赤鬼【大阪大学劇団六風館】120326
2012年03月26日 大阪大学豊中キャンパス学生会館2F 大集会室
ちょうど一月前に、龍谷大学未踏座の同作品を観劇。
大阪大学vs龍谷大学。
龍谷大学はその時、新人公演。今回の大阪大学は卒業公演です。
新人vs最上回生。
そして大阪vs京都。
勝手に県・大学・新旧対決ムードにしての観劇。
どっちが良かったとかは無くて、まあ、演劇作品ってものは本当にちょっとしたことで全然違った感じになることを再認識させられました。
全体の表現の仕方を変えることで同じ作品とは思えなくなる。あらすじが同じなだけで、その表現のコンセプトに応じた役者さん演じるキャラも違って見えます。
なかなか面白い体験をさせてもらえました。
あらすじは龍谷大学の時の感想を参照。
(http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/120224-6295.html)
舞台は四方囲み舞台。
龍谷大学のようにポールは置かずに、周囲に小島をイメージさせるような流れ着いたゴミやガラスビンを置いて表現されています。
途中、洞窟に閉じ込められるシーンがありますが、これは既に囲み舞台で閉鎖空間のイメージが強いので、その中にさらに洞窟という閉鎖的な空間をイメージさせるにはちょっと苦しい感じがします。
その代わり、四方から役者さんが中心に向かって動き、また戻る。その動きは海の波の動きを容易に想像させられ、ここが島であることのイメージはしっかり持てます。
言葉遊びを巧みに盛り込んだセリフをテンポよく飛ばしながら、話を展開するスタイルは同じ。
役者さんは5人。島の住人は全て、この方たちが切り替わって演じます。
島という閉鎖的な村社会を印象付けるのならば、あまりうまい手法では無いように感じる。
特に、5人の役者さんの主として演じるキャラが明確に頭にインプットされていない冒頭での切り替わりは、一度観ていたから分かったもののかなり混乱するように思える。また、言葉は悪いが、こちらが付いていけてないので、その切り替わりがなんぞらしく稚拙に感じてしまう。ただ、前半も終わりにさしかかる頃には、スムーズに入り込めた。それまでに嫌になってしまい、観ることに心折れる場合もあるだろうから、難しいところではある。
赤鬼が角野宏さん。
この方の雰囲気で随分と作品の印象が変わった。龍谷大学ではかなり異人をイメージさせるキャラだった。
こちらは異人のようで、本当に人間なのかと思わせるような感じである。
そのため、異人排除という単なる人種差別的な問題を思わすのではなく、自らと異なる者、村の平穏な生活を脅かす自らの知識・経験では理解を超えてしまう異色の存在物として捉えることができる。
そこにこの作品の深みを感じる。
水銀、松野智彦さん。
嘘つき男。全部、龍谷大学と比較するような形で書いてしまうが、こちらは道化の要素を強く出す。失礼ながら、この方、私生活もこんな感じなのではと思わすような調子のよさを露骨に表現される。動きはそれを意識しているのか、笑いを誘うようなもので、話自体の流れは簡単なものなので、そこに抑揚をつけるのに非常に効果的。
島の向こうを想う気持ち。そこに何かがあり、きっと変われるという根拠の無い憧れを所々で醸し出される。
葛藤しながらも、そこを深く突き詰めるまでには至らず、起こった結果に対しても正当化する準備がある。それでも、悲しい結果に対しては、誰よりもその感情をあらわにする。自分の素直な感情を外に出しきれない悲しい姿。人の愚かさを描いているが、確かに普通はこんなもんだよなという一番感情移入しやすい人物像をうまく演じられている。
あの女、大谷万悠さん。
この方が演出かあ。面白い独特な演出をされますね。この作品の見えていなかった面白味を少し引き出してもらえたような気がします。
龍谷大学が凛としたぶれない強さを強調するキャラだったのに対し、こちらは若干、弱さというか強がっている感じが残る。脆さがあって、水銀が惹かれるのがよく分かる。守ってあげたい感が強い。
赤鬼と同じく、忌み嫌われている存在という設定が少々、はっきりしないところがある。ここは、多分、同一役者の村人切り替わりの影響があるのではないかと感じる。
それと赤鬼とのファーストコンタクトでの接し方がかなり異なる。村人と同じようにかなりの拒絶から入っている。決して、赤鬼と同類では無く、自分は赤鬼のようなものではないというプライドを感じる。通常の人にとって異なる者とされている者同士の中にも、隔たりはやはり存在し、奥深い人を受け入れる寛容の難しさを思う。
とんび、亀岡洵弥さん、楠侑希さん。
まあ、違うと言えばここが一番違う。ダブルキャストでもなく、同一人物の中の人格のように2人セットで演じられる。知恵遅れの役どころであるが、強いて言うなら亀岡さんが白痴、楠さんが少し第三者的にそれをフォローしているような感じ。ともに知恵が足りないことを表現はされているのだが。
純粋無垢な表情、語り方は申し分ない。この役の知識が無いことの悲しさよりも優しさをうまく雰囲気にして出されている。
2人であることの違和感が全く無いことをずっと不思議に感じていたのだが、自分の中ではラストにその理由が分かった。
私は龍谷大学でこの作品を拝見した時に、この一連の事件での一番の犠牲者はとんびだと思っている。
彼はラスト、自分は頭が悪いから、足りないから、妹であるあの女のような絶望を感じなかったと語っている。でも、彼は彼女が絶望を持って死んだという理由に気付いている。知らなくていいことを知ってしまった。もう頭が足りないからでは通用しない生活が彼には待っている。知性が足りないことを理由に目を背けていられたことが、これからは突きつけられる。周囲は変わらない。一人きりになった彼の中で島の住人はどう写るのか。これから、どういう人生を歩むのか。
そんなことを心配したくなる気分になったのを覚えている。
ラストは同じく、とんびの一人語りで幕を閉じる。そのシーンに亀岡さんはいない。楠さんだけになる。
私のイメージでは彼の無邪気な白痴の部分が消えているということ。そして、楠さんは、知恵遅れの表現か、ずっと口をポケ~っと空けた、書き方悪いがアホみたいな顔で演技されている。でも、ラストは口を閉じ、何かを見据えている。これが、彼の一連の事件を経験したことを踏まえたこれからの覚悟のように感じる。
勝手な解釈ばかりだけど、先に観ていたおかげで色々と観た後も解析して楽しめました。
もちろん、単独でもこの独特な演出は魅力的なものだったと思います。
卒業公演とのこと。4年間の集大成として立派な公演でした。
関係無いけど、当日チラシに一人卒業出来ないみたいなこと書かれているけど、ダメだったのかなあ。
う~ん、役どころと同じで、ちょっと頭が・・・(笑)
まあ、これからも素敵な人生をお過ごしください。
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