたはずなのだが、何も言わず、どこかに行ってしまい、探さないと危ないと慌てふためいて、友達は部屋を飛び出す。
取り残された売れない女優はビールを飲みながら、つまみを探そうと冷蔵庫を開けるとそこには人の腕が。
気を失って、気付くと、ストーカーされているという女の子が戻ってきている。住人の持ち物である服を勝手に物色したみたいで、部屋には服が散乱している。
人の腕は無い。夢だったのだろうか。
そんな中、隣の部屋に住む、前の住人をよく知る女性もやって来て・・・
まあ、話としてはミステリーみたいな感じでしょうか。
姿をくらました女性とストーカーされている女性を同じ役者さんがされており、どちらか分からないような形になっています。
友達や売れない女優と話している時、隣の部屋に住む女性と話している時のように、その存在は相手に委ねられたようになっています。舞台奥に設置された鏡などの効果もあるのか、どうも揺らいだ存在のようなものを表現しているのでしょうか。
結局、前の住人は殺されており、海に沈められていたみたいです。ただ、それは、ストーカーされていた女性とすり替わっているのか、本当に男に殺されたのか、はたまた、本当に殺されているのかなど、謎めいたものが浮かんだ状態でのラストで締められています。
とりとめもない会話の中で、終始、どこか不安めいたものを感じさせる雰囲気作りはよく出来ているように思います。
二人の女性を演じる、その存在を透明感あるどこか生死の境界線にいるような感じで演じる吉本藍子さんが印象に残ります。
「はれの日 ~ヘンゼルとグレーテルより~」
バイトをしながらも、それは単なる暇つぶしで、離婚した父からの仕送りで生活する半分ニートのような女性。
バイト先のコンビニで同じような人間を見て、自分の将来の行き詰まりを感じる。
祖父が亡くなった。
葬式に出席するために、実家に戻る。
おばあちゃん、自分には口うるさい母親、ゲームで遊んで祖父の死に現実感を感じていない弟、弟に合わせているのか、同じようにゲームで遊んでいる叔父。
そんな親族一同は、何かあれば必ずケーキを焼いてお祝いをしてくれた祖父のために、みんなでケーキを作って、その生地を一緒に火葬することにする・・・
最初は、ずいぶんと不条理な奇天烈な話なのかなと思っていたが、実際は祖父の死をきっかけに、立ち直りを見せる人たちの姿を描いた、亡き祖父の優しい想いが感じられる素敵な作品だった。
祖父はロウソクの無いケーキを誕生日や記念日に必ずプレゼントしてくれていたらしい。0からの出発。大丈夫。いつでも傍にいるから。そんな祖父の想いをスタンドバイミーの音楽にのせて表している。
ゲームはセーブしていれば、いつでもロードしてやり直せる。死んでしまう。お終い。人生もそんな日が来るまでは、同じように何度でもまた始められるようなことを伝えているのだろうか。
ニートの女性をはじめ、この家族は様々な悩みを抱えて、今、行き詰っている。各々が、そんなことを語り苦しんでいることを伝えるシーンが繋がれている。
それに対して、祖父がいつもプレゼントしてくれていたケーキに込めれた想いを思い直し、またこれからスタート出来るということを、親や兄弟、家族の絆という点にも焦点を当てて、描いているように感じる。
作品名のはれはハレとケの意味合いで付けられているらしい。作品中に斎場の女性という役柄で、注釈を色々と入れてくれるキャラが存在する。
祖父の死は、この人たちにとってはハレの日。それは、祖父がいつも大切な記念日に、いつでもここから始めればいいと願いを込めて作って渡してくれたケーキを最後に、祖父のお別れと共に受け取るということで人生の節目の日となるのだろう。
セリフはリズムを刻むような形でテンポよく語られる。舞台転換も、一つのパフォーマンスのように、統制のある動きがそんなリズムの良さを際立たせる。
女性を演じる瀧まゆこさんの、悩みから少し解放されて、安堵の表情を浮かべるところが、祖父の優しい想いを強く感じさせられる。
「Seven Star ~白雪姫より~」
七つ子の誕生日。
一番最初に生まれた長女がついに三十路を迎える。
あと数時間後には、順々に大台にのってしまう女性たち。
取りとめのない女子トークを繰り広げる中、競争意識や結婚願望なんかも意識し始めた言葉が飛び交う。
そんな中、ご主人様が帰宅される。
どうやら、ここはこのご主人様に各々の役割を命じられて仕える女性たちが住むところみたい。
スナックのように、接客をして、ご主人様のご機嫌を伺う女性たち。
誰が一番か。そんな女性たちの言葉にも、みんな一番なんか言って、なかなか煮え切らないご主人様。
うやむやのうちに、部屋に戻ってしまう。
再び、女子トークを繰り広げる中、勇ましい姿の、横暴なご主人様が現れる。
頼りないのでしっかりして欲しいとは願ったが、こんなのご主人様じゃない。
本物のあの頼りないご主人様も現れ、ついに決闘になるが、力負けしてしまいそう。
本物のご主人様を救うために・・・
白雪姫を男女逆バージョンにして、どんなことが起こるだろうかと妄想して出来上がったような作品だろうか。
とても楽しい作品に仕上がっている。
正直、観ながらすごく驚いた。近畿大学の公演は、授業公演や大学の劇団公演の作品を何度か拝見しているのだが、こんな踊りや歌のエンタメ色を前面に押し出した作品は初めてである。
以前、卒業生の知り合いの方に、けっこう近大は真面目な作品が多いので、難しくて悩ましいことも多く、観劇後の感想書くのが辛いなんて話をした時に、学校方針でエンタメに逃げるような作品創りを嫌うところがあるみたいなことを聞いていたので、こういった作品は観れないのだと思っていた。
当日にいただけるしっかりしたパンフレットを拝見すると、この作品はキャストが入れ替わったり、配役が変わったりとすいぶんと紆余曲折の中で出来上がったみたいだ。
色々と練り込まれた結果だろうか。七人の女性たちが、個性的なキャラ付けをされているにも関わらず、綺麗に調和して、一体感を醸し出している。
その世界観は、作品のラストで描かれる七つの星が浮かぶ星空の拡がりがふさわしく、とても美しいと感じさせられる。
紅一点ならぬ、唯一の男、ご主人様の杉原公輔さん。女にやり込められながらも、むきになるかのように男らしさを醸そうとするその姿は、男の哀れさを思わせる滑稽さを引き出している。
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