モーニングオブザリビングデッド【アジア虫】130530
2013年05月30日 イロリムラ・プチホール
ゾンビという生きているのか死んでいるのか分からない存在となった三人の男女を描いた話。
そこには、人を愛し、愛される関係が歪み、自分の存在が揺らいでしまったかのような悲しい人間が浮き上がる。
そんなゾンビがいつでも生まれ出すような社会において、破滅的で切ない愛を感じさせられる。
<以下、ネタバレ注意。公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで>
登場人物はリコという女性、そのリコが愛する箱助という男、その友達でリコに気があるモヒカンという男。
前半の30分は、ゾンビになった三人の姿が描かれている。
と言っても、その姿は個々によって異なる。
リコはイメージどおりのゾンビ。生肉を喰らい、暴れるのか鎖でつながれる。そんなリコを愛そうとして、箱助が噛みつかれたりするのも、まさによく知るゾンビの姿である。
箱助は、よくありがちな噛まれて自分もなってしまったのかはよく分からないが、ゾンビではあるみたいだ。生肉しか食べれないのか、それを口にするが、嗚咽と共に吐き戻している。心ではゾンビであることを受け止めているが、体はまだそれを拒絶しているといった感じか。
そんな二人の世話をしているようなモヒカン。いたって普通の姿であり、設定としてはもしかしたらゾンビでは無いのかもしれない。が、この段階では、私は、ようこそゾンビの世界へといった感じで、仲間を受け入れるかのような余裕と、1人じゃなくなった安堵みたいなものが漂っているような感じであり、ゾンビ歴の長いベテランみたいなキャラとして見ることにしている。
いったい何が起こっているのか。
残りの30分でそこに至るまでの時間が遡って描かれる。
それはとても普通の三人の共同生活である。
この日も、持ち回りで食事を準備することになっているみたいで、リコが用意したサラダを食べている。
リコは箱助にベタ惚れみたいだ。求められたビールとかが無くて、箱助が何か気に入らない素振りを見せたら、とにかく謝る。好きであるというより、嫌われたくないという意識が強いような愛し方で、どことなく見ていて嫌な感覚を覚える。
箱助はリコのことをそれほど好きでも無いみたいだが、まあ付き合っているといった感じか。リコのそんな愛し方にはイライラしているみたいである。何となくそんな気持ちは分かるかな。度を超したこういう愛され方をすると、自分が好きなんじゃなくて、お前が誰かを好きということが重要なんじゃないかと逆に自分の魅力を否定されているような不安を覚えるような気がする。
そんな箱助のイライラに拍車をかけているのが、お邪魔虫のような感じで同居するモヒカン。幹を見ず、枝葉しか見ていないような、話の本質がズレた会話をする。良く言えばマイペースといったところなのだろうが、相手の存在をしっかり見ずに、自分の思ったままの言動をしているといった自己本位極まりない感覚でもある。
こんな生活模様が描かれるだけ。
それだけで、前半の30分の状態が生み出されたと作品では語っている。
別にゾンビが襲ってきたわけでもなく、何か怪しげな病原菌と接触して感染したわけでもない。
ただ、普通に暮らしていただけで、そこに潜むゾンビになる要素が三人の中に浮かび上がってきた。
ゾンビはいつでもそこにいる。
煽られる不安感。
三人は何でゾンビになってしまったのだろう。
他人に依存した自分。自分自身はどこにあるのか。その存在感が揺らいだ時、生きてるのか死んでいるのか分からなくなり、それにふさわしい存在であるゾンビになったみたいに考える。
何百回の無駄な告白を続ける中で、最後のリコへの告白をはっきりと断られ、生きてることも死ぬことも嫌になったモヒカン。ふられ続ける中で、ゾンビ映画に興味を持つようになったことからも、その兆候が見られる。
箱助が好きなリコ。彼が見て泣いたゾンビ映画。自分も泣くが、その理由は箱助が泣いていたから。彼のことが好きで好きでたまらない。でも、自分の感情はどこにいったのか。箱助ありきの自分の存在に気付き、生きているのか死んでいるのかが分からなくなったのか。
箱助はそれほどリコを好きではない。でも、彼女の体を堪能し、そして、そのことをモヒカンに見せたい。リコへの愛を受け取ることが出来ず、自分の存在をリコが好きなモヒカンより優れていることで実証して、自分の存在価値を見出そうとしているようだ。自分のことを誰が本当に認めてくれているのか。自分の愛はどこにあるのか。そんな不安感が自分の存在を揺らがしたかのようである。
感覚的には、リコは箱助を、モヒカンはリコを、箱助はモヒカンしか見ていない。悲しいかな、その逆である見られてはおらず、互いに一方向となっているみたいだ。
それでも、
全員、見る相手から得られる自分というものに存在を委ねている。
ある日、自分が見ていた相手が、自分を見ていないことに気付く。その時、初めて自分自身が自分を見詰めてみる。そこには、自分がどこかに消えてしまったかのような感覚を受けるのか。
だから、ある日、突然、そんな自分を見た時に、生死の狭間を彷徨う自分が浮かび上がってくる。
普通の日常生活の中で、何がために私たちは生きているのか。そりゃあ、もちろん生きているのは自分なんだから、自分のためだよと本当に自信を持って言えるだろうか。
そこに疑問を感じた時に、私たちは生きていると言えるのか。死んでいないから生きている。それでは、ゾンビと変わらない。だから、ゾンビになってしまう。
ゾンビになることで、始めて自分の存在をしっかりと感じ取れるようになった。
生肉を喰らう。だって、ゾンビだから。
ようやく得た幸せ。いや、本当はそうじゃない頃が幸せだったのか。
そんな不毛な幸せを感じながら、永遠の時を彷徨う姿に破滅的な切なさを感じる。
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