<映画>エンディングノート
梅田スカイビルのガーデンシネマへ。
受付で入場券を購入して整理券をもらう。
開演10分前から開場。整理券番号順に入場して、席は自由席。
飲食は禁止。
これは・・・ 普段から通っている小演劇スタイル。
親近感が湧きます。
水曜日なので1000円でした。安い。
思っていたのと全然違った。
完全なドキュメンタリー作品。
よくこんな作品を作ったものだ。
それにしても、この作品はきつい。
昨年死んだ自分の父親とのことが完全にオーバーラップする。
そして、仕事柄、がんの患者さんと間接的に関わるので、その現実の人生を目の当たりに見せられるのもつらい。
色々と思い出して泣けもするが、病気に対する怒りも湧いてくる。
複雑な気持ちで観てた。
無事定年を迎えた67歳の男。
団塊の世代らしく、高度経済成長とともにひたすら会社命で働いてきた。
仕事仕事で家族のことをあまり振りかえれなかった。
妻ともうまくいかなくなった時もあった。別居生活を送ったこともある。
それでも、長男・長女・次女は立派に育ってくれた。
長男は結婚してアメリカに転勤中。会社で活躍している証拠だろう。孫も3人できた。
長女はいい人と結婚して、一緒に住んでいる。
次女は・・・。自由奔放に生きているみたいで、まだまだ花嫁姿を見ることはできなさそう。
しっかり勤めあげた。これからは第二の人生が待っている。
妻ともまた一緒に楽しく二人の時間を作れそうだ。
孫と会うのも楽しみで仕方が無い。
そんな矢先に末期の胃がん宣告。
自分の人生は・・・
残される妻、家族。自分の人生の総決算。
段取り命で活躍してきたサラリーマンだ。
最後までしっかり段取りを整えて死んでいくつもり。
享年69歳の男が語る、死の宣告からの2年間。
自らの死を描いたエンディングノート。
次女が実際に撮影した映像を編集しているので、ご本人、そしてその家族が普通に映し出されます。
ビデオ撮影しているから構えているとはいえ、まさかこんな映画になるなどとは思ってもいないはずで、本当の等身大の死と向き合う男とその家族の姿が描かれています。
ある意味、とんでもない衝撃的な作品です。
だから、非常に感情移入しやすい。
下手な演出などが全く無いわけですから。
お父さんはとても強い。最後までずっとユーモアを忘れず、前を向き続けている。
そして、家族もそんな姿を見て、同じようにきちんと前を向いて接している。
みんな強い、強い。生きる力はでかい。
これが役者さんが演じる作品なら、そんな死を目の前にして強くなんかいられるかよ、死の恐怖に脅えて自暴自棄になり苦しむ姿が現実だよ、家族も普通でなんかいられるかなんて思うのかもしれません。
でも、これが現実なんだから、何も言えません。削除した映像など編集はあったのでしょうが、現実をとらえた映像なんですから。
それに、これが現実の姿というのもよく理解できます。
自分の父や家族もある意味、似た感じだったから。
人間は意外に死に対して強い。死を本当に意識するからこそ強くなるのかもしれません。
監督でもある次女がナレーションをしています。
お母さんは宣告と同時に怒っているようだったみたいです。今まで勝手して、死ぬのも勝手なのかという言い分。
私の母もそうでした。父は癌ではなく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の宣告でしたが。
まず、悲しみより怒りがきます。多分、父に対してもそうでしょうが、どこにもいないものに対して。
段取り好きだったお父さん。
引き継ぎ事項や葬式の参列者、死を知らせるべき人。
宣告を受けた時から準備を始めます。
でも、いざ死と本当に直面しないとやっぱり綿密にはできません。
最後、死ぬ間際に長男がリストをお父さんに確認したりします。
もう死ぬのに何て冷静な行動・・・
でも、これも同じ。うちも全く同じ行動を取っています。
死は必ずしも悲しみに直結しません。
逝く方も、残される方も死を冷静に一番とらえる時。それが、本当に死の直前に訪れるのです。
大好きな孫と会って、感謝します。死ぬのがつらいのではなく、もう会えないことがつらい。そんな感じがします。
これは私の父には味あわせてあげれなかったな。
そう思うと泣けてきて、このシーンだけ久しぶりに涙が流れるくらいになりました。
死をテーマにしていますが、同時に生もテーマになっています。
