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2013年1月26日 (土)

よぶには、とおい【桃園会】130125

2013年01月25日 アイホール

観劇して何となく思い出した二つの作品。
一つは、もうだいぶ前のPM/飛ぶ教室の会えないで帰った月夜。
この頃はまだブログを書いていなかったので、頭の中の記憶しかない。
静かで厳粛な空気の中、死者を慈しむ残された者たち。同時に死者の残された人たちへの、生きて欲しいという祈りを感じさせる優しい作品でした。
今回拝見した作品中の、生死の間にいる者、それを見守る者たちの、互いに思いやった優しい雰囲気が記憶を思い起こさせたのでしょう。

もう一つは、昨年のスイス銀行のラブソングでも書いてみる(ヒマだから)。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/120514-5d4b.html
これはそのまま病院の屋上を舞台に、死を意識させながら、残される者、去り逝く者の姿を描いた作品。記憶がよみがえってくるのは当然かもしれません。
病院で死んでいくこと、その時、残される家族、友達、恋人たちが向き合うべきことを真剣に考えさせられる点が似たイメージを持ちました。

前者は静かで厳粛な会話の中、後者は笑いに包まれた楽しいやり取りの中で、そんな死を見つめる結末へと話をもっていきます。
この作品は・・・
何でしょうか。桃園会、深津篤史さんの作・演ですから、何やら不思議な世界には連れて行かれます。
お前、誰なのみたいな女性も登場したり、詩的な描写も多用され、いつもながらの困惑を避けることは出来ません。
その中で、感じることは、やっぱり前日拝見したblue filmと同じく美しい世界の中でといった書き方になりますね。
さして芸術センスも無き人が美しいだなんて、死を描いているのに美しいというのは死を美化した冒涜かみたいなことを思わないでもないですが、そう感じるものは仕方ありません。
死を描くことで、同時に生も描いているからでしょうか。もっと言えば、生の人を描いているからでしょうか。
いずれはたどり着く場所とはいえ、その死が目の前に迫って来ていることを感じる人たちの不安に、その死とはまだ遠く離れた場所にいながらも、家族・友人・恋人の死を感じることで、その死を同じように目の前に感じてしまう生きている人のとまどい。
病院という、生と死が混在する特殊な空間において、見えるはるか遠い景色、時折、聞こえてくる鈴のような澄んだ音。
そんな物が全て美しい描写として映ります。

死を通じて、今、生きている世界の尊さを伝えようとしてるのでしょうか。
今、こうして、仕事のかたわら、ブログを書いていますが、こういった深く考えさせられる難解作品の感想はなかなか筆が進みません。
さっきから、ここまでの文章を書くまでにも、何度も外に出て、景色を見ながらタバコを一服しています。

いつまで、こんな気持ちが続くかは分かりません。
外の景色がとても澄んでいて美しい世界だなあと思うのです。

舞台は病院の屋上。
ベンチと、誰が持ってきたのか、海で日光浴する時みたいなリクライニングチェア。
洗濯された真っ白なシーツが干されています。
入院患者が訪れ、ちょっとした会話の場になっているみたいです。

入院患者は3人。
あと、入院患者なのか、島田さんという謎の女性。
リクライニングチェアでいつも眠り、目を覚ましてもアンニュイな感じです。
入院患者、その見舞い客が、この島田さんと会話をしながら、そして鈴のような音を共に聞くことで、話を進めています。

金原さん。この人は登場しません。
屋上に来れなくなるくらいに、容態が悪化して個室に移ったからです。
島で暮らしていましたが、ここ、本土の病院に移ってきています。
悪化する前は、他の患者さんとお話の会とやらを開催し、この屋上で島のことなどをみんなに語っていたみたい。屋上は見晴らしがよく、ビルの隙間から遠く彼方に海が見え、それを楽しみにしていたようです。
見舞客の男。遠山という苗字です。金原さんは実の父。でも、もう何十年も会っていません。
幼き頃に離婚して家を出て行ったようです。
父には、やはり恨みがあるのか、会うのに抵抗があるみたいで、妹と少し揉めています。
もう一人の妹。腹違いの子供らしく初めて顔を合わすことになります。
彼氏を連れて見舞いに来ています。彼氏は部外者気取りで、とりあえず付いて来ているだけというスタンスを保とうとしています。

