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2013年7月 1日 (月)

ネバーランド【近畿大学文化会演劇部覇王樹座】130630

2013年06月30日 シアトリカル應典院

80分という短めの公演時間だったためか、作品の世界観、各登場人物が背負うものなどが十分描き切れていない部分が所々で見られ、そこがとても惜しい気がする。描き切れていないというよりかは、偏りがあるような感じだろうか。

作品は親子や小さな恋愛を通じて、時間を巧みに操った設定で、人の想い合いを深く表現している。
現実の世界でも、伝えられなかった言葉や気持ちが、こうして、必ず絆というものがあり、それがその想いを通じさせてくれると思うと、何だか安堵と幸せな気持ちが芽生えてくる。
自分が人を想う気持ち、人に想われた気持ちは、永遠の時を巡る輪廻の人生の中で、必ず相手にまでたどり着き、自分の下にもやって来るといったところだろうか。
これを、親や自分を支えてくれた人たちへの感謝の気持ち、そして、心を豊かにしてくれた愛する人への想いを込めて創られているような話に感じる。

 

繰り返される戦争。
大人である親たちは、自分たちの子供を守るために、地下にネバーランドという子供だけが生きる国を創り、そこに我が子を送り出す。
未来を子供に託すために、強い覚悟をして、子供と厳しく別れをする親もいれば、まだ物心もついていない幼子と納得できない気持ちのまま、それでも、ここにいるより幸せになってくれればと悲しい別れをする親もいる。
歌鈴という女の子と別れた母親は、我が子をそうしてネバーランドに送り出したものの、忘れることができず、苦しみの中にいる。
そんな親が多発することを想定していたのか、国の科学者はアンドロイドを開発する。
アンドロイドはそんな親のつらい気持ちを癒すために各家庭に供給される。
ロイという男の子のアンドロイドもその一人。
しかし、そんな代用でつらさが紛れるものではなく、むしろ、我が子を想う気持ちはより一層溢れかえる。
どうか許して欲しい、でも、どうか幸せに生きて欲しい。
そんな親の気持ちは、もはやネバーランドに行ってしまった我が子には伝えることすらできない。
ただ、一つだけ手段がある。
タイムマシン。
これで、未来のネバーランドに向かい、成長した子供たちに、今の親の気持ちを伝える。
でも、この方法には大きな問題が一つ。
未来へは向かえるが、戻ってくることは出来ない。未来から過去へは行けないらしい。
親の気持ちをただ一方的に伝えるだけになるが、それでも親たちは、成長した未来の子供に、今の世界の状況、そして自分たちのその時の真摯な想いを伝えたいと強く願う。
ロイは自分がその伝令者となり、未来の子供たちに会う決意を固める。

ロイは、未来のネバーランドで子供たちと出会う。
時間旅行のショックで、記憶喪失気味になっており、自分の使命は忘れてしまっている。
そこは刹那という子供を中心に子供達だけの世界を立派に形成していた。
花鈴ももちろん、成長して元気に生きている。
機械いじりが大好きでちょっとお調子者っぽい子供、互いに支えあって生きてきたのか、愛情に近い信頼関係で結ばれている双子の兄妹、食事を作る担当の子供、・・・
各々がこの世界で役割を持ち、みんなで楽しく暮らしているみたいだ。
ロイもそこに溶け込んで楽しく過ごす。花鈴とはちょっと恋心を抱き合う関係になったりして。
ただ、このネバーランドは軍隊も持っている。
大人を憎み、いつの日か自分たちから、空を奪い、こんな地下に閉じ込めた大人たちと戦争を起こそうとしているようだ。
刹那は少し物心がついた頃に親と別れているみたいだ。恐らくは、刹那の親は、無理にでも子供たちをネバーランドに避難させるために、つらく悲しい気持ちを隠して、厳しく冷たく別れをしたのだろう。これが大人への憎しみにつながってしまっている。
他の子たちも、どうして自分たちはこんな世界にいているのか、自分たちの親の気持ちを知りたいと思っており、いつの日か、地上へ行って親と出会いたいと願っている。

