建築家M【京都舞台芸術協会プロデュース2012】120702
2012年07月02日 京都芸術センター・フリースペース
難しかったけど、非常に興味深かった。
田辺剛さんの戯曲を二人の演出家によって各々作品を創る。
筒井加寿子さんと柏木俊彦さん。
本当に違った形になる。
同じセリフしゃべってても、その動きや状況、これまでの流れが違うと全く異なる印象を受けるんですね。
こういうのが演出ってことなのかなあ。
アフタートークが、面白かったですね。
ゲストの方のフルネームが失礼ながら分からない。くるみざわ・・・さん。劇作家でもあり、精神科医でもあるんですって。
自分がどう考えられたかを、想像も含めて具体的に話されたので、非常に興味深かったし、勉強になった。そうそう、ここまで具体的に言って欲しいんですよ。私にとっては実に実りあるトークでしたよ。変にぼかしたアフタートークが多いから。
京都の最近のアフタートークは良いですね。この劇場で、前回拝見したカムヰヤッセンのアフタートークでの月面クロワッサンの作道さんも良かったし。こういうトークは非常に意味がると思います。
以下の感想、少しここで話された内容からヒントを得ています。ついでにちょっと言葉もお借りしています。
舞台は、現代の日本からは時代も場所も遠く離れた架空世界。
外の世界に住む建築家が村長の家を建てるという仕事の依頼を受けて、そんな世界にある村にやってきます。
村長の家に居候して仕事開始です。
その家には、村長の妻、そして家になかなか帰らない娘がいます。
村長の部下である議員に命じられ、設計図を書きますが、何回も書き直しをさせられる。
問題は犬。村長が飼っていた犬が行方不明になっており、その犬が住む場所をどうするかでもめる。
この村では、村長の犬は神みたいな存在になっているようで、丁重に扱わないといけないらしい。
このままではいつまでたっても終わらない。
娘はこの村がおかしいことを知っており、過去の建築家も全員逃げ出したことを建築家に伝える。そして、いつの間にやら男女の関係に。
犬を探すために、自分と同じように犬ハンターが呼ばれているが、本気で見つけるつもりがあるのか、仕事は一向にはかどらない。
建築家は設計の前にまず犬を探さないといけないと決断します。
犬は村の背後に広がる深い森にいるはず。
娘とともに犬探しを始めようとしますが・・・
こんな感じのあらすじ。
各キャラは演出によって異なります。そして、すじは同じでもその展開のさせ方や、そこから感じることは全く別物です。
以下に、各作品で感じたことを。
筒井作品。
後方の何か入った吊下げられた数々の袋が印象的な舞台。
これは後に分かるが、よそ者排除の描写を強く感じる。
冒頭にこの家族、村では少し考えを異にしている娘が袋に入れられてから話が始まるのも、そんなことを感じる。
村長にお世話になっている議員や妻の態度が威圧的で、建築家は気弱で真面目な感じになっている。
アフタートークでも少し言及されていたが、どこか閉鎖された村社会の宗教的な雰囲気が漂っており、男女の性描写とかが妙になまめかしい。娘の清楚な外観とは裏腹に性欲求の強さがうかがえる。建築家に触れる指先の動きがエロい。妻も貴婦人っぽい感じだが、明らかに議員と肉体関係があることを思わせている。
キーワードとなる犬も死体で発見されるが、これも宗教の儀式のように、村人に殺されたことをイメージさせられる。
ハンターが仕事のかたわらに獲ってくるイノシシやウサギなども奇妙な食肉文化が閉鎖したこの村社会であることを想像させる。
村の外からやってきた者が迷い込んできた獲物のように思えてくる。
建築家は見事にその犠牲になってしまうが、ハンターは生き残る。こちらは建築家と違って強い。というか、汚くずるがしこく振る舞っている感がある。
娘はどこか人を騙しているようないかがわしさを感じる村が嫌だったのだろうか。実行動としては宗教的な儀式のようなSEXで二人は接触するが、外からやってきたまともそうな建築家に本能的に救いを求めて恋心を抱いた感じがする。
建築家が犠牲となり、うっすらと目にためる涙は、この人も自分も救われたかったのに、その願いかなわず、またいつもどおりの村の日常が始まる悲しさと同時に、純粋に建築家を愛し始めていたように思えるのだが。
ここでの建築家やハンターは、柏木作品で後述するが、実際にその職の人のように見える。
どこか残酷な童話のような印象を受ける。最後は悲しみよりもぞっとする感じで終わる。
柏木作品。
上述した筒井作品と異なり、あまりよそ者排除の印象がない。
外の世界と隔離された村のある家族の崩壊を描いているような感じである。
キーワードの犬も家族の絆のようなもののメタファーとしてとらえれるような気がする。
娘や妻は心のどこかでこの絆が壊れていっていることを悟っており、外の世界から来た者に救いを求めるような感じである。筒井作品と同様に娘は建築家に接触するが、その様はどこか男女を感じさせない。妻はどちらかと言うと、天然っぽい普通の主婦の姿で、議員との不倫も、寂しさまぎれっぽく思われ、肉欲に溺れている感はない。
議員は威圧的ではないのだが、非常に悪い印象を受ける。この家族が崩壊したら、そこでお世話になっている自分にも響いてくるので、とりあえずの表面的な絆で適当にあしらっているような感じ。
ハンターはゲーム感覚で、この家族崩壊に遊びで付き合っているようないい加減な態度である。
死体となって発見される犬を娘は発見するが、他の人が見に行ってもそこにはもうない。筒井作品では村人によって隠されたことを想像させるが、こちらは本当に娘にしか見えていないのではないかと感じる。犬を絆というメタファーでとらえるなら、もはやこの家族、村の絆が失われたと感じた娘には見えるだろうが、鼻からそんなことを意識していない人たちには見えないだろう。恐らくは、この人たちは犬すら見えていない。
娘は少し悪びた感じだ。よくあるうまくいかなくなった一般家庭で少し不良になってグレる女の子のようなイメージ。それだけに、家族以外の外からやってきた建築家に救いを求めて信頼する気持ちは大きく感じる。
結局は、その家族の絆は戻らなかった。建築家の死は、本当の死よりも、無理だと見捨てられて村を去っていった建築家の姿を想像する。最後の死の描写はこちらの作品ではない。
こちらの建築家、ハンターはあまり、その職をイメージさせない。建築家は絆再生の創造主的なイメージ、ハンターは家族に潜む崩壊の原因のような感じだ。ただ、アフタートークで言われていたが、こちらの作品の方が、設計図などはプロっぽい小道具を使っている。私の感じたこととは逆になっている。
最後は壊れてしまってもう戻らない家族や村の姿に愚かさと悲しみを感じる。
どっちがいいとかはなく、演出を変えたりするだけで、味わい方がいくらでも変わるということでしょう。
もちろん、好みは出てくるでしょうが。
とても楽しい企画で、演劇の面白さを再認識させてもらえました。
ただ、これは私だけかもししれませんが、連続上演だと2本目が1本目を一部上書き保存してしまうような感覚があります。
名前を付けて保存みたいに2本を独立して、頭に残すというのはけっこう難しいです。
この感想もどこか交錯しているところがあるかもしれません。
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