星めぐり ~『銀河鉄道の夜』より~【HPF高校演劇祭 大阪女学院高校】130725
2013年07月25日 ウィングフィールド
基本的に銀河鉄道の夜における、銀河鉄道の中で、ジョバンニが生きるということを理解して心の成長を遂げるところに焦点を置いているようである。
幻想的な描写が多くて、感性豊かじゃないとちょっと分かりにくいところを、具体的な事例を交えて、この作品が伝えたいことを描こうとしているような教科書的な作品になっているのかな。
学校で、ザネリやその同級生にいじめられているジョバンニ。
いつもかばってくれるカムパネルラ。
今日も椅子取りゲームで、いじめられて逃げ帰る。
自分は椅子には座れない。
今日は星祭りの日。
その祭りで、川に烏瓜を流している時に、川に落ちてしまったザネリをかばって、カムパネルラは死ぬ。ザネリを椅子に座らせたという、後程の話の伏線となるような言葉が使われている。
ジョバンニはいつの間にか乗っている銀河鉄道の中でカムパネルラと出会う。
二人の星めぐりの旅が始まる。
鳥捕りをしている男。
昔、飛行船乗りだった頃に経験した事故。
機械トラブルで操縦不能になった。高度は落ち、目の前に崖が迫ってきた。
飛び降りるしかない。乗組員を無理やり飛ばした。
乗組員を救いたかったが、今はどうなっているか分からない。
自分は落ちると思わず、飛べると思った。そうすると、幸せな気分に自分はなった。でも、乗組員は怖がっていた。
実際に銀河鉄道の夜の描写とはだいぶ異なっていると思う。原作をきちんと読んでいないので、違いがはっきりと分からないのだが。
落ちるということが、カムパネルラの事故、以後の話でも死と同一のような形で使われているように感じる。逆の飛ぶは生きるを意味するのか。
鳥捕りは、落ちる時に、飛べると思った。でも、乗組員はそう思えなくて、ただただ落ちることを怖がった。死の恐れが、生への希望に必ずしもつながっているとは限らないのだろうか。鳥捕りが、いまだ乗組員を想う気持ちの中には、彼らが生き延びたにせよ、死んだにせよ、生への喜びを感じてくれていたのかが気になっているように思う。
今、鳥を捕まえて、空を飛ぶこの男は、魂となってこの世界にやって来た者たちと一緒に飛ぶことで、生きる喜びを教えようとし続けているように感じる。
氷山にぶつかって難破した船に乗っていた女の子と家庭教師。
我先にと救助ボートに乗り込もうとする人に押しのけられた。
その中で、ボートに乗り込もうとしない音楽家たちが奏でるメロディー。
彼らは自分たちが乗らないことで、誰かが助かることを選択した。
ジョバンニは、椅子取りゲームのことを思い出す。
早い者勝ち。どうして、椅子を譲らないといけないのだろうか。自分だったら、押しのけてボートに乗る。
でも、カムパネルラの、僕も押しのけるのかという質問には答えることが出来ない。
女の子が紙で文字を作り始める。hell、地獄。でも、ちょっと並び替えれば、love、愛に。
昔、学校の授業で習ったことがあるような話かも。音楽家のくだりは、何となく覚えている。
人間の生への執着。
でも、その生を自分だけのものと捉えず、誰かの命が繋がっていくことを想える人たち。
カムパネルラがザネリにした行動と同じか。
人の幸せを想える人は、自分も幸せ。だから、人の幸せのために何かをすれば、自分は幸せになる。
蠍とイタチの話。
イタチに襲われた蠍は必死に逃げて、井戸に落ちる。溺れて、もうすぐ死ぬだろう。
これまでにたくさんの虫を殺して命を奪ってきた自分。
それならば、最後にイタチのためにこの命を投げ出せば良かった。そうすれば、イタチの命は長らえただろうに。
神様、この命を今度はみんなの幸せのために使って欲しい。
こうして、蠍は輝く赤い星となる。
自分の身を焼いて人に食べさせた兎の話みたいなものを思い出す。
自分の命。死によって、それがこの世から失われる時に、誰かの幸せになるのだろうか。
カムパネルラはザネリのこれからの未来のために、自分の命を投げ打った。もちろん、両親は深く悲しむことだろう。そう思うと、カムパネルラ自身もつらくて仕方がないだろうが、みんなの幸いのために、失われた命は尊く、自分の生がこの世で大切なものであったことに気付くのだろう。
その想いが、彼をみんなを見守る一つの星となって輝かせるのだろうか。
緊張していたのか、おとなしめのスタートだったが、けっこう肝っ玉は座っているみたいで、ミスやトラブルを機転を効かせてうまく対処する。
星めぐりは、人の想いを知る旅だったのか。
それをカムパネルラという友達の姿に照らし合わせながら、理解し、成長したジョバンニの姿が最後に浮かぶ。
宇宙に浮かぶ星たちを、小さな命だと思える。
その繋がりも見出せるように成長したジョバンニ。
彼の目にはさそり座の星が、カムパネルラが星座を繋ぐ一つの星として見えている。
命を犠牲にする。
この銀河鉄道の旅が自分に何を教えようとしているのかが明確になっている。
人の幸いのため。
カムパネルラとの決別が、これまでの過去の自分との決別へと結びついている。
ジョバンニ、寺谷妃菜さん。唯一の友達、カムパネルラに自分の居場所をゆだねて、彼がいなくなったらどうしようなんて悩んでいる様は、思春期の悩ましい世代の姿そのものか。と言って、深刻な感じはせず、いじめた奴を屈服させるなんて妄想にふけったりする。そんな普通の若者の姿を見せながら、少しずつ心に変化がおきる成長っぷりを等身大で演じられる。
カムパネルラ、伊藤和美さん。落ち着き払って、どこか素朴な印象。自分の死を単に恐れるだけでなく、それを見詰めることで、生への意味合いを感じ取っている。ジョバンニとの旅は、生との決別。友や親との別れ。あまりにもしっかりし過ぎている姿だが、そんな親との別れを考えた時には感極まってしまう幼き弱い心の部分が印象に残る。
ザネリ、三井阿与吏さん。いじめっ子。
かなり徹底して、嫌な雰囲気を出される。
女の子、西口華梨さん。いじめっ子とのキャラの切り替え。憎々しい姿から、幼き純粋な雰囲気に早変わり。
鳥捕り、大西瑛理香さん。この子も切り替え上手。穏やかな何かを悟ったかのような鳥捕りのイメージを作られる。
家庭教師、吉田茉由さん。お上品な母性を感じさせる優しい姿。
車掌、海老原百華さん。当日チラシでは、舞台監督さんになっていたが、急遽、出演になったのだろうか。緊張してたか、ちょこちょことミス。これを上手い具合に舞台の空気を和ませるように持っていった。冷静な沈着な言い回しと、少し焦った様子のギャップも少し微笑ましい。
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