« 教師の資格【劇団そとばこまち】111105 | トップページ | チャットルームでなぐり合い!【中野劇団】111106 »

2011年11月 7日 (月)

天狗【dysmic Entertainment】111106

2011年11月06日 大丸心斎橋劇場

初めての劇場。
心斎橋大丸北館14Fにこんな立派なホールがあったんだあ。
立地もいいし、小演劇にもどんどん開放して欲しいですね。

正直に感想書くと、今回はいまひとつだった。
う~ん、決して中傷する気はないということを分かってもらった前提で書かせてもらえば、かなり面白くなかったなあと思ってしまいましたし、不愉快な気持ちで劇場を後にしました。

前作、トカゲノヌケガラの初演→再演に続いて、今回の観劇ですが、毎回評価が下がっています。
このブログでも書きましたが、初演の感動が大き過ぎたか・・・
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/tokage-no-nukeg.html
あと、再演時にも書きましたが、スタッフさんの対応に難がある。今回は再演時ほどではありませんが、やっぱり目につきました。
http://ksaisei.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/tokage-no-nukeg.html
さらに、ダンサーさんを含めて多くの方、特に子役や中・高校生ぐらいの若い方が出演されるので、親類が観に来られるのでしょうが、その方達のマナーが非常に悪い。おしゃべり、未就学児童に対する親の対応・・・
これでは一般公演ではないですね。仲間内の学芸会です。
そんなところに赤の他人のおっさん一人紛れ込んで良かったと感じれるわけないですよね。

非常に残念な観劇でした。
以下、あまりいいことを書いていません。
無駄に気分を害することは無いので、読まなくてもけっこうです。私があくまでその時の気持ちを記録しているだけですから。
それでも、次回公演のユニバースですかね。これには依然期待する気持ちは変わらないことはここに記しておきます。

話は新しい日本の門出を迎える新総理大臣誕生の時から。
新総理大臣が所信表明演説でこれまでのことを振り返る形で話が進みます。

今から10年前、名字を無くすという改正戸籍法が施行されます。
これにより、政治家以外の一般人は名字を無くし、名字ある者と無い者の差別社会が生み出されます。
最初は、犯罪も減り安心して暮らせる世の中になったのですが、いつの間にか国民は格差問題に悩まされ、自分の好きなことが出来ない恐怖の社会にさらされることになります。

そんな時に天狗と名乗る一派が現れ、現職政治家たちに犯行声明を送りつける。
その声明はどんどんエスカレートしていく。

頑なに現行の政治方針を貫こうとして独裁政治を続ける現総理大臣。
その父に反発するかのように、天狗に肩入れして今の政治を変えようとする息子とその友達。
政治の内部に入り込んでいつの日か改革を起こそうと企てる者。
天狗の事件を利用して、自らの権利欲を満たそうとする者。
職を失い、名字を取り戻そうと強硬手段に出る一般人

複雑な人間関係が渦巻く中で、日本の行く末は・・・

最初の所信表明演説するのが、独裁政治をする総理の息子です。
これで、日本がどうなったかは想像つくと思います。

話としてどうも焦点がずれて感情移入しにくいなあと感じるところ。
改正戸籍法が生み出す弊害は、昔の士農工商のような格差社会を生み出すこと。多分、これのみだと思います。なぜ、これで一度でも犯罪が減少して安心して暮らせる日本になったのかという設定がどうも理解できない。恐らくはおかしな社会なんてものは、知らずうちにじわじわ進んで気づくと大変なことになるものだみたいなことを言いたいのだとは思いますが。

個性や価値観を否定する独裁。そうではなく、それを肯定し合い、人同士が本当に結びついていく。それが大事だということを伝えたいような気がするのです。だから、今はおかしくて、それを変えないといけない。
それと作品途中で出てくる絵本の内容との相関が分かりにくかった。良かれと思ってしていたことが、実はみんなに迷惑をかけていて苦しめていた。それに気付いた時にはもう限界まで来てた。みたいな話なんですが、それは現行政治を変えないといけないという原動力にはなるような気がしますが、行きつく結末が共存社会には決して絵本は向かっていない。作品の本質までは十分描かれていない絵本が重要なキーになっているところに何か違和感を感じます。