死を段取る行為が、生きていることの素晴らしさを同時に分からせているように感じます。
その中で、自分、家族、周囲の人達のことも見えてくるのかもしれません。
人はバカだから、死に直面しないとそれに気づけない。
でも、そんなにバカでもないから、こういう作品でそれに気づかされるなんてこともあるように思います。
最後に、この作品の意図するところと全く関係ないのですが少しだけ。
どうしても気になる。
ただし、この作品でのがん治療に対する批判の意味などは全くありません。ただ、作品だけ見て思っただけですから。実際に患者さんと向き合い、最善の選択をした治療は、お父さんが最後感謝していたように最高のものだったことは確かなはずです。
私は仕事でがん患者の免疫を高めるような仕事に携わっています。
大きく言うと再生医療ってやつです。
作品中も少しだけ話が挙がりましたが、免疫療法や他の治療はこの方しなかったのかな。
だったらなぜと思うのです。
外科手術、放射線治療、抗がん剤。がんの三大治療。
国が認めた治療だから必ずやりますね。
これだけで治るならがんなんて怖くない。治る人もいるけど、治らない人もいるんです。
違う治療ももっといっぱいある。もちろん、中にはいかがわしいものもあります。でも、国が認めてなくてもしっかりした治療は幾らでもあります。
現に私の勤めるクリニックでも、たくさんやっています。それでこの方のように余命数カ月宣告の方が延命した事例もあります。もちろん、予定通り亡くなられた方もたくさんいらっしゃいますが。
悪い書き方ですが、数撃ちゃ当たるぐらいでやらないとどれにはまるかなんて分かりません。
その可能性を国が認めていないとかいう理由だけでしないのは納得がいかない現実です。
国が認めていないのは薬のように統計的にしっかりしたデータが出ないことが一つの要因になっています。
でも、治れば100点、治らなければ0点。治った人には最適な最高の治療なのにその可能性すら排除する今の医療業界はおかしいと思っています。
そもそも再生医療はオーダーメイド的な治療なので、その人に合うか合わないかで、万人に効くなんてデータは出せないのですから。
コストが高くなります。下手すると数百万円かかります。
それがネックで出来ない方もいらっしゃいます。これは、私のような研究者がよりコストを下げる努力がまだまだ足りないということです。でも、現時点では仕方が無い。
嫌な書き方になりますが、この作品のお父さんは比較的裕福でしょう。多分、選択肢の中に加えれたはずです。
きっと可能性はあったような気がしてなりません。
孫の成長ももっと見たかったでしょう、次女の花嫁姿も見たかったでしょう、残した奥さんとの定年後の生活は何よりも楽しみにしていたしょう。
だったら、なぜ、最後まであがかなかったのかと。
実際、どうだったのかは分かりません。やったけどダメだったのかもしれませんし、適応する状態では無かったのかもしれません。
でも、こんな可能性があることは知っておいて欲しいと思っています。どうするかは各人とその主治医次第ですから。
思いっきり話がそれましたが、常日頃、手遅れで悲しい思いをする時があるので、ここで少し書かせてもらいました。
今までに見たことのないような形態の作品でした。
生きることをしっかり捉えるとともに、次女が愛する父へ最後に贈る大切なプレゼントになっているように感じます。
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コメント
ちゃんと寝ましたか~(^_^;)
死をテーマにした映画だけに観る人によって色々と感じる映画ですね!
投稿: TAKU | 2011年10月26日 (水) 19時52分
>TAKUさん
いやあ、全く寝ずに行きました。
寝るかと思いましたが、引き込まれてしまいましたね。
見る人によって色々と感じ取れる面白い作品です。
TAKUさんがブログで書かれた内容も観てよく分かりました。
もう一度観たいかというところ。確かにその通りですね。
ガーデンシネマいいですなあ。
気楽に行ける。
そして、予告編とかで、次また観たい映画が出来ている。
演劇でチラシを観てしまうのと同じで連鎖反応が起こり始めてます(゚ー゚;
投稿: SAISEI | 2011年10月27日 (木) 09時44分