ロイが乗っていたタイムマシンが発見されて、子供たちはそれを改造して、飛行機を作る。
空を飛び、地上の世界へ。そして、そこで大人たちと戦争をする。
刹那は、これまでの憎しみの気持ちが制御できなくなっている。
でも、地上にはもはや人はいなかった。はるかかなたまで続く荒地。
戦争。これが戦争だ。
この戦争から自分たちを守るために、ネバーランドは存在していた。
この時、始めて、自分たちの親は、自分たちを守るために断腸の思いで、悲しい別れをしたことを知る。
ありがとう、自分たちは幸せに生きています。
そんな子供たちの気持ちは、もはや地上にいる親たちに伝えることはできない。
ただ、一つだけ手段がある。
タイムマシン。
過去へ向かい、今の子供達のメッセージをかつての親たちに伝える。
そう、決断するアンドロイドのロイ。
タイムマシンは、未来へは行けるが、過去にはいけない。
恐らく、それは死を意味する。
それでも、過去へ向かい、自分たちが元気に頑張って生きていることを伝えたい。
ロイはまたいつの日か、出会えることを約束し、歌鈴、ネバーランドの子供たちとお別れをする。

タイムマシンが行き着いた先は、花鈴がまだ母親のお腹にいた頃。
鉄の欠片が、空から降ってきたことをニュースで伝えている。
そんな欠片を手にして、何かを感じる母親。

永遠に続くであろうループ。
大人たちは戦争を起こし、子供たちをネバーランドに送り込む。
ネバーランドで生きる子供は、かつての親たちの気持ちを知らずに、また憎しみから戦争へと向かう。
ロイは、現代で生まれ、未来のネバーランドで子供たちに出会い、過去の親と出会うことを無情に繰り返していくのだろう。
でも、いつの日か、そんな親子の想いは歴史を変えるかもしれない。
ラストは、そんな変わった未来の一ページが描かれる。
そこでは、ロイは花鈴と最後にした約束を、地上の世界で大人になった姿で果たしている。

親の気持ち、子知らずとか、親孝行、したい時には親は無しみたいな格言を思い起こすかなあ。
あの頃、理解できなかった、理解してもらえなかった気持ちが後になって、ようやく響いてくるなんてことはよくあることだ。
現実世界では、この作品のようにタイムマシンがあるわけでもなく、そんな互いの気持ちはいつの間にか葬り去られそうだが、実際は意外にこの虚構世界と同じように、時空を超えてきちんと伝わり合うなんてこともあるのでは。
私自身も、死んだ父親の自分の幼かった頃の想いがようやく、おっさんになった今、何となく理解できるようになったりしている。
もう、ありがとうも、反論も言えないが、そんな今の気持ちは、若かりし頃の父親になぜか伝わっているような気もする。だから、父親は自分のことを想ってくれていたのかもしれない。
長い永遠の時間軸の中で、8の字を描くように、太く固く結ばれていく親子の想い。そんな、想いのループを導くロイのような案内人がこの世にはいているかのようだ。
姿は見えないけれど、そうして時をまたいで想いを繋げているロイ。私たちが言う絆というもの自体の存在なのではないだろうか。

この作品の面白いところは、親子の絆だけでなく、恋愛要素も絡めている。
今、出会った人が、かつて想いを通じ合わせながらも、結ばれることのなかった過去を超えて、その絶対的な絆を持って繋がれるといった感じ。
これは、中心となる親子の想いという焦点をぼかしてしまっているところもあるが、行き着く先、親子、男女、そして人同士といったところにまで至る絆という共通認識として捉えることも出来る。
伝えられなかった言葉、気持ち。それは、決してどこかに捨て去られて消えてしまうものではなく、その想いを真摯に持ち続けている限り、輪廻の中、いつの日か、相手に必ず伝わるように感じた。

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