彩雲リーディング 120320
2012年03月20日 カフェ+ギャラリー can tutku
チャリティーとして、昨年に引き続き行われた公演。
劇作家、樋口ミユさんの呼びかけで、関西で名を馳せる脚本家、役者さん方が集まって、短い話をリーディングされていきます。
話のテーマは震災となっているみたいです。
全体の感想はかなり頭が混乱しています。
震災をテーマにした作品は昨年から、数多く公演されており、各々が独自の世界観をもっています。
生死を描いたもの、あの日の出来事をドキュメンタリータッチで語ったもの、震災とどう向き合って行くのかを被災者、物理的にも精神的にもそれと距離がある者の視点から捉えたもの、不条理にも巻き込まれた人を風刺したもの、今、生きていることがどういうことなのかを考えさせるもの・・・
思えば、私がそんな作品を観始めたきっかけが、このカフェで昨年行われたA級MissingLinkの限定解除という作品。あれはメタファーが一つも紐解けず、途中で半泣きになって観た覚えがある。
まあ、それはともかく、この公演、多くの脚本家の方が各々短い物語を創られている。
当然、その世界観や表現スタイルは様々で、順番に観ていると、何やらディスカッションしているかのように感じるのである。
私はこう考えている、私はここに焦点を絞ってみました・・・
各々の方々が震災をどう捉え、どう向き合っていこうと考えているのかの発表会みたいなものである。
それがもちろん明確な文章で語られる訳ではなく、観る側は、作品からそれを見出さなくてはいけない。共通に感じることもあるが、やはりその考えやそれを伝えるための作品の趣は各々、異なっており、なかなか頭がまとまらない。
答えを出したり、まとめたりする必要は全く感じないが、アフタートークみたいなものがあって、総括的な考えが得られる時間はあってもいいなあと思う。
リーディングとなっているが普通の演劇と変わらない。
読んでいるのをただ聞いているのではなく、目で観て綺麗だなあとか可愛らしいなあと思ったりもできる。
もちろん、役者さんの表情、動き、声の変化からの心情描写を楽しむこともできる。
作品はよりどりみどりで、震災を直接イメージできるもの、メタファー作品でどうとも捉えられるもの、何やら可愛らしいファンタジー色強いもの、絵本のような不思議なものなど。
有名な脚本家ばかりなので、お名前はもちろん、どんな作品を創られるかなどもだいたい印象付いている方も多い。なるほどと納得する作品もあれば、意外にこんな風合いの作品を創ったりもするんだと思ったり。
上述したように、全体をまとめるような考えにまでは至っていないが、何となく作品構成から思うことはある。
震災から1年。
当事者も、周囲の者も、あまりにもその衝撃は強く、あの頃、何も語れなかったことがようやく口に出来るようになり始めた。
何でこんなことになったのだろう。
残された生きる者は、薄れていた生ということをもう一度深く考えさせられる。それは、あまりにも不条理ではあるが多くの死を見つめることになったから。
生きる者は当然生き続けなくてはいけない。厳しい大海原でも必死に漕いで進まなくてはいけない。その行き着く先でもう一度生活を始めなくてはいけない。
行き着いた先は何も無い。全部さらわれてしまったから。
多くの死という悲しみが宿る地で生きていく。そこにかつてあった生きている人の姿を想う。じゃれあっている子供の姿や普通の家族の姿。新しく生まれていた命。
そこにそんな姿があったことを想い、その地がまた生で埋め尽くされることを祈る。
私たちは何をすればいい?
代わってあげることは出来ない。でも、何かは出来る。手をさしのべることって、どんなことだろう。
おにぎりをあげること。もちろんそれでもいいが、それを一緒に食べてあげられればきっともっといい。
といった感じで解釈。
また時が経てば、考えは変わっていくだろう。
この手の作品に今は希望を込めることさえまだためらわれる。
未来を明確に描けるような作品が創り上げられる時が早く来ないものかな。
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