金星の金曜日【劇団925】130527
2013年05月27日 インディペンデントシアター1st
喫茶店という場所、お金をテーマに創られた2作品のオムニバス。
描き方は、もちろん、両作品とも全く異なっているのだが、共に人の思いやりが浮かび上がるような話となっている。
大切な場所、大切な人。人生の中で出会う、そんな場所や人を想う心をブラックユーモア風、そして心温まるコメディーとして各々仕上げているような感じだった。
「まごころを君に」
妙齢の女性、マイコ。
いつかこんな日が来るだろうとは思っていたが、別れ話と一緒に何やらNASAが開発したとかいういかがわしい商品を売る仕事なんかを斡旋されて、すっかり混乱状態。
気を落ち着けようと、ふと辺りを見渡す。
そう、こんな喫茶店だった。
マイコが経験したちょっと不思議なお話。
マイコは語り始める。
あの町には2年ほど住んだんだっけ。
仕事のため、通学のためでも何でも無い。
ただ、自分を変えようと、全く知らない町で過ごした。
姉御肌でキップのいい女。人が引くくらいにお節介をしまくる。
本当は地味な性格なんだけど、自分を変えるためにそんなキャラになってみた。
町での初日、喫茶店で住民たちと出会う。
マスター、パン屋、酒屋の奥さん、散髪屋。
最初は、無理した感じの緊張感が漂っているのか、ぎごちない感じだったが、そのうち住民たちと心を通わしていく。
まだしていなかった結婚式をしてあげた、怪しげな町のイベントでも積極的に司会を、店の売り上げアップのための店の改名相談、疾走した父親探し、・・・、それはもうありとあらゆることを。
いつしかマイコの周囲には感謝をする人が集い始める。
お礼にこれをと、お金の入った封筒を渡そうとする住民たち。
受け取れない。お金をもらうためにしたことではないから。
そこで酒屋の奥さんが考える。
手にした紙切れ一枚。
そこに感謝の気持ちをしたためる。そして、ハートの形にして手渡す。
まごころです。感謝の気持ち。あなたが私にしてくれた大切な思い出が詰まっています。
それを見ていたマスターは、マイコに一杯のコーヒーをごちそうする。
お勘定はもちろん要らない。コーヒー一杯分のまごころ。お金にしてしまえば300円。
まごころという通貨が誕生する。
季節は流れ、住民たちのマイコへの感謝は益々大きくなる。
自ら、まごころを発行して、マイコに感謝の意を示す。その額も大きくなる。まごころのバブルといったところか。
今や、マイコの部屋にはまごころ一杯。
その数、約1000万まごころ。あれっ、チラシには100万て書いてるな。1000万だったように思うのだが。まあ、一応、こちらで換算して、お金にしてしまえば30億円か。
捨てるわけにもいかない。まごころだから。と言って、全てを使って、コーヒーを飲むわけにもいかない。
彼女は、このまごころを流通できないかと考え始める。
その考えに気付いた住民たちは慌てふためく。
いったい幾らのまごころを彼女に渡してきたのか。マイコからまごころを返してもらうにも、それだけのことをマイコにどうやったら出来るのか。
そんな中、マイコはまごころで人を雇い、最高においしいクッキーを作ることを考える。
マイコの持つ莫大なまごころ資本を費やして企てられた計画だったが、結局はうまくいかない。
住民たちが結集して開発したクッキーだったが、レンジで軽くチンしたカントリーマアムのおいしさにはかなわなかった。
でも、住民たちの中に、まごころを通貨のように流通するという概念は残る。
何かを頼むにしても、そのまごころを渡す。そして、頼まれる時はまごころをいただく。
まごころをベースにしたこの町の新しい社会システム。
しかし、そんなことが根付いた頃、マイコは周囲から煙たい存在となっていく。
もう、マイコにはあの莫大なまごころは無いから・・・
とても面白い作品なのだが、すごくモヤモヤした嫌な気持ちが残る。
不思議な作品で、まごころをやり取りするという、それはもう素敵な考え方なのに、どうしてこんな苦々しく、ブラックな話に展開されてしまったのか。
どのポイントで、どういった行動が、こんな結末を引き起こしたのかが、明確に分からない。それぐらい、違和感なく、スムーズに話は進んでいる。
これが怖い。人間の奥深くに潜む欲望や人への悪意など、影の部分が垣間見られるようで。
まごころをやり合って、幸せそうな町の人々。そんな光り輝いているところにも、暗い影が人にはいつでも潜んでいるという警鐘か。
まあ、結局はまごころを通貨に見立ててしまったことにより、欲望が顔を覗かしてしまったのだろう。
当たり前だが、まごころはお金では無い。元々、お金では無いということで、それをやり取りすることになったのだから、当然のことだ。
だから、本来は誰かから誰かに一方的に受け渡しされるもので、流通させるという概念自体が大きな間違いなのかもしれない。
まごころは受けとったら、それは心に刻むもので、形としては残らない。それを形として残るようにしてしまったスタートが悪かったのか。
酒屋の奥さんだな。悪いのは。
色々考えてみると、まごころ通貨は素敵なシステムではあるが、やはり根本的に無理があるのかな。
お金は受け取ると嬉しい。給料日とか嬉しいものね。働いた対価でいただくお金。でも、渡すのは嬉しくはない。実はすごくバランス悪いような気もするが、渡さないと生きていけない社会になっている。だから、お金は流通する。渡すから、受け取れるようにしないといけない。
