天王寺×10王子【東京ペンギン】130529
2013年05月29日 シアトリカル應典院
テーマは独創的で、その描き方もセンスがあるというのか、スタイリッシュというのか、なかなか面白い。
あることをパロった作品。パロったという言葉はこの作品を語るには不適切な言葉のような気がするが、いい言葉が出てこないので、感覚的にそんな感じということで。
パロといってもおふざけ一本調子では無く、むしろ引いた視点から冷静に、作品の世界を創り上げている。
踏み込んではいけないような領域にまで、話を展開し、ちょっと危険や過ぎないかいとハラハラさせられるような緊迫感が、時折、入り込むダンスシーンによって緩和される。
ヒットアンドアウェーのような演出で、巧妙に危険なテーマをえぐっている感覚に魅力を感じる。
大阪にある天王寺帝国。
東には遠い国、西には島のフォースアイランド皇国。
天王寺帝国には天王寺家という王家が存在する。
ある日、その王、つまりは天王が死んでしまう。
残された女王は悲しみにくれ、自暴自棄になっている。
王家に仕える女中はそれどころではない。跡継ぎを決めないといけない。
天王寺家の長男、天一郎。少し、しゃべり方は変だが、国のことを思った立派な考えの持ち主。
これまでのならいに従って、彼を次期天王に。
ところが、長男が銃弾に倒れる。
明らかな内部犯行。
犯人は誰なのか。残りの9人の王子の誰かなのか。はたまた、この混乱に乗じて王家に入り込んできた自称、頭のいい人が、他国のスパイとして起こした犯行なのか。
長男よりも自分が優れていると次期天王を狙う次男、天二郎。
何か王家の秘密を知ってしまったことで、すっかり引きこもりとなっている三男、天三郎。
頭のいい人と何やら密通しているみたいで、何かを企んでいる四男、天四郎。
フィリピンで衝撃を受け、今は南でフィリピンパブを営む五男、天五郎。
自暴自棄になっている母親に取り込み、性的支配で次期天王を狙う六男、天六郎。
こんな大事な時に、ヒッチハイクでアメリカらしきところを彷徨っている七男と八男、天七郎、天八郎。
女遊びが激しい九男、天九郎。
知恵遅れの十男、天十郎。
そして、跡継ぎ問題からは蚊帳の外の妹、天子。
次期天王を巡る兄弟の対立、跡継ぎになれない自分の存在意義に疑問を持ち始める妹、王家はもうどうでもいいような素振りをみせる女王、とにかく跡継ぎを決めて王家を守ることに執着する女中、自分の国の将来を背負って、ある情報を天王寺帝国から盗みに来ている頭のいい人。
各々の思惑が交錯する中、次期天王候補の王子たちは、激しい戦いを繰り広げる。
そんな中、この王家の重大な秘密が浮かび上がる。
それは、王家としての自分は、人ではないというような、王家の、そして自分たちの存在意義を揺らがすものであった・・・
結局は、王子たちはクローンであることが判明する。
知っていた者もいたみたい。
三男はそれを知り、引きこもるということで現実逃避をした。五男は、卓越した悟りの領域に入り、おかしな世界に身を投じたようだ。
もちろん、女王は知っている。だから、もう王家は終わりにしてもいいとやけになっている。
女中はこの秘密を隠し、とにかく王家がどんな形でも存続すればいいと考え、そのことだけに注力していた。
とっくの昔に、天王は戦争で亡くなって、その血は途絶えている。
それでも、天王は必要。だから、クローン技術をもって、それを維持していた。
スパイは自分の国もそんな王家の血筋が途絶える危機に直面しており、このクローン技術で問題を解決しようと考えたみたいだ。
最後、ずっと自分の存在意義を見詰めていた妹の手によって、王子たちが次々に殺されていく。自分たちの存在意義が揺らいだ王子たちも、覚悟するかのようにそれを受け入れる。
全てが終わり、静まり返る中、天百二十六郎が次期天王の指名を受け、その姿を現す。
王家の悲しい宿命か。
存在意義も何も無い。別にあなたじゃダメなら、代わりの人にしますからと言ったような、皮肉った終わり方。
極端に言えば、正当性さえあるなら、別に人でなくても構わないといった感じである。事実、作品の中では、女から生まれていないクローン人間でも、形としてOKだみたいなことから、こんなことになっている。
天王は象徴。改めて考えてみると、象徴なんて言葉の方が、よっぽど神っぽくないかな。どんな人格で、どんな能力を持っていてなんてことは構わず、形として存在してくれていれば、何かみんなの心の拠り所となるからみたいな。
そう思うと、昔の神として呼ばれていた頃の方が、こんな力があるから天王なんだみたいな感覚で、天王自身の存在意義がもっと感じやすかったのかもしれない。
アフタートークは、この作品の作・演の松本恭さんと笑の内閣の高間響さん。
派遣社員の経験なども交えて、自分の存在意義みたいなことを言及される。
自分じゃないとダメ、誰かが代われるものではないみたいな欲望は誰しもあり、それが完全に否定された世界で生きなくてはいけないという状況での精神状態はどんな感じになるのかなあと感じる。
不安で仕方ないだろうな。
松本さんはかなりお若い方で、よく言われるゆとり世代出身らしい。
横並びであまり飛び抜けないようにするみたいな教育になってしまっているというように聞いているが、そんな自分のいいところはここだ、ここは誰にも真似できないだろうなと思わせないような教育の中で、この作品みたいに存在意義が揺らぐことはあるのだろうか。
そんな厭世観を生じさせるような生き方からの脱却、自分の存在をもっと自分が自信を持って信じて喜ぼうよというような警鐘を含めたメッセージが込められているように感じた。
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