赤い実【虚空旅団】130727
2013年07月23日 Cafe Slow Osaka
人によって異なる価値観。
そこから生み出される、犠牲に対する考えの相違を、思い詰めさせられる様な会話劇。
重苦しい内容ではあるが、一つの恋愛をベースにして話を展開しており、少しほのかな気持ちで最後は締められる。
<以下、ネタバレ注意。公演終了まで白字にします。公演は本日、日曜日まで>
病院に付属した実験用動物飼育会社の休憩室で繰り広げられる会話劇。
大型動物担当で気が荒らそうに見えるが、とても真面目で優しいバイトの男が、求人雑誌を何となく見ている。
そこに入ってくる管理職の男。
男がカレーを服に付けているのを、めざとく見つけ、衛生管理には気をつけるようにと軽く注意。
つい最近、小動物のマウス飼育室で、大規模な感染症が発生し、たった5匹の感染で、何千匹のマウスを全処分するということがあり、少し神経質になっているみたいだ。
と言っても、この管理職の男、責任ある立場なので少し口うるさいところはあるみたいだが、基本的にはいい人みたいで、男と何気ない会話をしながら、交流を深めているみたい。
男はジャングルでは、生き延びるために虫でも動物でも何でも捕まえて食べなくてはいけなく、その時にカレー粉があれば、とりあえずは食べることが出来るなんて、カレーの素晴らしさを語ったりしている。
管理職の男は、これから、ここの元社員で、30年来、パートの立場ではあったが、働いていた人の葬式に行かなくてはいけない。腎不全で亡くなったのだとか。
本来は会社のトップである室長が行く予定だったのだが、例の感染症事件で色々と忙しいらしく、代行することになったみたいだ。
急なことなので、式場がどこで、何時に始まるのかも知らない。
室長に同行する予定だった社員の女性が全てを知っているらしく、その女性とここで待ち合わせをしている。
待っている間、二人は色々と会話をする。
黒いネクタイも用意していない。100円ショップで買えばいいか。いやいや、それはちゃんとした店で買わないと。気持ちの問題ですから。
先週、ここで小動物を担当している若い女性と一緒に飲みに行ってただろう。裏は取れてるんだよ。気になってるのか。
でも、全然、盛り上がりませんでした。そうか、元気が無いと思ったら、感染症事件の始末で疲れていたんだ。それなのに、一人はしゃいでしまって、完全に空回りして・・・
女性が現れる。
色々と腑に落ちないことがあるらしく、表情は厳しい。
亡くなった元社員のこと。彼の腎不全は、長年、ここで働いたために、動物から感染したウィルスが原因の一つなのではないか。そのことを家族に話そうか迷っている。
感染症事件のこと。感染したマウスは全て、室長が担当していたマウス。それをどう考えているのか。責任を感じているにしても、元社員の葬式に行かないとはいったいどういうつもりなのか。
重い空気になる中、若い女性が書類を持って入ってくる。室長から、管理職の男に渡すように言われたもの。
男が飲みに誘った子で、さらに空気は気まずくなる。
彼女は、職歴がまだ浅く、今回のような感染症事件は初めてらしい。
消毒に続く消毒の重労働による肉体的な負担、そして何千匹のマウスが処分されるという精神的な負担が合わさったのか、倒れこんでしまう。
管理職の男は、ちょうど黒ネクタイを買いに外出してしまっている。
若い女性をソファーに寝かしている間、女性はその書類を手にする。
中身を勝手に見て、黙って室長のところへ向かってしまう。何かを問い詰めるつもりみたいだ。
この間、二人っきりになった男は若い女性を介抱しながら、先日の飲み会のことを謝る。
女性も、逆に謝る。
事件のことで疲れており、気が紛れるのではないかと思って、安易に誘いにのって、利用するみたいな形になってしまった。
男の人が優しくいい人だと思っているからこそ、そんなことはしてはいけなかったと。
男は嫌われていた訳ではないことを喜んでいいのか、自分をそんな形でも頼りにしてくれるなら、あなたのことが好きなのだからそれは嬉しいことなのにと複雑な表情。
若い女性はかなり精神的にまいっている。
多くのマウスを犠牲にする。これが、本当に正しいことなのか、許されることなのかが分からなくなっているらしい。
男は、先日の飲み会で話したある童話のことを話し出す。
真っ赤な薔薇を欲しがっている少女に恋する学生。でも、薔薇の花は咲いておらず、手に入れることが出来ない。自分の胸に、棘を刺し、血で花を染めて、赤い薔薇を作り、学生に渡す小鳥。
学生はその真っ赤な薔薇を少女にプレゼントするが、ドレスに似合わないとか言われて受け取ってもらえなかった。学生は怒って、その薔薇を捨ててしまうなんて話。
ナイチンゲールと赤い薔薇という童話らしい。
この小鳥が学生のために犠牲になった想い。学生を自分に振り向かせるとかではなく、自分を犠牲にして、胸から血を流し続ける、その行為が愛であるいったような自分の解釈を述べる。
管理職の男、女性も戻ってくる。
女性が室長に問い詰めに行った内容は、感染症事件の全責任が管理職の男になっている書類だったから。
そんなことが許されるのかと、女性は納得できない。
でも、管理職の男は室長と話をして、互いに納得してやったことだと言い張る。
会社の経営は厳しい。病院も違う飼育会社を導入しようかという案も出ている。
そんな時に、こんな感染症事件を室長自らが起こしたなんて分かったら・・・
