祭りよ、今宵だけは哀しげに -銀河鉄道と夜-【HPF高校演劇祭 淀川工科高校 演劇部】120720
2012年07月20日 ウィングフィールド
銀河鉄道の夜をベースにした作品。
死者との決別のような厳しい一面もやはり描かれている。震災をはじめ、失ったものを見つめ直して、未来へ向けて生きていかなくてはいけない今の世の中。確かに心に響く話である。
同時に、生死だけでなく、高校生らしく、悲しみ、つらさ、不安など、この時期に感じる現実から逃げ出してしまいたいくらいの様々な心情を、自身でしっかり見つめ、今、自分は何をしないといけないのかという自分探しの要素も加わっているように思う。
当日チラシに顧問の先生が書かれている。高校時代は希望輝く時代ではない。苦しい時代で、耐え切れないくらいの重みの中で必死に生きている。
同意である。暗い不安な夜の中、光り輝く星を見つけては、その光を信じ、いつか輝く朝を迎えれるだろうことを願いながら生きていたのではないだろうか。
生きることは苦しい。苦しいから生きるのをやめてしまうの。いい加減に適当に生きてしまうの。
その苦しみを受け入れ、なぜ生きる、どう生きるという深い問いへの答えを見つけ出す。カムパネルラの死は、苦しみの最大の象徴であり、それを見つめ、そこから生きること、その喜びを得るまでのジョバンニの姿が狂おしいくらいに愛らしく描かれていた。
心情表現が非常に丁寧に描かれている。
丁寧になり過ぎて、一つ一つのシーンを置いているような感じがある。悪い書き方をすれば、テンポがスローになって、リズミカルなところが少々打ち消されている印象がある。
これが悪いとは思わない。いや、むしろこれでいいのかもしれない。
スムーズな流れでスマートな作品を観たいわけではない。高校演劇という言葉で差別するのも悪いが、そういう作品は多分、商業演劇の舞台でも観に行けば、いくらでも味わえるだろう。
それよりも、ここで何を伝えたいのか、どんな気持ちで演じているのかが、真摯に伝わる創り方の方が素晴らしい。少なくとも、若い高校生が演じる作品なら、そんな姿を私は観たい。
この作品の一番の見どころは、そんな一つ一つのシーンから役としての心情をどう膨らませていったのかが想像できるところだ。苦しみや悲しみは、目を覆いたいぐらいにつらく映る。喜びは顔が自然とほころぶように伝わってくる。そんな連続の中で、最後に得られるジョバンニの強く未来を見据える目に感動を覚えるのだと思う。
ジョバンニとカムパネルラは二人で夜の星を見ている。祭りの音も聞こえてくる。
くだらない遊びをしたりして、盛り上がっている。
暗い夜。星は輝いている。
そんな星に魅せられたと思えば、飽きて何か遊びをしたりする。ちょっとケンカになったりして、甘えん坊のジョバンニは泣きわめく。親友であるカムパネルラはなだめ方もお手の物のようだ。
すぐに仲直りして、また笑い合う。
暗い夜の中で、明るく楽しく。でも、やっぱり不安だから、ちょっとしたことで、そんな均衡は崩れてしまう。
見ていて不安だ。夜の暗さもあるが、そこにいることに安定性が無い二人の姿が。
高校時代を描いているのだろうか。二人の掛け合いが、とても微笑ましい。後に悲しい結末となるのだが、まだ確立した自分が形成されていない不安定な若者の生きている姿が映し出されているようである。
ジョバンニが銀河鉄道の話をする。終着駅まで乗れば、願いを叶えてもらえるらしい。近所のタバコ屋の婆さんが言っていた。そんな話をカムパネルラは信じない。
そんな二人の目の前に、銀河鉄道がやってくる。銀河への旅の始まり。
車内では、様々な人物と出会う。
近所のタバコ屋の婆さん。確か、もう亡くなったんじゃなかったっけ。
幻の蛍を追う教授と助手。思い出を探しているらしい。
元飛行機乗りのゾンビ。もう今は飛ぶことが出来ない。
みんな、死者であろう。
そんな人達に出会う中で、ジョバンニは思い出す。
自分が何で銀河鉄道に乗りたかったのか。終着駅で何の願いを叶えてもらおうとしていたのか。
あの日のことを思い出す。
そう、祭りの日。自分は行ってはいけないと言われていた運河に蛍を探しに行った。そこで・・・
そして、カムパネルラは自分のせいで・・・
自分を助けて、死んでしまったカムパネルラを救いたかった。終着駅でそれを願うつもりだった。
でも、銀河鉄道は環状線。終着駅は元の場所。
見えない思い出を探し続ける教授と助手。飛ぶことをあきらめてしまっているゾンビ。自分の今の姿かもしれない。銀河鉄道に乗っている間は、そこから脱却できない。
今、自分がしないといけないこと。銀河鉄道を降りること。そのために決別しないといけないことがある。逃げてはいけないことがある。
今の自分の一番の幸いとは、今、ここにいる自分。生きている自分。それを受け入れることができたジョバンニは、永遠に回り続ける銀河鉄道の旅に終止符を自ら打つ。
ジョバンニ、大城戸洋貴さん。カムパネルラ、奥谷知紀さん。
二人の掛け合いが素晴らしくいい。冒頭のシーンもいいし、真実が明らかになった後のラストの二人のシーンもその心に響く会話が心地いい。
喜び、悲しみを純粋な様で演じ、必死に生きようとする大城戸さん。苦しい自分自身の闘いの中で希望を見つけ出した姿に心底、こちらも喜びを得る。
一途な演技でジョバンニへの想いを表現する奥谷さん。傷ついたジョバンニのことを優しく見守る姿は、真の友情の素敵さを感じざるを得ない。
車掌、門田侑樹さん。感情表現を抑えながらのキャラで前半に笑いをとる。後半は、逆にそのキャラを活かして、ジョバンニが今しなくてはいけないことを語る姿が真剣に映る。なかなか達者な演じ方である。
婆さん、田邉海さん。怪演であろうか。性別も違えば、歳も違う。キャラを創り出す要素があまりにも厳しい中でポイントが妙に押さえられており、きちんと老婆に映る。そこが面白かった。
教授、黒田英史さん、助手、葛原将人さん。
なかなかの名コンビである。ここだけ切り取って、何かスピンオフ作品でも作れば、それはそれで面白そうだ。黒田さんは本当に教授なのかな。と思うくらいの貫録である。葛原さんは元気よ過ぎだ。
ゾンビ、片山直樹さん。かなりの引き付ける力を持っているみたいだ。この不条理な役どころをうまい具合にこなされている。笑いを取られていたが、姿恰好にとらわれ過ぎずに、飛べないという重要な部分をきちんと登場シーンで伝えている。きっちり、仕事をしているといった感じだ。
最後に顧問の先生が登場されて、作品が出来上がるまでの生徒さんとのやり取りを語られる。最後じゃなくて、実は冒頭にギター弾き語りで登場されている。そうだよなあ。どう考えても高校生じゃないと思ったんだ。でも、まさか劇中に先生が出るとも思えず、淀工、怖い人いるなあと。
語られた内容は、この作品の銀河鉄道の中みたいなものをイメージすればいい。
演劇部の生徒さんとともに、自分を見つめ、一緒にこれからを探す旅をされたみたいだ。
私は先生の方が多分、歳が近いはず。素敵な生徒さんに囲まれて、一緒にこういう作品を創り上げられたことをとてもうらやましく感じる。
一番の幸いの答えを見つけ出したのは、ジョバンニだけではないだろう。
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