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2012年6月 5日 (火)

どうしても地味【箱庭円舞曲】120604

2012年06月04日 インディペンデントシアター1st

感想はと聞かれたら、嫌だったなあ。
ここは前にDVDで珍しい凡人を拝見した時もそうだった。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/dvd-e1fb.html
面白いなんてとても書けない。
面白いのは、きっと話じゃなくて、淡々と進む会話劇形態なのに、その心情の動きが本当の動きのように見える構成、一動作で一瞬で場面も時間も変わるシーン切り替え、舞台の1/3ぐらいを全くアクティングスペースとして使わない、舞台奥に設置されている玄関を覗きこむようになされる会話のシーンなど、演劇的な演出の面白さですよね。

そりゃあ、巧みな会話でクスっとは何回も笑ったけど、イライラするし、気味悪いし、終始、不快だった。
あんまり嫌な思いして生きたくないから、うまく避けて過ごしている人の奥深いところを思いっきりえぐってくるんだもの。登場人物の誰にも共感や感情移入できないのは、できないのではなく、することを避けているのだと思う。
しかも、設定が閉鎖的な村社会。そんな田舎の嫌なところを容赦なく活かして、話を進めている。

とにかく地味だか何だか知らないが、嫌。
嫌で嫌でたまらないくらい、嫌な作品だったと記しておく。
で、次回公演はいつになるんだ。大阪に来てくれるのかな。東京だけならば、いい日程でやってもらわないと、こちらも遠征計画を予定する都合がある・・・

舞台はある村の寺に併設する集会所。
で、いいのかな。
ここが混乱しているのだが、集会所だけじゃないのかな。どう考えても、登場人物の家の一室にもなっていたような気がする。
別にルールがあるわけではないのだろうが、完全な具象舞台なのに、違う空間として使うという手法はOKなのだろうか。こんな使い方は初めて見た気がする。
まあ、一応、便宜上、集会所。メインで集会所ということで。

設定が少々、不思議。
タバコが完全に違法になる。そして、日中関係は完全に断絶し、中国製品の輸入はストップ、さらには日本に住む中国人も迫害されるような世界。
ここも、よく分からないところがあり、もちろん、話の展開に必要な項目となっているのだが、別に無理にこんないつの未来か分からない日本にする必要も無い気がする。
舞台は上記したように、住めと言われたら住んでも大丈夫なくらいに作り込まれた日本の家屋。リアル感たっぷりである。そこに、まあ訪れてもおかしくはないとはいえ、この明らかな虚構の設定。
この相反する組み合わせは、舞台を歪んで観させる。この時点で既に、平常心では観られない状況にきっとわざとしている。不安を煽ったり、どこか苛立たせようとしているに違いない。

この村に住む花火職人は、中国産花火の輸入ストップを活かして、自製品の売り上げを実に4倍にしている。製品は線香花火。確かに地味だ。
職人の妻。田舎の妙なプライドなのか、よそ者排除意識が感じられ、とてもきつい。イメージとしてはちょっと違うが悪い姑みたいな感じ。よき妻というわけでもなさそう。夫婦仲は、もう倦怠期も過ぎて、互いにどうでもいいような雰囲気になっている。
職人とともに線香花火事業を行ってきた独身の男、事業をネットに拡げている男とその妻、職人の妻の弟とその妻、そしてなぜか東京からこの村にやってきた妹。
寺には住職とその愛人。
そんな人たちが、この集会所で会を開いている。
議題は線香花火事業の今後の展開。でも、職人はもう花火作りを辞めようとしている。そして、本気なのかこよりを作って生活をしようと考えている。
そんな先の見えない会での話し合い、村社会の閉鎖的な人間関係、夫婦間の性的なスレ違いなど、様々な問題が露出し、この集合体の破滅へと話は進んでいく。

飽きるということが一つのテーマになっており、花火作りに飽きる、夫婦に飽きる、村生活に飽きる・・・
幸せなのに、何か物足りなさを感じ、それが普通に感じるようになってしまう。それが地味ということだろうか。
そうなると、新たなものを求める。でも、その時の求め方が汚い。かつて、新しいものを手に入れた時の純粋な気持ちはかけらも無くなっており、自分勝手な傲慢な考えだけで事を進めようとする。
飽きたから、地味になってしまったから、新しいものをという考えだからそうなる。現実は飽きるべきことでもないし、地味になってもいない。自分が勝手にそう判断してしまっている。また、そういう人達は飽きたという言葉を使わない。新しいことをするだけだと言う。
この話でも、職人は飽きても、世の人はまだ花火を求めて買おうとしている。職人と一緒に働いている人もまだ新しさを感じている。
夫婦に飽きても、独身にとっては幸せな生活に映っているはず。
現状満足主義は通常、新たなことに挑戦しない悪い意味合いで使われることが多いが、現状をしっかり把握もせずにただ、新しいことばかり求め、それが前向きなどと言い換えている愚かな典型的な例である。
足るを知れというように、満ち足りていることへの感謝の気持ちも無くし、更なる満足を得ようとしてもうまくいくはずがない。
この作品の登場人物は、みんながみんな、そんな状態であり、その業はとどまることを知らない。
それが因果応報という形で自らの身に帰ってくるまでが描かれている。

と、ずいぶん、登場人物を否定し、分かったようなことを書いているが、こんなこと、事の大小はあれ、現実にもよく直面することである。
そんなことを分かっていても、何か今に不満を感じ、新しいものを求める。第三者的にはそれが逃げだと言っても、当の本人はそんなことに気付かない。地味はかっこわるいから。いけないものだと本能的に思ってしまうから。
それで痛い目にあうこともあるだろうし、あったとしてもそれを正当化してごまかしながら生きているのだ。
そんなところを鋭く突っ込まれると痛い。
この作品でも、最後、全てを失って明らかに痛い目にあっているのに、まだ平然としている。これを反省して、どうこうするというより、受け流してごまかして生きていこうとしている。そこにあまり強さは感じない。あったとしても嫌悪的な強さだ。
そんな姿がとてもつらく見える。人の嫌なところを見ているようで気持ち悪い。
ここはそういうところを目を背けられない観劇という状態で見せてくるから嫌。嫌い。
じゃあ、観なけりゃいいのだが、そうもいかない。
自分を心から省みる機会も時には必要だから。

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