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2013年1月18日 (金)

人の香り【燈座】130117

2013年01月17日 ウィングフィールド

母、河東けいさん(関西芸術座)、娘、条あけみさん(あみゅーず・とらいあんぐる)の二人会話劇。
義足の娘が出会ったひどい事件、過去の二人が経験した家族の出来事を徐々に明らかにしながら、厳しい世の中で各々の立場で強く前を向いて生きようとする二人の姿を描いているような作品。

ベテラン女優さんなので、舞台に惹きつける強烈な演技はもちろん見どころ。
さらに、新人戯曲賞とやらで最後の最後まで残ったという、会話からの物語とは別にもう一つの話を生み出すような巧妙な作りも魅力。

(以下、ネタバレしますので、公演終了まで白字にします。公演は日曜日まで)

舞台はある家の一室。
初老の母と妙齢の娘で住んでいるみたいだ。
お上品なソファーに落ち着きある整然とした雰囲気。
机には薔薇が飾られている。
庭には母親が世話をしている薔薇が咲き誇っている。

母親は元教師。今は、引退しているのか、仲間内で地域の朗読会を楽しむような日々を過ごしている。
娘は、幼き頃の髄膜炎の影響で片足が無い。今は、作家として家で仕事をしているようである。
二人のたたずまい、家の雰囲気から、
恐らくは、まずまず上流の家庭であることをうかがわせる。

そんな二人が重苦しい雰囲気で部屋にいる。
娘は冷静を装っている感じだが、母親にきつく当たる。飾られた薔薇も気に入らないみたいだ。むせ返るような匂いに嫌気がさし、片づけるように指示する。
母親はそんな娘にもどかしいイラだちを醸す。

この状況はチラシに書かれている言葉から、どういったものかが分かるようになっている。
娘はラブホテルで義足を盗まれたらしく、母親に助けを呼んだ。
母親は急いで駆け付け、家まで連れ戻した。
そして、いったい何があったのかを聞き出そうとしている。
場所が場所だけにそれなりのことがあったのは間違いないだろう。乱暴されたのか。そう問い詰める母親に娘は単にSEXしただけ、そして義足をマニアだったのか盗まれてしまっただけだと言って、真相を明かさない。

話はそこから、どこか現実から目を背けてしまっているような母親の核心を避けようとする会話と娘のじわじわと真相に迫っていくような会話がぶつかるような形で、この事件の真相に迫っていく。
朗読会を楽しみにしている、その面倒を見てくれている若い人が薔薇をプレゼントしてくれた、その人はちょっとあなたに気があるみたい、いい人なのでそんな人と一緒になってくれたら。場を和まそうとしているのか、自分の楽しみを妄想で膨らませるかのように無邪気に語る母親。
朗読会で話すつもりのオーヘンリーの最後の一葉。自分の死をもって、少女を救ったいいお話。でも、そんな話を創った作家は横領で捕まるような悪人だけど。私が創った作品でも読んでみる。ドライブ中に事故を起こしたけど、それを助けてくれる人がいた。その人たちは強盗団。でも、とても紳士的に扱ってくれて、自分たちに危害は加えないかもしれないと思っていたが、最後にはやはり殺される。今回の事件そのものを語っている。事件を第三者的に話すことで、何とか冷静を保っているような感じである。

ついに娘の口から、真相が語られる。
朗読会の面倒を見てくれている人、薔薇をくれた母親のお気に入りの人。
善人の象徴のようなあの人が、全て起こしたこと。
あの人は、例えば、白い杖を持った人の杖を蹴り飛ばせばどうなるかなんてことを考える狂気的な人だった。

偽善なんて言葉をちらつかせながら、事件の真相は明かされる。
そこから、二人の過去が語られ始める。
母と父の確執。
知らずに浮気相手との間に生まれた娘の個展に連れて行かれ、その事実を知らされたこと。その人のことがずっと好きで、本当は一緒になりたかったという父の本当の気持ち。
髄膜炎を患い、すぐに病院に連れて行こうとしたけど、同じことを父も考えていて、なぜか自分が父よりも勝ったという気持ちが芽生え、処置が遅れたということ。
そんな母を娘は、自分が悪かったように話すけど、結局いつも人のせいだと思っており、その人を責めている。あなたのせいじゃないよって、言って欲しいだけじゃないかと。
このあたりで、ふと気づくとお二人の役者さんが鬼のような形相に変わっている。
それまでは母親は、どこか表面的なところがあって、嫌悪感を持つのだが、確かに母親ってこういうところあるなあなんて、等身大の少しユーモラスな母親像を映し出している。
娘は時折、爆発しそうな感情を抑え込みながら、冷静にプライドを持った凛とした姿でいる。
それが、別にそんなシーンは無かったはずだ。髪を掻き毟るなんてことしてないはずなのに、ボサボサの鬼気迫る感じに変わってしまった。恐ろしい。

感極まった母親は庭に出て、丹精込めて世話をした薔薇をめちゃくちゃに踏みにじる。
父と娘がいつもその薔薇を見て、香りを楽しんでいた薔薇の庭。
離婚の時も、娘はこれだけは残して欲しいと懇願したものだ。
だから、これまでずっと大切にしてきたのだが。
このシーン、どこか覚えがある。何だったか思い出せない。小説だったか、何か絵が頭に浮かぶので漫画だったかもしれない。
夫の死後、浮気相手が訪ねてきて、同じように本当の夫の愛はその人に向けられていたことを知る妻が、夫が大切にしていた庭のアジサイを梅雨の時期で雨が降り注ぐ中、憑りつかれた様に踏みつぶしていく。
変えようのない過去を消そうとするのだが、その残骸にすら、過去の情念が感じられ、消し去れない過去の人の想いに心を痛めるようなシーンだ。
この作品の場合、想像すると、真っ赤に散らばった薔薇の残骸、かつ、テーマにもなっているだろう残る香りがその狂おしい想いを浮き上がらせるような感じである。

