« 冷しちゃうか始めました【劇団ちゃうかちゃわん】130621 | トップページ | オレンジのハイウェイ【月面クロワッサン】130622 »

2013年6月22日 (土)

その十字路の先を右に曲がった。【ナントカ世代】130622

2013年06月22日 アトリエ劇研

閉鎖的に管理されているある農場を舞台に、そこで暮らす様々な人たちの姿が描かれている。
そして、その農場から、時折聞こえる外の声。
私たちは、どこへ向かってこれから歩んでいけばいいのか。
作品の原作が刊行されたイタリアの当時を思いながら、今、自分たちが置かれている時代を考えてみたくなるような作品だった。

<以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>

舞台はある田舎町の大きな農場。
季節は夏。刈り入れの時期を控えており、これから、益々忙しくなる。
ちょうど、今の時期、農場からは祭りの音が聞こえる。

  

農場主である主人はどこかに出掛けており不在。
奥様は家にいる。全てのことは主人に任せており、農場のことは全く把握していない。
古くからこの家に務める女中の婆やが一人。天然も含めて、少しボケ気味で、奥様は少々イラッとしている。首になる日も近いだろう。
住み込みで働く雇われ人。
農夫頭の男はずっと古くからここで働く。特に優秀でもなく、どちらかと言うと頭の悪い男だが、盲目に真面目一辺倒。下には厳格な態度で接する。
子供たちが三人。農場主の子供ではない。身寄りのない子をここに住まわせて面倒をみている。と言うと、聞こえはいいが、そうすることによって国から支給されるお金が目当て。忙しい農作業の労力ともなるし、農場にとっては一挙両得というところだろう。
子供のうち、一人は少し歳がいっている。ということは、もうすぐ支給されるお金も打ち切られるみたいだ。なかなか優秀で頭のキレる子で、帳簿なんかも任せられている。残りの二人の子の面倒見もいい。この先のことを自分で何か考えている様子。
残りの二人はまだ幼い。祭りの音。花火やサーカスに想像を膨らませている。もちろん、仕事があるので、遊びにはいけない。農夫頭にはいつもきつく命令される。実の子供ではないから、ケガをしても医者にも連れて行ってもらえない。不遇な環境でありながらも、今を子供らしく楽しんでたくましく生きている様子。
あとは、田舎町なので学校に行けないため、先生が出入りしている。怒りのパワーを電気に変えるなんて訳の分からない研究に取り組む一風変わった大学院生。真面目そうだが、奥様に言い寄られ、いい関係になっている。

  

そんな家に、ある日、農協の人がやって来る。
共済保険の話。
この家に泥棒が入り、盗難にあった保険金の申請があり、その調査にやって来た。
主人から話を聞きたいが、一向に戻って来ない。
出直すにも、祭りのため、帰るためのバスが動かない。
やむを得ず、この家にしばらく住まわせてもらって、調査を進める。
主人じゃないと分からないと話をはぐらかす奥様、厳しいだけで何も事情が分かっていない農夫頭。
話の要領を得ない女中。
ただただ、無邪気に日々を過ごす子供たち。
全くこの家とは関係ない先生。
主人と話さない限り、何も分からない。この家は、主人無しで何か進められることは無いのだろうか。大切な刈り入れだって、主人が帰って来ないからと言って一切手をつけていない。

  

調査は一向に進まない。
帳簿などを基に、徹底的に調べあげる。
漠然とした疑問が沸いてくる。
盗難など初めから無かったのではないか。
でも、裕福なこの家がそんなことをする必要性を感じない。では、なぜ。
イラダチが募り、ついに男は奥様に怒鳴り声をあげて、徹底的に追及を始めようとする。
迫力に驚き、身を引く奥様。
その時、畑の麦が荒らされたという農夫頭の報告が。
形勢は逆転する。
盗難はあった。麦。そして、その状況を調べるのがあなたの仕事。
しかも、ずっとただで住まわせている。朝ごはんの一つぐらいは明日から作って下さい。そして、主人が帰ってきたら、刈り入れの手伝いも。そう勝ち誇ったように男に言い放つ奥様。

  

