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2013年4月24日 (水)

ゴドーは待たれながら【ナイロン100℃】130423

2013年04月23日 ABCホール

ゴドーを待ちながらの、待たせている謎の男ゴドー側の視点から描かれた作品。
あ~、なるほど。こういうことであの人たちはゴドーを待っていたのかあ。逆の視点から物事を見ると、全体が掴めるのだなあ。
・・・なんて、あの不条理劇の正体がこれで掴めるなんてことには一切なりません。
ゴドーもまた、いつ、どこで、誰が待っているのかが分からない。挙句の果てには自分がゴドーなのかも分からなくなる。でも、誰かに待たれているのは確か。
そんな自問自答が延々と繰り返され、いつまで経っても、あの待っている人が木の下から離れないのと同じように、ゴドーも部屋から一向に出て行きません。
そして、そのまま話は終わります。

舞台となるゴドーの部屋は外へ通じるのは玄関ドアと小さな窓。
部屋には椅子、大きな木箱、曼陀羅華の鉢。
この中で、ひたすらゴドーは独り言を言いながら、自問自答し続けます。
その姿は不条理そのもので、そこにナンセンスな笑いを詰め込んだのがこの作品となっているようです。
と言って、人によるのでしょうが、大笑いし続けるような感じではありませんでした。
何に対してかはよく分かりませんが、不安、心配、憐み、哀しみなんかの感情が襲ってきて、申し訳ないけど笑ってしまいます。だって、あなたがおかしなことばかり考えて、喋って、動くから仕方ないですみたいな感覚でしょうか。

誰かが待っている。だから、出掛けよう。
いやいや、どこに。いつ、どこで、誰かをはっきりさせてからにしないと。
自分なりに解析して、人、場所、時間をはっきりさせようとしますが、やはり分からない。
いつの間にか、出会った時にどうなるのか、相手はどんな人なのかを妄想し始めて、行き着く先はいつも出掛けるのは辞めておこうといった結論に。
まるで、小さい子供が難癖つけてなかなか勉強を始めないみたいな感じに似ているかな。演者の大倉孝二さんもちょっと子供っぽい魅力があるような方だったし。
そんなことしている暇があるなら、行動に移せば早いのに。どうせしなくちゃいけないんだから。でも、言い訳ばかり考えて、勉強するのを逃れようとする、終いには妄想モードに突入して、勉強することが意味の無いことだから、してはいけないみたいな勝手な結論に達する。
こんな時、普通は親のゲンコツ一発で仕方無しに勉強を始めますが、ゴドーにはそんな人がいないところが憐れなところか。孤独の辛さというものは、こんな、何かあればすぐ夢の世界に逃れてしまう人を現実に引き戻してくれる人が傍にいないことにもあるかなと。

延々と同じ出て行かないという結論に達する議論が形を変えて繰り返されるだけなので、考え事をしていても話が進展してしまって取り残される心配がありません。
不条理劇は苦手中の苦手ですが、ある意味、どうせ分からないんだから、観劇中にちょっとボーっと出来るという大きなメリットはあるのかもしれません。
今回も、一幕の中盤に寝る、終盤に何かに当てはめてゴドーを観てみようなんてこちらはこちらで勝手な夢の世界と妄想の世界へと行ってみました。
休憩中は二幕に向けて、さらなる妄想の世界に自分が入るために、タバコを吸いながら考えを整理。
二幕はもうゴドーはどうせ出て行かず、グチグチと言うだけだからと、好き放題に色々なことを考えながらの観劇。たまに、まあ言い分はあるのだろうからと耳を傾けるといった感じです。面白い言い訳すれば笑うし、訳の分からないこと言ったら、もうほっておいて、私は私なりにゴドーを考えます。
ある意味、もう舞台上のゴドーを待っていない。待たれているなんて、優位性に立っていることを前半は言及していたようですが、タイミングがズレれば、もう立場は逆転して、ゴドーは待っているということになってしまっているしょう。
待たせると待つという相反する立場は、どこか境界線があいまいで揺らぎながら交錯しているのかもしれません。
二幕の後半、そんなこちらの気持ちを見透かしたかのように、急に客席の照明が点いて、舞台上のゴドーがこちらを見て話し出すようなシーンがあります。
もちろん、舞台は観てましたが、上記したようなあきらめに近い感じで、空想にふけったりしていたので、あっ、ごめんなさい。ちゃんとあなたを見ますからとドキっとしました。
どういう意味合いかは分かりませんが、創り手側の掌でうまく転がされているんだなあと感心。