確かに給料もそんなに良くない、大した会社ではない。でも、これまでずっと自分を、妻を子供を養ってくれた会社。ここを捨て去るわけにはいかない。
若い女性が口をはさむ。
だったら、自分が責任を被る。もう、どうせ続けていけないと思っているから。
それに対して、管理職の男は厳しく、若い女性の甘さを指摘する。
うぬぼれるな。君が辞めても、君みたいなバイトを管理していた社員の誰かが結局、責任を負わされる。君だけが犠牲になるだけで済まない。君はそういう立場の人間なのだからと。
そして、マウスの全処分に対して、精神的にまいっているみたいだが、普段食べる肉や魚と何が違う。人が生きるために必要だから許されるのか。だったら、ここの動物たちは、必要じゃないというのか。
自分の妻は重い病気だった。でも、開発された薬で救われた。ここの動物たちが、その薬を開発する中で、多くの犠牲となった。でも、そのことで妻が助かった。自分の大切な人が助かるなら、何千匹のマウスが死んでもそれは構わないという考えを私は持つ。
女性は葬式に先に向かうと言って、出ていく。
腎不全の原因が、会社での仕事に関わりがある可能性を家族に伝えるために。
残された、管理職の男はそれを黙って見送る。
自分もそろそろ葬式に行かなくてはいけない。
先ほど、買ってきた黒ネクタイを締める。100円ショップではない、ある程度きちんとした物。
若い女性も仕事に戻る。また、落ち着いたら飲みに誘って欲しいという言葉を男に残して。
動物愛護、組織の隠ぺい、恋愛なんていうテーマの会話から犠牲という言葉を浮き上がらせている。
人のエゴのために、動物の命を犠牲にすることが許されるのか。命の尊厳とは。
会社を存続させるため、そこで働く人たちの生活を守るために、犠牲となる人が出ることを容認しなくてはいけないのか。正義とは。
愛する人のために犠牲になる、自分を愛する人が自分の犠牲となることは恋愛の形として認められるのか。愛とは。
難しい話で、どこかに正解があるとも思えない。
愛や命、人の想いは、何か明確な基準があるわけではない。
その人にとって、どうであるのかに大きく依存する。
作品中の黒ネクタイ一つにしても、100円ショップで買ったネクタイと、きちんとした店で買ったネクタイには、金銭的な価値の相違はあれど、そこに想いの相違がそれに比例してあるのかは分からない。物に対して、どういう感覚で育ってきたかなんてことに左右されるような気がする。
動物実験に関しても、管理職の男のような考えならば、その正当性は決して否定されるものではないと考える。でも、現実、そういう考えを持っていなければ、残酷極まる行いであり、否定の対象となろう。
動物が犠牲になるということにおいて、そこにどういう意味合いがあるのかという視点で見れるか、そこにただ命が奪われたという視点だけでしか見れないかによっても異なるだろう。そして、その意味合いを見出せるには、経験や知識が必要となる。
管理職の男の会社への自己犠牲も、女性のように絶対的に許されないという考えもあるだろうし、それが組織で生きる者の覚悟であり、当たり前の行動に感じる者もいるはず。当の本人が犠牲になったという感覚を持たないことだってあるかもしれない。
ナイチンゲールの犠牲愛。何かを求めているわけではない。学生が少女に抱く愛とはまた、違ったものだろう。愛の一つの形なのか、もしかしたら、自己実現という自己愛にも見える。犠牲になったという感覚は本人には無く、自分の愛を貫いた、相手を想い尽くしたという誇りすら感じる。他人から見てどうなのかでは無く、自分を実らせるために行ったことのように思う。
犠牲にする、犠牲になる。
そこには目的が存在するはずである。
この目的に盲目になり、ただ、犠牲にした、犠牲になったという事実だけしか見なければ、その行為は否定の対象になってしまうのではないか。
目的はその人の想いでもあり、その想いを受け止めた上で、事実を見詰める。
それでも、否定ならば、それはそれで構わない。
それは、その人のポリシー、正義であり、それこそ否定されるべきものではない。
ただ、そうすれば、全面否定するといったことにはならないような気がする。
犠牲を単純に否定してしまうこと。
動物が殺された、あの人が罪をかぶった、ナイチンゲールは報われず死んだ。犠牲になった人はどういう想いを持っているのか。
動物を殺した、あの人に罪をかぶせた、学生は自分の恋愛を成就することにしか目を向けなかった。犠牲にした人はどういう想いを持っているのか。
その両視点、もしくは、もっと多様な視点で物事を見詰めることで、その犠牲の意味合いは尊きものとなって映し出されるように思う。
最後は男と若い女性の恋愛がこれから発展していくかもしれないなという、これまでの重苦しさから解放されたような、軽い安堵を持って締められる。
これは、ナイチンゲールと赤い薔薇の話では、少女は薔薇を受け取らず、学生は薔薇を投げ捨てた形で、その愛に終結を迎えているが、こちらでは、自分たちが生きていること、愛し合えることにおいて、小鳥のように犠牲となっているものの存在がいることを見詰めることが出来るようになった、少女と学生の姿として、違う結末を迎える話が展開されることを示唆しているように感じる。
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