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2012年1月28日 (土)

blue film【桃園会】120127

2012年01月27日 アイホール

<1/28訂正:ここに書いたあった文章を一番最後に移しました>

やはり、ここは難しいのは難しい。
最後まで拝見して、何となくは分かるのだが、確実な理解はなかなか・・・
時間軸をずらしているのと同時に、主人公の女性が描く童話の世界が交錯する。
こちらはどちらかというとファンタジーワールドっぽく描かれており、死をあまりイメージさせない。童話が描くように怪獣がやってきたみたいな感じだ。
これとは別に、より現実的な死を意識させる、姉を亡くした喪服を着た兄弟のエピソードも組み込まれる。こちらはリアリティーがあって、喪服でイメージされるように人が確実に死んだ現実が突きつけられる。
そして、何より、厄介なのは本当に震災の現場を見ていないとイメージできない要素が入り込んでいる。
私自身も被災者なので、少しは分かるが、場所によってピンキリであり、この作品が意図しているイメージとは必ずしも一致しない。

舞台はあの阪神大震災から7年後という設定みたいだ。
主人公の女性が同窓会で震災の街に戻って来て、駅で電車を待つところから話は始まる。
実はこの電車が理解できていない。死へ導く、震災が起こったこととは別次元へと導く、震災を乗り越え一歩進む場所へ導くなど色々と考えたりしたが、よく分からない。死者は乗れていないし、生き残った者も乗る必要は無いみたいだ。抽象的で不思議な恰好をした駅長もそれに乗ることへの積極性はあまり感じない。
そもそも存在しないのかもしれない。現実逃避に導くような象徴なのかなとか思っている。

そこで女性は時間軸をずらして、過去の同級生たちや先生と出会う。
時間の経過、そして女性が恐らくこの地とは距離をおいた場所に住んでいたみたいで距離の隔たりにより、過去の記憶は完全に消えている。
過去の遊んでいたシーンが描かれる中で、女性はその頃が思い出せない。
唯一思い出せる幼馴染の姿が自分とオーバーラップして複雑化している。
思い出すことは、地震が起こった朝焼けの時の空の赤さ、その後の空の青さと仮設住宅の並ぶブルーシート。
太陽がこれから昇るのか、暮れるのかが判断できないというような表現で、震災時の時が止まった様子が表現されている。

その中で、女性は完全に思い出しはしないが、自らを見つめ直していく。
失った友、先生の現実を理解し、悲しみを昇華する。
そして、喪服を着た兄弟との出会いにより、自分達に降りかかった別れを現実として捉える。
そして、新たな一歩を踏み出す女性の姿は、女性が描いた童話の世界のピンに詰められた自分がそこを破って外に出ていくことで表現されている。

と、こんな解釈になった。
抜けはたくさんあるだろうし、誤解部分も多いと思うが、だいたいの掴みはこんな感じになる。
要は震災から立ち止まった女性が、同窓会という一つのきっかけから立ち直る。そこには、昔の失った友や先生達との大切な楽しい時間をもう一度受け止める必要があるし、また現実に喪服を着た兄弟を見て、死を受け止める必要もあったということなのかな。
時間や距離の隔たりの中ではそうしないと一歩進めないくらいの出来事だったということか。
女性が立ち直った姿は、童話の世界で表現されている。

震災をテーマにした作品は、昨年からかなりの数拝見している。
この作品は、複雑ではあるが、より真に迫った現実を思わせる話になっているような気がする。

<以下、一番最初に書いてあった部分からこちらに移動させて、追記>

ちょっと、いきなりクレーム書いて申し訳ない。
本来は「ゆれる、檸檬と南米の鳥」という作品を公演予定が、急遽、この作品に変わった。
別にそれはそれでいいのだが、その意図は説明あってもいいのではないか。
劇団諸事情により、なんてチラシに書いてあるが、そんないい加減な政治家じゃないんだから、具体的に教えてくれればいいじゃないか。好きだから足を運ぶ客に対して水臭いじゃないか。どんな形だって、好きな劇団は公演してくれれば喜んで足を運びたくなるんだよ。
阪神大震災をモチーフにした作品。だからこそ、今やりたかったのだろうと推測するが、きちんとそれを述べてくれないので、何かいかがわしい違う理由があるのかと思ってしまう。
ご迷惑と混乱を招いて申し訳ないなんて書いてあるが、そんなもの微塵も思っていない。招いたのは不信だ。

上記文章に対して、HPにはきちんと理由を書いてあるとのコメントをいただきました。
拝見しましたが、想像もしてなかったデリケートなことが理由となっており、確かにこれは書きにくいと感じます。それでも少しHPに書いてしまってるので、そんなことなら、なおのこと当日チラシのごあいさつでちょっとコメントしてくれれば安心もするのにとも思いましたが、知らない人に無駄に心配をかけたくない、誰にでも状況を話すべき問題では無いということも理解できます。
こういう公演変更、キャスト変更をはじめ、劇団員の退団、劇団の解散など、色々と書きにくい事情があるにせよ、何でも劇団諸事情という言葉で終わらせていることが多いなあという私の固定観念が、今回の記載に過剰に反応してしまいました。

安易な書き方をしてしまい、この劇団が好きな方や事情をより知っている立場の方をはじめ、幾らかの方は、読まれて気分が悪くなったことと思います。
思いを書くにあたり、背景を理解することが十分足りていませんでした。
申し訳ありませんでした。
このまま文章消して、何も無かったことにしようとも思いましたが、何も知らない人の中にはこんなこと思ってしまう人もいるということ、劇団側は最低限の理由を伝える努力をされたことが分かるので、このまま残しておきます。
ただ、冒頭に記載すると、肝心の作品の感想も意味をなさない単なるクレーム記事になるので、最後に移動させました。この点は、コメントいただく前から実施しておくべきことだと反省しております。

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コメント

通りすがりですが、桃園会の作品変更に関しては劇団HPに理由がありましたよ。
色々思うことがある方もあるかと思いますが、HP見る限り凄くデリケートな問題のようなのでチラシ?には明記しなかったのかもしれません。何も知らずに見る方もいるでしょうし。
小劇場だと作家や演出家はだいたい劇場にいますから、余計な心配をかけたくないということではないでしょうか。

HPを見た後、ご本人を拝見すると心配になりましたから。

投稿: じぇむ | 2012年1月28日 (土) 02時34分

>じぇむさん

コメントありがとうございます。
ご丁寧なご指摘ありがとうございました。
また、安易な書き方だったと反省しております。
申し訳ありません。

通りすがりだと、もう観てもらう機会がないかなあ。
ご指摘いただいたことを基に、記事内容を変更しました。
ご確認いただければ幸いです。

書かれているとおり、明記しないことが十分理解できる内容でした。
ただ、HPにちょっと書かれてしまっているので、逆にそれを読んだ人は何か心配になりますね。
最近になってようやく、こういった難しい作品も少しずつ楽しめるようになっていきているので、これからもますますご活躍いただかないとなあと思っています。

早目にコメントいただいて、訂正入れましたので、読まれて気分悪くなる方を最小限に抑えることが出来ました。
ありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2012年1月28日 (土) 11時20分

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