リチャード三世【トイボックス演劇プロデュース】120802
2012年08月02日 門真市民文化会館 ルミエールホール 小ホール
まあ、難しいとは思っていたので、事前に簡単なあらすじぐらいは調べていったんだけどね。
それでも、全然、歯が立ちませんでした。
いつの時代も一夜漬けのもろさを味わうものですな。
でも、かなり分かりやすくしているみたいです。
伝えようと思っているところにかなり焦点を絞っているのではないでしょうか。不要なところはうまい具合にそぎ落とし、ある程度の時代背景を理解させた中、このリチャードという男が描かれているようでした。
あらすじや歴史的な背景に関しては、ネットで調べたら驚くほど詳細なページがありますね。
さすがはシェイクスピア作品。マニアとも思えるぐらいに、深く愛する人が多くいるようです。
そんなページを軽く見ての観劇だったのですが、かなりイメージと異なる感覚を得ました。
醜い容姿がために、自らを悪と称し、徹底的に汚く残忍な行動から王の地位を奪取するリチャード三世。そんなことをして手に入れた物は全て偽り。愛されてもいないし、愛することも無い。誰からも祝福されていないし、目的を果たして喜んでもいない。何がために、こんなことをしたのか。そんな見せかけの栄光は、やがて、嘲笑われるかのように、裏切りの中で悲しい最期を迎える。
感覚的には、リチャード三世は究極のエゴイスト。悲しい末路は当然のむくいで、そんな憐れな人間の姿が悲劇として描かれているように思っていた。
でも、今回の作品を観た限りでは、そんなことを全然感じない。
他の作品を観たことが無いので、比較できないのが残念であるが、一般的なリチャード三世はどんな感じで描かれた作品なのだろうか。
確かに登場人物の大半はリチャード三世の手によって殺められている。それだけで、残虐な男であることは間違いないのだが、不思議とそうさせた周囲の方も悪いんじゃないのといった感を私は持った。
椅子を使って幽閉される塔の階段を表現したりとかは、まさに演出の亀井伸一郎さん(カメハウス)らしい、斬新なところが垣間見られるのだが、幼き頃のリチャード三世を残虐な行動の中で王位を掴もうとする今のリチャード三世と並行して見せるようなところは、オリジナルもそうなのかな。
実際は騙して殺してしまう兄、クラレンス。自らの醜悪な容姿に不安を抱いて、そんな兄の胸に顔をうずめて泣く幼きリチャード三世。それを自分が守るから大丈夫と優しく微笑むクラレンス。
堀江勇気さんと谷屋俊輔さん(ステージタイガー)が演じられる。両役者さんとも甘いマスクに男らしさを感じさせる方で、そんな二人の姿は非常に微笑ましく幸せを感じる。
こんな幼き頃の姿が、今のあまりにも残酷な状況を生み出すとはとても思えないのだ。何かの間違い。悪い夢を見ているのではないかと思える。
時代がそうさせたのだろうか。醜悪なリチャード三世の姿を外観だけで判断するような、情けない周囲の人にしか恵まれなかったからだろうか。
本当だったら、こんな幼き頃の姿のままで進む人生もあったのかもしれないなと思うと泣けてくる。そう考えると、周囲の人たちの方がよほど邪悪で、殺されるのもある意味では当然のむくいだとすら感じてしまう。
この作品を観た限りでは、そんな悲劇の人生を選択する運命にあったところに哀しみを感じた。
戯曲のような作品が時代を超えて、何回も公演され続けるのは、こんな面白味もあるのかなと思う。
戯曲は物語の素材であって、それを使ってどう料理するかは、その時にその作品を創る人にゆだねられる。
リチャード三世を異常な残虐者として描くことも出来るだろうし、今回の演出の意図に反しているのかもしれないが、私が感じたように決して悪くない、哀しき人だと描くことも出来るだろう。
今の絆が失われた時代への警鐘のようにすることも出来るだろうし、典型的な勧善懲悪の話に持ち込むこともできる。
こんなところも演劇の不可思議な魅力の一つだと感じる。
ただ、それを味わうための最低限のお勉強は必要で、もう少し、この作品の勉強をしておくべきだったとは反省している。
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