« 蛇口からアイスクリーム【突劇金魚】120704 | トップページ | ファンタスマゴリー【May】120707 »

2012年7月 7日 (土)

夜が掴む【くじら企画】120706

2012年07月06日 ウィングフィールド

大竹野正典さんのこれまでの作品を再演していく企画の第一弾。
この作品の初演はなんと1988年。再演でも1992年なので20年ぶりに登場だ。
そして、この劇場も今年20周年。なんでも、杮落しがこの作品だったらしい。長年、観劇されている方にとっては感慨深い公演なのであろう。

それにしても、ウィングフィールドは20年の歴史があるのかあ。2009年の3月に初めて伺った時は、何て怪しいところに来てしまったのか、すぐに脱出できるようにしておかなければと出口近くの席に座ったのを覚えている。
その後も、桟敷席がほとんどのため、腰が痛くなりやすい厳しい劇場という認識。数席だけ、うまい具合に柱にもたれられるところがあるのだが、上演作品がなかなかのマニアックさがあり、ご年配の方も多く来られるため、その席は空けておくのが礼儀みたいなことに気づき、今は最前列でがっつり拝見することにしている。
当然、役者さんが目の前で演技されるので、その迫力はすごい。
今回のように、表情変化を食い入るように観てみたり、漂うその作品の雰囲気を存分に味わったりとまさに演劇を行っている劇場といった感じだ。

本作品もその演劇の力を好きなだけ見せつけられるようなものだった。
なぜ、私が観劇をするのか。日程調整は大変だし、決して安くもない。観に行けばけっこう体力も使ってしんどい。近場の映画館で映画見てもいいし、家でゆっくりDVD鑑賞でもいい。表現物に触れたいだけなら、別にいつでも本とかは読める。
違うんだ。演劇じゃないとダメなの。
その理由が、こういった作品を一度観てくれれば理解してもらえると思うんだな。

舞台は団地。
冒頭は、そこによく分からないセールスマンがやってきて、「ここは私の家ではないか」と住民に尋ねるところから始まる。

実は、これ以後、そのセールスマンは一切出て来ない。話の流れにも関係して来ない。
今から思うと、ここはこれから始まる作品自体のテーマを感じさせるものだったのかなあと思っている。プロローグみたいな感じかな。
事前に入っている情報は、この作品が1974年に起きたピアノ騒音を理由に階上の男に一家斬殺された事件がモチーフになっていること。
あの頃から今のように人間関係の希薄さが問題になっていたのだろうか。事件自体は単にうるさいから殺したのだろうが、そこに潜む別の問題。建設的な話が出来なかったのか、他の隣人との付き合いの中で怒りを爆発させないようにうまくできなかったのだろうかなど、そんな事件の本質に迫るのだろうと想像していた。

セールスマンが放つセリフからは、自分が帰る家が必要。幸せには家族が必要といったことを思わされる。
舞台の壁には照明の光の加減でハートマークが浮かび上がる。色は青色。ハートフルといったイメージではないだろう。恐らくは冷めた心みたいなもの。もしくは偽りの愛の形。
こんなことから、社会の最小単位ともいえる家族の大切さを描くのだろうと。
そして、セールスマンから感じるのは、その家族を失って、又は作れなくて焦っている姿。
私は、このシーンでこんなことを頭の中で思い描いていた。
帰り道。自分のアパートが近づく。部屋を見る。電気は付いていない。そりゃあ当然だ。付いてる方が大変。部屋には誰もいないはずだから。他の部屋からはいい匂いがしてくる。今日はカレーなのかな。家族の幸せをふと感じる。なんか心温まる。部屋に入る。まっくらだ。電気を付ける。明るくなるけど、それは物理的に。夜。なんか不安だ。自分の部屋だけ暗い気がする。作品名を借りるなら、夜が入り込んできてるんじゃないだろうか。隣はきっと明るい。この時に、さっき感じた心の温かさが少し影を潜める。妬みや憎しみがひょこりと顔を出してきてるのかも。幸せにならなくちゃな。不安。焦る。
自分もセールスマンみたいな行動をしかねないな。そして、もしかしたらこの事件も、こんなことが知らぬ間に狂気へとつながっていったのかもしれないなと。

4階の部屋の姿が映し出される。
後に斬殺を起こす人の部屋。
男がうずくまる。眠れないらしい。失業しているから昼間も家にいる。それでピアノの音を聞いてしまうみたいだ。それが耳から離れないのか。
妻に慰めてもらう中での思い出話から感じるのは元々、不幸体質みたい。物事を幸せの方向に持っていくことが苦手みたいだ。自分は他人を気遣ってこんなにやってるのに、なんで他人は自分を気遣わないのかみたいな発想が行動に出ている。
子供は自分に絡んでくる。どこか自分に意見をしているようでイラ立つ。見透かされているような口調がさらに腹立つ。クラゲを飼い始め、そのクラゲはどんどん大きくなっていく。