翌日、エプロン姿ですっかり言いくるめられてしまった男の姿。
男は歳のいった子と話をする。その子はかばんを持って、出掛ける準備をしている。
荒らされた麦畑を調べた。倉庫からは、その荒らされた麦畑に相当する小麦の入った袋があった。
子供はかばんの中を男に見せる。これも、盗難ということに出来るかな。
この家から出て行かなくてはいけない子供の、これからを生きるためのたくましい策略に黙ってうなずく。

  

1950年に刊行されたイタリアの作家、チェーザレ・パヴェーゼの月とかがり火という作品を原作としている。
恐らくはその時代のイタリアを描いているのだろう。
恥ずかしながら、いつものごとく知識が無いのでよくは分からないが、第二次世界大戦、ムッソリーニによるファシズム政権みたいなキーワードが絡んでいるのだとは思う。

  

農場は戦時下、ファシズム政権下における一般市民の暮らしがそのまま描かれているのではないか。
富裕層に仕える貧民層。戦争により身寄りの無くなった子供たちが、貧困の中、たくましく生きていかなくてはいけない状況。
そして、同時に長きにわたるファシズムが生み出した、国家の厳格な管理による全体主義のような社会を表しているのか。
主人は、ムッソリーニによるファシズム政権解体後も根強く残る、支配、管理する力の象徴。たとえ、消えていなくなっても、それに、従おうとする人民が奥様や農夫頭のような人たち。

祭りは、自由主義や民主主義などの近代化の風が吹く外の世界の象徴か。
農場にあった大きな樹が無くなったので、その祭りの音がよく聞こえるようになったというような表現は、そんな風通しが良くなって、近代化の風を感じやすい社会になりつつあることをイメージさせる。

  

祭りの音が聞こえる方向にある世界に興味を抱き、今の町で生きる子供。そこを目指す子供。
そんな外の世界は音や景色としてだけ捉えて、現状の生活を過ごす大人。
見えぬ何かに従い、それに束縛されて生きる。それを望む奥様のような人もいるけど、そこに疑問を感じ始める子供のような者も。

  

子供たちは貧しい。
裕福なところから、ちょっと頭を使って金をかすめとって、未来を目指して生きていくたくましさ。
小銭でも、すぐもらおうとする幼き子供の姿からもそんなたくましさを感じる。
でも、貧困ということだけが、子供がこの社会から出て行こうとする決意を引き起こしているわけではないようにも感じる。
今の社会のままでは、自分が成長していかないということに気付いたことが、外の世界に目を向けるきっかけになったのではないだろうか。
それは、農協の男がやって来て、第三者視点で批判的にこの農場を冷静に分析しているところも影響しているかもしれない。
奥様は裕福だが、孤独という寂しさから、決して幸せのようには感じない。ある意味、貧しいとも言えよう。
町を出ることなく生きてきた農夫頭や女中の無能さも貧しさを感じる。
先生の怒りを電気にという発想も、単純に面白いのだが、怒りという原料が常に必要で、その怒り自体を無くす考えでは無い。今の社会で生み出される怒りはそのままに、それを巧い具合に社会に役立たせるという保守主義的な感覚を得る。
そんな、今のままでは、どこかで必ず行き止まってしまうような道を歩んでいる社会。

作品名は、だから、右に曲がったように感じる。

  

今の世の中に照らすとどうだろうか。
この作品の農場のような一面はあるように感じる。
でも、祭りの音は私には全然聞こえてこないのだが・・・
だから、この道が行き止まりと分かっていても、右には曲がれない。その道もまた、行き止まるような気がするから。
どうしたらいいものなのかと考える。
祭りの音が聞こえるように、この社会にそびえる大きな樹を切らなくてはいけないのだろうか。
そもそも、どこかで祭りの音はしているのか。
そうしても、聞こえないような気もする、どん詰まり感があるところは、当時の貧しく苦しい時代以上に、厳しい状況に自分たちは置かれているような気がする。

|

« 冷しちゃうか始めました【劇団ちゃうかちゃわん】130621 | トップページ | オレンジのハイウェイ【月面クロワッサン】130622 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: その十字路の先を右に曲がった。【ナントカ世代】130622:

« 冷しちゃうか始めました【劇団ちゃうかちゃわん】130621 | トップページ | オレンジのハイウェイ【月面クロワッサン】130622 »