裸足のアリス【集団&&&】110807
2011年08月07日 ステージプラス
ちょっと時間が空いたので、少し観に行ってみました。
旗揚げ公演ということもあって、劇団は知らないし、出演されている役者さんも全く。劇団レトルト内閣の方が客演されていましたが、失礼ながらちょっと覚えていない。
まあ、どんなもんかなという感じです。
感想は面白かったのは面白いんだけど、ちょっと色々と気にかかるかな。
劇評をしている訳ではないので、演技や演出、舞台などに関して物申すのは失礼だと思うので避けますが、色々と荒いなと思わすところがたくさんあったように感じます。
話は面白いけど、ファンタジー色としては中途半端な気がするし、真剣なメッセージが込められてそうだけど大きくは伝わってこない。コメディータッチなところもやや思い切りが無い感じがする。
客側に多くをゆだね過ぎて、劇団としての主張が弱いと言えば大げさか。
でも、そんな風に感じました。偉そうなこと書いてるかな。
少女の部屋。
いつも一緒に遊んでいたお姉さんがもうすぐ、この部屋、家を旅立つ。
そんな部屋のクローゼットから時計ウサギのような靴泥棒を名乗る男が現れる。
そんな靴泥棒に誘われて、少女は向こう側の世界へ連れて行かれる。
向こうの世界は幼き頃からお姉さんと一緒にごっこ遊びから創りだした者たちが住む世界。
名前を忘れ、溶けて消えてしまう流行病におびえて、違う世界に行ってしまう者が増えている。
靴泥棒は住民たちの靴を隠して、それを防いでいるみたい。
みんな、そこから救い出してくれる自分たちの主を待っている。
主はお姉さん。
みんなを救えるのはお姉さん?
いや、少女が出来ることもある。
住民たちとともに過ごし、話していく中で少女はそれに気付き始める。
お姉さんからの自立や、少女自身の自分探しなどをイメージする作品なのだと思う。
ピーターパンのように、楽しいごっこ遊びからお別れして、自分の道を進んでいかなくてはいけない時期が来たということを向こうの世界の住民たちが教えている。
現実の背景として、少女はお姉さんの大切な靴を小さい頃に無くしている。
だから靴泥棒の主は、少女。
少女が自分の過ちを心の奥に隠し、お姉さんとの壁を作っていることの象徴。
そんな靴泥棒が全ての靴をみんなに返し、自分自身もぴったりの靴を手に入れることで向こうの世界は救われる結末を迎えさせている。同時に現実世界の少女も一歩前に踏み出している。
この靴というキーワード、無ければ立ち止まる、手に入れて自分の足で歩くなど、分かりやすい比喩表現だと思う。
よく分からなかったのは、金平糖。
観てないと分からないでしょうが、これを食べることで溶けて消えることを防いでいる。
甘さ? 今の惰性的な生活にとどまるための周囲からの無条件の手助けや姉や家族からの愛情なのか。
よく分からないが何らかのメタファーとして扱われているはず。
このあたりが漠然としていて、やや話が混乱してしまった。
あと二点だけ。
演技うんぬんなどは素人だから分かりはしませんが、少女役の高木瞳さん。
向こう側の世界に連れて行かれたり、そこで先行き不安なことに出会ったりしながら、終始笑顔。
これが何を意味しているのかが全く分からなかった。少女の無邪気なキャラを出した演技なのか。
とにかく、ここで笑うのは感情表現としておかしくないかと思うようなシーンでも笑顔。
本当に最後の自分を見つめなおすというシーンに至るまで、ずっとこの状態だったので、ものすごく気になって。
少し頻度が多かったので書かせていただきます。
専門的には何て言うんだろう。
セリフがぶつかるみたいなやつ。次の人がセリフを言う前にしゃべってしまい、聞こえにくかったり、言い直したりする。
もちろん、現実ではそんなこと日常会話で普通にあり得ることなのですが、芝居でこれを演出じゃなくてされるとびくっとして、そこで引き込まれていたのがリセットされるのでものすごく個人的に嫌。
優しい感じの作品を創られそうな印象があります。
きっと観続けているとうまくはまる作品に出会うような気がします。
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