3階の部屋。
ピアノを無表情で弾く娘。両親。
私も同世代の1971年生まれなので、何となく感じるのだが、ピアノは幸せ家族の象徴。うちにもあった。そういうものに執着する父だったから。そして、習わされていた。
他の部屋から奥さんたちが遊びにやってくる。世間話をしながら夫のいない昼の時間を過ごす。夫が帰ってくれば、みんなで食事。娘のピアノの音。家族の幸せがそこにある。
・・・なのだろうか。
幸せはすぐにどっかへ行ってしまう、掴みどころがない。だから、つなぎとめておかなくてはいけない。自分が描く幸せがどこかへ行かないように。
幸せを描くという行為自体が本当はおかしい。何かを頑張ったり、やり続けて、その結果として手に入るものが幸せであり、初めからその姿を描くのは本来、間違っているだろう。
作品中に出てくるポラーノの広場も、初めからそんな広場だったわけではない。多くの人が単なる一つの空間で理想を打ちたてようと色々と頑張った最終形として出来上がったものである。
初めからそんな幸せの広場ありきではなかったはずだ。
この家族は幸せを作り上げる過程が抜けており、いきなり出来上がった幸せ形に執着しているので、後はそれを守るしかない。だから敵が生まれてくる。ずっと幸せ作りをし続けるだけでよかったのに。

最終的に4階の男は、ピアノの音うんぬんより、3階の人たちがわざと幸せを見せつけている。そして、幸せでない自分を責めているような妄想にとらわれ始まる。
本当は違う。
責めてもいないし、3階にある幸せは偽物だ。
・・・なのかな。実はここが根本的に理解できていない。
3階の姿の描写が全部、4階の男の妄想なのか、事実なのかの判断が難しい。
全て妄想ならば、この記述通りなのだが、事実も交えているなら、少しはそんな醜い人の姿を描いているところもあるのかもしれない。

3階の部屋で無表情にピアノを弾く娘は4階の男と同調しているところがあるように感じる。
娘は両親が描いた幸せの絵の一コマであり、本人自体が幸せでは決してない。単なる幸せの飾り物としての存在なので、完全に無表情なのかな。
男にあなたがねたんでいる幸せはここにはない、だから責められたと思い悩む必要もない。うちと同じように幸せの絵を描けば楽になるのではないかと無言で伝えていたようだが、通じ合わなかったみたいだ。
男はその娘を殺害し、部屋に閉じこもる。
妻と息子。これも、彼が描いた幸せの単なる絵だったことが描写されながら終わりを迎える。

妻と息子の正体。
また、気づけなかったなあ。
根本的に男に家族がいたら、この話は成立しないだろうと終わってからはそう思う。
妻はともかく、息子は男のことを見透かしており、そんなことが出来るのは自分から生み出た分身でしかないことは十分想像できただろうに。
まあ、いつものごとく気づかなかったので、最後にどんでん返しを心地よく味わう。得な観方だな。

クラゲは何なのだろうか。
作品名の同作がつげ義春の漫画であるのだが、同じ作品では無いが、その人の作品の中にもクラゲが出てくる。
鬱積していくかのように膨れ上がるクラゲ。最後は団地の貯水槽いっぱいにまでなり、住民に水を使うなと男が忠告しに回る。
この行為が善意からなのか悪意からなのかも分からず、正体が掴めない。善意ならば、妬みや憎しみの塊で、幸せな住人に飲ませないなんてことかもしれないが、どうもそれはしっくりこない。男の膨らむ幸せの妄想なのかな。住人どもにそんなものあげてなるものか、壊されてなるものかみたいな感じの方がまだしっくりくる。でも、どうもピンとこないな。

作品名の夜が掴むは感覚的に理解できる。
だから、必死で幸せのバリアを張っている人の姿も。
妄想、偽物など色々な形で幸せを部屋に入れ込んでいるみたいだが、本当の幸せを掴んでいる人が作品中に見当たらない。
当時の社会を描写しているなら、その警告もあったのかもしれない。経済成長期なので、幸せ、幸せと言っていても、それが自分よがりになっていませんか。人との絆の中でその幸せはありますかみたいな。
再演は喜ぶべきことでも、警告むなしく、20年経った今でも十分、身につまされる思いをしてしまうのは喜ぶべきことではないであろう。

|

« 蛇口からアイスクリーム【突劇金魚】120704 | トップページ | ファンタスマゴリー【May】120707 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

ご来場ありがとうございました。
一度ゆっくりお話しできたらと思っています。
またよろしくおねがい致します。

投稿: 秋津ねを | 2012年7月 7日 (土) 16時32分

>秋津ねをさん

公演中でお忙しいところ、コメントありがとうございます。

ねをぱーくとかで終演後、お話しできたらいいですね。
噂どおりの素晴らしい作品。
やっぱり、観劇っていいよなあと思わせる最高の作品でしたね。

また、どっかの劇場で。

投稿: SAISEI | 2012年7月 7日 (土) 22時11分

くじら企画無事に終了致しました。
大竹野さんもきっと喜んでいると思います。
本当にありがとうございました。
ねをぱぁくもお待ちしております!

投稿: 秋津ねを | 2012年7月 9日 (月) 12時43分

>秋津ねをさん

お疲れ様でした。

連日、大盛況のツイート見ておりました。

戯曲集とかも読んで楽しめるくらいになればいいんですけどね。
まだまだ、私には難しいことが多いです。

そうですね。
また、ねをぱあくで。

投稿: SAISEI | 2012年7月 9日 (月) 13時09分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夜が掴む【くじら企画】120706:

« 蛇口からアイスクリーム【突劇金魚】120704 | トップページ | ファンタスマゴリー【May】120707 »