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2013年7月22日 (月)

農業少女【グンプロ】130721

2013年07月21日 大阪大学 豊中キャンパス 特設芝ステージ

もう、あまりにも凄かったので驚嘆している。
観終えて、別に何をするわけでもないが、凄いものを観てしまったとアタフタしてしまう感じ。

数々の巧みな演出が功を奏しているのだろうか。一応、以前に同作品を他劇団で拝見しているので、記憶が残っているからだろうか。
時間軸がバラバラになって進む展開なのに、以前よりも格段と話が分かりやすく入ってくる。
加えて、際立った力を見せつける4人の役者さん。
文句のつけようがない素晴らしい企画公演。

屋外にビニールハウスを建てた舞台。
客席が対面で舞台を挟んでいる。
舞台真ん中に、都会、東京の象徴としてのスカイツリーだろうか。
そこから飛ぶ、言葉としては聞こえないけど電波のような情報をイメージする線が張りめぐらされる。
そのツリーから、映像も映し出される仕組みになっている。
衣装は抽象的。冷静に観れば、かなり痛い恰好をしている。妄想と現実の間みたいな印象か。作品自体もそんな感覚なので、それに合わせた衣装なのかもしれない。

あらすじと感想は、以前に、妄想プロデュースで拝見した時のブログを参照。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/130210-e039.html
あらすじは混乱している割には、まずまずよく書けていると自画自賛。
感想は、いつものごとく、訳の分からないことを書いているが、何となく、今回も似た感覚を得ている。
ただ、この時に拝見した農業少女とは全くの別物なのではないかと思えるくらいに、作品自体の雰囲気は異なる。
うまく書けないが、
男優陣からは権威、支配欲、女優陣からは女の性を感じさせられるところが一番の違いだろうか。
大衆の気分に乗じて、流行に踊らされ、飽きれば捨ててしまうような日本の社会の姿を、人間に潜む純粋な部分と毒ある部分を相関させて描いているような印象を受ける。

役者さん、全員、秀逸。

百子、未彩紀さん。ちょっと鳥肌が立つくらいに素晴らしい。女優さんとしての姿に唸る。
少女の純粋さと女性の毒の切り替えが見事。見事過ぎて、女が嫌になるくらい。
農業少女と呼ばれ、大衆の気分によって、権威を得た彼女。流行そのもののような存在に見える。
数々の彼女に向けられた言葉は、やがて、消えていく。
最後に、自分と同じく、流行の遺産となった物たちが映り出されるテレビ画面の中に溶け込んでいくかのように消えていく姿は、あまりにも切ない。
ただ、彼女が流行となった時に、その本質を彼女自身が見詰めていなかったことも原因なのだと思う。大衆の気分が簡単に変わって、農業少女をかわいそうな目に合わせたという、彼女だけが犠牲である被害者のようには見えない。
彼女が流行となるまでに、彼女は、
少女としての女の性を力にしているように思える。この一時的な力を利用しているところが、都罪や大衆の一時的な気分に自分はのっかって生きるという姿のように感じられ、その力はいずれ失われる日が来ることを考えていなかったことも悪かったのではないか。
結局、自らが流行のような物にしかなり得ない行動で、掴んだ幻想であり、その時間が終わったというように見える。
これを単なる幻想にしないためには。
ここに山本のような人に視線を傾けなかったことへの報いがあるのでは。

山本、下野佑樹さん。感情を心から込めた数々の言葉。抜群の心情表現で、存在感をしっかりと放つ。今回、一番目を惹く。
この方は演出もされているんだなあ。
分かりやすく感じたのは、恐らく、この作品は、この方の咀嚼物を味わっているからだろう。色々な観方が出来る作品だと思うが、社会風刺的な警鐘というよりかは、個々の人間に焦点を当てて、普段、自覚していない自分を見出せるような形になっているような気がする。
せっかく毒草を研究しているのに、人間にある毒は分からないのだろうか。
人間は、毒草のように毒を持つ生物では無いとばかりに、百子をずっと見続けているように思う。たとえ、その想いに疑問が生じても、それを必死に打ち消そうと苦しんでいる。
人の毒を見たくないから、毒草に反動で興味を持ったりしているのかな。
ロリコンなんてところもそんなことを感じさせられ、毒草が二次元のいかがわしい本のように思える。
この男の欲は支配。都罪も似た感じだが、支配できなくても権威があればいいみたいな感じだろうか。欲の質が異なっている。
この男は、最後まで結局、百子の心を自分に向けさせられない。向いていたのは常に都罪の方。
都罪をヒトラーだと非難するが、その例えがよく当てはまっている。
ヒトラーは大衆に崇拝されるが、この男は誰からも崇拝されない。1人の女の子の目を向けさせることすら出来ない。
この違いは何なのだろうか。
権威無きところにある、支配は拒絶しか生み出さないのか。