ようやく冷静を取り戻した母。
同時に娘も、そうなっている。
娘はペンを取る。
この事件のこと、そして義足のことをずっと書き続けてやるという決意の下で。
それを見守る決意も新たにしたような母親。
二人の負けてなるものかという強い意志を感じさせる終わり方である。

香りをベースにしている。
むせ返るような薔薇のにおい。
娘は、あの男の香りがそれで
消えてしまうことを嫌ったのだろうか。
自分の意志でそうすることは、つらく苦しいだろうに。
それを記憶にとどめ、それも生きてきた中での自分の香りの一つだとする強い信念を感じる。
母親はあまり強い人では無いような気がする。
薔薇を踏みつぶすことでその香りを断ち切るつもりだったのだろう。とっさにそうしたくなったのだろう。
でも、その香りは現実にもしばらく残るし、記憶にはずっと残る。
過去を消し去ることは出来ない。それと向かい合うなんてことは、自分の香りの中に取り込んでしまうぐらいの覚悟が必要なのかもしれない。

この作品はメタファー作品らしい。
と、舞台監督さんが言ってた・・・
私はその言葉を聞いていなければ、話のままに観ていただろうから、実際のところは深くは感じられていない。
ただ、当日チラシの脚本の石原燃さん、演出のキタモトマサヤさん(遊劇体)の言葉からは、3.11を思い起こさせようとはしているのだと感じる。

この事件は、震災以降の日本の社会をミクロで捉えているのではないか。
マクロの視点では、震災後の日本は、本来、日本が誇る思いやりの心が溢れ、人との絆が深まったように見える。実際に、少々、自分が犠牲になっても被災者のことを救ってあげたいなんて言葉は色々なメディアから見聞きする。実際に起こされた行動も目にする。
これは、作品中の薔薇が咲き誇る庭を持つこの家みたいな感じかな。
遠くから観ていたら、幸せそうな家。薔薇も美しく、きっと近づけば素晴らしい香りを醸し、人々の心を癒してくれるだろう。きっとそう思う。
でも、焦点をどんどんと当てていき、部屋の中にまで入り込むと、こんなことになっているのだ。
あの美しく見えた薔薇だって、人をむせ返らせるような香りを出している。
そこにいる人は苦しんでいる。

震災以降の被災したような日本人がそこにいる。
義足という傷ついた姿。
突然襲い掛かった髄膜炎、そして今回の事件もこじつけっぽいが、二大震災に置き換えてもよさそうである。
周囲の目を気にしながら、色々なことに気遣いながら生きている。
そんな中、善にもたれかかれば、こんな仕打ちを受けることもある。
それを知ってるからか、母親はもうこれ以上、つらい思いをしたくないから、核心に触れないような日々を過ごしている。でも、こんなことが起こればそれも崩れてしまい、そこから過去のことも思い出されて、完全に崩壊してしまう。心優しいけど弱くて脆い日本人の姿がうかがえる。

綺麗事はどこかのメディアに書かせればいい。
自分が書くこと、伝えたいことは、本当の姿。
もう大丈夫ですよという見せかけの姿では無く、いまだ、これからもずっと闘わなくてはいけない人達の真の姿を描き出したいような作品なのかなと感じる。

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コメント

詳細なご感想をありがとうございます。
ようやく私も本年のブログが追いつきました。
実はまだ昨年末最後の高校演劇中部大会が残ってますが…
劇中、娘が語る話は創作ではなく、アメリカの作家フラナリー・オコナーの代表作『善人はなかなかいない』と言う小説です。
O・ヘンリー、脱獄犯、父親、浅井、と、劇中に登場する男性は表面的な態度とは裏腹に、女性を裏切る行為を平然と為し、それぞれがメタフィクションとなっています。
義足は女性、或いは人が人生を歩いて行く上で必要不可欠なモノであり、具体的に身体障害を指すだけでなく、心的障害や何らかの依存症のメタファーです。
心の拠り所とした人に裏切られた時に、何を支えに生きて行くかと言う答えを描いた作品でもあります。
『最後の一葉』で絵に描いた葉と散った木の葉、毎年咲かせた薔薇の花と全て切り落とした薔薇、柔らかな日の匂いを含んだ洗濯物と部屋中に散らかされた洗濯物、見せかけの幸福と真実の姿を露わに表現しています。
メタファーを紐解くには格好の作品ではなかったですか。
他にも巧みな仕掛けがたくさんある作品です。
お楽しみ頂ければ幸いでした。

投稿: ツカモトオサム | 2013年1月19日 (土) 14時49分

>ツカモトオサムさん

コメントありがとうございます。

お久しぶりにお顔を拝見しました。
盛況でしたね。

ちょっと震災を意識しすぎた感想になってしまってますかね。
まあ、コメントいただいたところは、まずまず感じることができているような気がしています。

そんな作品があったのですねえ。
何という厳しい話を・・・
フラナリー・オコナーを少し調べてみましたが、この作品の娘と似たところが少しありますね。
これも、そんな「善人はなかなかいない」なんて作品を描いてしまう可能性のある作家としての娘と同一視したところがあるのでしょうか。

洗濯物は全く気にして見ていませんでした。
そう言えば、想流塾とかでも、洗濯物を幸せの象徴なんて捉え方をした作品があったような。

後から言われて気づくような隠された仕掛けも含めて、やはり面白味のある作品だと思います。

ありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2013年1月19日 (土) 23時11分

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