まごころも受け取ると嬉しい。ありがとうって言われるとしばらく気分いいもの。誰かのためになることをして感謝としていただくまごころ。で、お金と違うのはこちらは渡すのも嬉しい。ありがとうって言うのも気分いい。
バランスがいいように思うが、別に必ず渡さないといけないものでもない。そもそも渡すために受け取っているものでもない。だから、本来は流通対象になるべきものではないのだろう。
渡す、受け取るという強制力が無きものは、人の善意によって生まれるもので、この話のように人を動かすことに用いられること自体が大きな間違いだったのかもしれない。
まごころを渡して幸せな気分になっていた住民。まごころを受け取って幸せだったマイコ。
逆にまごころを受け取る喜び、渡す喜びを互いに知れたなら、違う結末になるのかな。本当だったら、そうなってもおかしくなさそうなのだが、それを通貨に見立てたことで、そんな機会を逃してしまった感じがする。
「誰がために金は要る」
喫茶店。
面倒見の良さそうな明るい女性オーナーが経営している。
亡くなった母親はミュージカル女優で恋多き女性だったみたいだ。
その跡を継いで、2代目としてこの店を守っている。
常連客は、小説家を目指す男に、怪しい中国人。
いつもケンカばかりしているが、互いに友人もいないみたいで、この店が唯一の居場所となっている。
自分が成すべきこと、夢はしっかりと持っているのだが、色々なことがうまく行かず、停滞している人生の時をここで過ごしている感じだ。
オーナーはそんな二人を、迷惑がりながらもいつでも優しく迎え入れる。
しかし、そんな時ももうお終い。
さすがに経営が厳しい。地上げの対象にもなっているので、もう店を閉めるつもりだ。
それは困ると常連客。
たまたま、やって来た、ここで働きたいという女の子とともに、お店の再生計画を練る。
彼女もまた、不倫で傷ついて、これからもう一度進み出す前に、自分を見つめ直し、小休止する人生の時間帯に入っている。
と言っても、所詮、素人の集まり。いい意見は出ない。
結局、行き着いた先は、怪しげなショーをすることに。
まだまだ状況は厳しいが、そんな中でもオーナーは常連客、女の子たちの悩みを聞きながら、一緒に頑張っていこうと励ます。
着々と迫る地上げの勢力。
遂に終わりの時を迎える。
抵抗する常連客や女の子。
しかし、この地上げにはある人からのオーナーのことを考えた想いがあった。
亡くなった母親を愛した男。その男が、亡くなる前にその母親から頼まれていたこと。
その真実は・・・
喫茶店の面々が強烈なキャラになっており、話の筋に従って、気持ち悪いとんでもないショーを見せられるので、コメディー要素を前面に押し出した作品になっているが、奥にはとても優しいものが控えている。
各々にとって、大切な自分の居場所であるこの喫茶店。
お金にはもちろんかえられない大事な場所、時間。
だから、必死に守ろうとする。作品中ではむきになるという言葉が使われている。
この先、みんなどういった人生を歩み、うまくいくのか、はたまた悲惨な状況になるのかは分からないが、どうであれ、ここで過ごした時は、その道を進むために一度立ち止まった大切な時間である。
将来への不安を抱えながらも、今をむきになって頑張って、それをこれからの栄養にする。
そんな場所をオーナー女性はずっと守り続けて、与えていた。
でも、それは同時にみんなから、そして亡くなった母から与えられたものでもあったことに気付く。
自分自身もまた、この喫茶店での時間が、これから自分のための道を歩んでいくために、大切な時間だったということが分かる。
店は最後、閉店する。
それは、各人にとって、ここを卒業し、先の人生に歩を進めるスタートとなる。
むちゃくちゃだったけど、とにかく悩んで、頑張って、必死になって・・・
大切な仲間と時間を手に入れ、自信溢れ、これからの将来の希望に満ち溢れた各人の姿がラストシーンとなる。
地上げに対抗するため、ショーの準備を整える中で、各人が抱える様々な悩み、問題を、優しくくるむようにオーナーが聞いていく。
各人とオーナーが語り合うシーンはとても優しく、心が温まる。
一話目ではないが、受け取ったまごころは、各人の心に深く刻まれ、これからもずっと残されるのだろう。
だからこそ、みんな必死にオーナーのために、頑張ろうとする。まごころの受け渡しの正しい姿が、実はこちらの作品で回答されている。
そして、冷徹な雰囲気の地上げ屋の女性が、こんな一連をずっと外から見ている。彼女もまた、喫茶店の人たち、いや世の全ての人がそうであるように、人生の今の時を何らかの形で悩んでいるのだろう。
この一連の出来事の中で、彼女自身もまた、自分の人生を見詰め、これから先の人生に力ある目を向けられるようになったように感じる。その感謝の気持ちを表すかのように、彼女らしい不器用なたたずまいで、喫茶店の最後のショーのために花束を抱えてやって来るシーンは印象的である。どこか可愛らしくも、凛とした強さを感じさせるたたずまいだった。
この作品、基本的に女性は、こんな感じで、抱えきれないくらいのつらさを内面に秘めながら、凛とした強いいでたちで外面を出すキャラになっている。
反して、男は安易に子供のようにそのつらさを外に出して甘えてしまうキャラ。それでも、奥深くに自分の大事なものをしっかり持っており、言わなくてはいけない時は、声を張り上げて、自分の内面をさらけ出す。そんな姿は男として、とてもかっこいい。のだが、うまい具合にそう思わせないように、奇抜な恰好をさせているみたいだった。
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