都罪、まつながさん(劇団六風館)。絶対的な安定感で、この嫌な役を演じられる。言葉一つ一つにいかがわしさや汚さが込められており、喋れば喋るほど、醜悪な人物像が出来上がっていく。
この男の胡散臭さが、ファシズムとか大袈裟なことではなく、身近に潜む、私たちが流されて、悪いところへ連れて行ってしまう悪の根源としてイメージされる。
農業は生産。物を生み出す力。大衆の声を聞いて、物を作る。でも、その声が都会では流されて、どれが本物の声か分からない。それをうまく利用しているかのようだ。
大衆の気分を、自らが誘導して作り出す。これは、本来ニーズではないのだが、あたかも大衆が望んでいたことのように持って行く。
悪い男なのだが、全面否定できないところもあって、これも一つの生き残りの手段かとも思う。
マーケッティングでニーズを捉え、それに見合った物を生産する。これが正しい生産者の姿ではあるが、これだけでは利益を得ながら存続する会社にはなかなかなれない。自らのシーズをうまく、ニーズに当てはめてしまうような巧みさを持つ会社のようなものを想像すれば、こういう男にも正当性がある。
まあ、こういう男がはびこる社会だからダメではないかという警鐘でもあるのかもしれないが。
物を作らず、利益を得ようとする。それでも、この世の中は、大衆の気分に合ったものであれば、それが実存物で無くても金や権威へと代えることが出来る。しっかりとそんな現実を見ながらも、どこか妄想に逃げ込んでいるような姿に映る。
一つに都会は消費。ただ、消費するだけで生産していない、生産を知らないというところに問題があるように思える。知らないから、過ちに気付かないし、それを知る者に騙される。

大阪弁の女、伊藤紫織さん(劇団ちゃうかちゃわん)。始まりの第一声。綺麗な通る声で舞台を引き締める。この役は、固定されておらず、あらゆる人間同士の間に入り込んでいるようなパイプライン的な存在。
当事者では常に無い。と言って、傍観者でもない。
常に逃げ場が準備され、どこか安全な鎧を身に纏っているような感じか。
時折、舞台から姿を消し、隅で巻き起こる事件を見ていたり、ビデオカメラをいじってその風景を映していたりする。
自分が入り込むベストな隙をうかがう。虎視眈々と権威を狙う。したたかで、調子がいい。
こんなところが、可愛らしいアイドルみたいな姿とどこか同調しており、純粋で天真爛漫な中に、影として潜む部分を感じさせられる。
この作品は、誰視点で描かれているのだろうか。
都罪や山本が回想するような形で、話は展開しているのだが、途中から、実はこの女性が記録した映像を見せられているような感覚も得た。
全ては、この女性が描いた筋書きで進められた話だったのではと。
都罪に傾倒する百子を時々、すごく鋭い嫌な視線で見ている時があったように思うのだが、この女性もまた都罪の魅力にはまっているのだろうか。それも、山本が百子を愛したような感じで、振り向かない男への愛として。
あまり観ながら考え過ぎると頭が混乱してしまうので、途中でこの役のことはあまり考えないようにしたが、今になって、どうも裏があるような気がしてならない。
この女性も、百子と同じように、都罪によって、一時の流行産物となって捨てられ、その後、ただ待つだけの女になるのは嫌だと言いながら消えていった百子とは異なり、自らが向かう人間となって、また世の中に表れたかのようにも映る。
実った農業少女の一つの姿だろうか。
すごく悲しい話なのだが、よく分からないが、このあたりに何らかの希望が潜んでいるような気がするのだが。

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