鈴のような音が、遠山という男にも聞こえます。
ヒバリのような鳴き声。幼き頃の島での父との思い出なのでしょうか。そして、今、死を目前にした父も同じ音を聞いているのでしょうか。
長年の時間は、父への恨みを蓄積もしたのかもしれませんが、同時に父への想いを深め、幼き頃の記憶をより深く刻ませたのかもしれません。
そんな遠山は、もう語り合うことは出来なくなってしまった父ではありますが、最後に見つめ合い、その死に対しても向き合うことが出来たようです。
腹違いの妹と彼氏は、本当に心を通じ合わせていません。理由はよく分かりませんが、生い立ちなど色々と考えることがあるのかもしれません。きっと、向き合うことが怖いのでしょう。でも、この屋上で死と向き合う人たちを見て、その心を溶かしていったみたいです。今、生きている。そして愛し合っているからこそ、言葉で伝えあいたい。そんな気持ちが芽生えたように感じます。

高木さん。まだ30代の若い男。
姉が面倒をみに来てくれています。
職場の同僚なのか、男と女も。
女は高木さんに恋心を抱いています。でも、それを本人に告白することはしません。きっと病気は治る。そんな願いは決して捨ててはいないのでしょうが、同時にこれから起こることへの覚悟も持っているのでしょう。どうしようもないつらい気持ちを心に秘めて、高木さんを見つめています。
男も同じ感じでしょうか。高木さんも恋愛感情を持っていた一人の職場の女性。今、男はその女性と付き合っています。その子を見舞いに連れて来ようとします。罪悪感みたいな感じかな。自分は生きる。そして、彼はきっと死ぬ。その現実を乗り越えるために、自分はどうしたらいいのかを迷走しているようです。

高木さんには鈴のような音は、海で貝殻を踏むような音に聞こえるみたいです。
みんなでまた海に行きたい。でも、きっとそれが実現することは無いだろう。
自分の中にだけ秘めた楽しい思い出と共に、そんな不安をほんの少しだけ取り除いてくれる音を感じながら、死へと歩みを進めている切ない悲しい響きです。

渡辺さん。車椅子の中年女性。
すいませんが口癖の人の良さそうな元夫がいつも面倒をみてくれています。
夫婦だった時はケンカばかりだったようです。
今、残された時間を、あの頃を取り戻すかのように、優しく向き合っている男女の姿がとても印象的。
どうか、二人の時間をここで止めてあげて欲しい。そんなかなわぬ願いも口にしたくなるような感じでした。

渡辺さんには、鈴のような音は洗い物の時の食器のぶつかる音に聞こえます。
元夫も同じみたいです。
ケンカして、気の弱い夫は洗い物をしながら、PRするかのように音を立てていたのでしょうか。
そんな音を聞いて、渡辺さんは、まだ腹を立てながらも、ちょっぴり反省して、夫と同じようにごめんねと言おうかななんて思っていたのかもしれません。
今、向き合って初めて知る二人の大切な時を、思い起こす音は、二人にとって同じものだったようです。

最後は、みんな各々の死を迎えたことがほのめかされます。
もちろん、深い悲しみは感じるのだが、去り逝く者、生き残る者の声をここに至るまでに聞いてきたので、静粛な気持ちでその死を見つめる。同時に生きる人も見つめる。

鈴のような音。
死が目前に迫った人、そして、大切な人を失おうとしている人が聞こえる。
それは、言葉で伝えあうことが出来なかった互いにとって、共通した声として聞くようなものに感じられる。
信田さんは何だろう。
存在していないぐらいの幽霊みたいな描写もあれば、普通にみんなと楽しく会話する人間として描かれていたりする。
言ってみれば、ちょっとした神様みたいな感じである。
彼女は、屋上を訪れる死を身近にしてしまった人に対して、その人のための音や風景を伝える。
どこかから聞こえる鈴のような音、遠くはるか彼方にかろうじて見えるような海。
悲しみの現実を癒す神なのだろうか。
死は避けられない。でも、生きていて欲しい。悲しい。つらい。神様、どうにかして・・・
死を回避させてあげることなんか神様でもできない。だから、去り逝く人と共に生きたことを感じて、見送ってあげて欲しい。そして、あなたはその死を見つめて、自分の生を進めて欲しい。
そんな祈りをこの屋上でみんなに彼女は与えているような気がする。

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