あと、一番理解できないのが天狗。
これは、劇中、本物の天狗の姿でダンサーさんが芸術的な動きをされます。
何かの暗喩なのかなと思っていたら、どうも本当の天狗みたい。
いや、個々で好きなように捉えればいいという感じならいいのですが、天狗の犯行声明には現政治の改革とともに森林伐採を辞めろという言葉がある。
これは、完全に本当の天狗を想えってことですよね。
となると、何で天狗なのかがよく分からない。昔から悪い子をさらったり、悪い人間に罰を与えるような象徴になってるから?
極端に言うと、河川汚染を辞めろという言葉にすれば、河童でもよかったのかな。
作品名にもなっている、一番抽象的なキーワードの正体が具体化されているのか、象徴的なものなのかが分からないとすごくモヤモヤする。

ここの魅力は初演時の感想に書きましたが、映像・ダンス・芝居・音楽の融合。
よくチラシで見る言葉ですが、ここは本当に融合していると感じていましたが、今回はあんまりそれを感じなかった。
生オーケストラを入れたりして迫力を出しているのはよく分かるし、すごいとは感じるのですが、やはり芝居との融合と考えると疑問があります。単にスピーカーから流れる音楽と生では違う。だから、生を使ってみましたでは、物足りない。芝居の中で音楽をどう取り込んでいるか。そう、初演のトカゲのヌケガラのように。

ダンス。これも同様。シーン切り替え時に踊るだけでは、物足りない。贅沢なことばっかり言っていますが、初演時に本当にすごかったと思ったので、出来るはずだと思うんですね。
芝居中の人間の感情をダンスにして表現する。もちろん、今回の切り替え時の踊りもそれをしているのでしょうが、シーン切り替えはいったん気持ちがリセットされますから、あまりそれを感じない。
今回では国会前で暴動を起こす群衆の怒りを表現しているダンス。こういうのが、初演時にはたくさんあったような気がするのですが。

文句ばかっり書いて、恐縮ですが、感じたそのままです。
比較が初めて観てすごいと思った作品になってるので、どうしてもこうなります。

最後に一点、お願いです。
もし、関係者が見られるようなことがあれば、是非、考えて欲しい。
観劇マナー。
これは観る側の観劇理由によって基準が異なるのかも知れません。
私は作品を純粋に楽しみに伺っています。
でも、必ずしもそうじゃない人もいるでしょう。
○○ちゃんが出ているから観に行く。
若い方が多いので、親類は晴れ舞台をそりゃあ観たいでしょう。キッズダンサーがいつもレッスン受けてるお姉ちゃんとかを観にいったりもするのかな。
だから、舞台に登場したら、嬉しいのはよく分かる。
でも、そこで作品に関係ないことをベラベラおしゃべりするのは理解できない。けっこうな頻度でこういう方がいらっしゃいます。
ほら、あそこにお姉ちゃんいる、変な格好して踊ってるわ、髪の毛切ったから誰か分からんね、・・・。
集中が途切れる。
私はそれを注意できません。してもいいけど、したくないです。
楽しんで見てることに違いはありませんから。
でも、観劇中にしゃべれば迷惑になることは分かりますよね。
だから、舞台に出ている側の人が見に来る人にきちんと伝えておいて欲しい。
私は間違いなく出るから、出てきてわーわー騒いで周囲に迷惑かけないようにと。
そして、観劇のマナーを。飲食はだめなんだよとか、子供が泣き出したら悪いけど開場いったん出てねとか・・・
自分が恥をかくことになるから、それが自分や劇団のためになるということを。

作品が自分にとってはいまひとつだった上に、運の悪い席に座ってしまい、非常に残念な観劇になりました。
期待が大きかっただけに本当に残念。残念というか、無念です。
この無念は次回公演ではらさせていただこうと思っています。

|

« 教師の資格【劇団そとばこまち】111105 | トップページ | チャットルームでなぐり合い!【中野劇団】111106 »

演劇」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 天狗【dysmic Entertainment】111106:

« 教師の資格【劇団そとばこまち】111105 | トップページ | チャットルームでなぐり合い!【中野劇団】111106 »