一幕の終盤で、これは胎内をイメージできるかなあと。
と言っても、単純にゴドーが胎児で、部屋が子宮なんてことではありません。
胎児とかよりももっと前。生命となるのか、どうなのかといった段階ぐらいの話。
いつ、どこに、誰のところに行って、生命となればいいのか。
自分のことを待ってくれている人。自分も同時に生命となる時を待っている。
漠然としたこの考えは、休憩中もずっと考えており、何かの命がこの世に登場する時には、実はこんな狂おしい自問自答の末に決着をつけたものがやって来ているのかなあと思ったり。
まさに命は神からの授かり物、よく精子の数理論で言われる選ばれた一番の勝者がこの世に生まれるんだなあと。
二幕で生まれかわりや臨月の女性の話なども出てきて、その想像を勝手に膨らませていました。

二幕が開始してすぐ思ったのが、創世記。と、薬物中毒。
全然、相関しないことですが、曼陀羅華の実が無くなっていたので。
まず、曼陀羅華と言えば、華岡青洲ですね。麻酔薬だけど過激な効果を示し、妻に飲ませて失明させちゃったりするんでしたよね。同時にいわゆるトリップが出来るとか。昔、失業してにっちもさっちもいかなくなった時に、クスリの本を読んで、この曼陀羅華(チョウセンアサガオ)、ペヨーテ(サボテンで七色の幻想を見れるとか・・・)、ブロン(咳止め薬の何たらいう成分が麻薬らしく、数十本飲めばトリップ出来るとか。ただ、今はもうその成分入っていないらしい)などを探し求めた覚えが。
一幕には曼陀羅華の実が一つだけ残っていて、それを食べちゃダメ、毒だからなんてことがあったなあ。二幕ではそれが無い。そもそも、実が一つ。これはおかしい。ずっと食べ続けていたのではないか。
んっ、つまりゴドーは薬物中毒。これは単なる精神異常者の妄想を描いただけなのかなんて。

もう一つは、木に実がなっていたら、何となく想像してしまうアダムとイブ。
ゴドーはgod、神のことを示しているなんてことをどこかで読んだことがあるからでしょうか。
そこから、想像を膨らませると、創世記につながりました。
待ち合わせ場所も木の下だったはずなので、これはあのリンゴの木にゴドーは行かなくてはいけないのではと。
訪ねてきた子供。ずいぶんと純粋そうな声。
イメージしたのは、僕たちリンゴの実をそそのかされて食べちゃったんですけど、早く原罪だとか言って、エデンの園を追放しに来てくれないと世界始まらないんですけどといった感じ。
訪ねてきた子供がアダムとイブなんじゃないのと。
僕たちに死という定めを与えてください。罪深き人間による世界誕生をみんな待っていますから。
いつ、どこで、誰がか分からないなんて当たり前です。
いつは、あなたが来た時が時の始まり、どこでは、これからあなたの手によって創られる場所、誰がはこれからあなたが創り出す人間たちなのですから。
まだ無なので、答えはまだ無いのです。
お願いします神様みたいな。
実は神も人間と同じように、最後の曼陀羅華の実を口にして始めて、創世記が始まったなんて感じかな。
ゴドーは確かに
神を思わせるところもありますね。
日本風にしているのか、宝が入っているとかいう木箱の上で寝る姿とかは涅槃のポーズを思わせられました。

よくは分かりませんが、待つ、待たされる。期待する、期待されるといった間で苦悩する何者なのか分からない男の姿を見ているだけで何やら面白味を感じる作品でした。
それを楽しんでいればそれでいいと、演出のケラリーノ・サンドロヴィッチさんも当日チラシで書かれているので、ナンセンスな笑いにクスクスしていればOKなのでしょう。

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