りんりんと、手ぶらで行く【PM/飛ぶ教室】110217
2011年02月17日 精華小劇場
演劇らしいと言えばそうなるのかな。
過去公演も何度か拝見しており、淡々と進む話の中で、人間の心の奥に潜むようなものを感じさせてくれるような作品です。
会話劇、いや、あまりやり取りする感じではなく、一人語りを順番に繰り返していく形です。
集中力が切れたら、絶対に付いていけなくなると、最初、構えて観ていましたが、途中からすんなりと話に入り込んでしまいました。
観劇としてはやはりこの劇団の独特の雰囲気は何か好きであり、今回の作品も良かったと思っていますが、話の内容がどうも共感できない。
全員が偽りだなあと思いました。
(以下、少しだけネタバレ。公演は金土日と続きます。
そして、決してお薦めしないという訳ではありません。むしろ、観てもらってその感想を勉強させて欲しいです)
舞台は通夜の席。
集まった人は、奥さん、息子、弟、後輩。
そして、一人の女性、同級生の女性。
最後に若い女性。
女性は故人の最後の愛人。同級生の女性も、以前の愛人。
若い女性は、過去の愛人の娘です。
愛人の存在は全て、奥さんも知っています。
この通夜の席に呼んだのも奥さんのようです。
故人のあらゆることが暴露されていきます。
それは故人と過ごした各々の時期の大切な思い出。
弟、後輩、愛人たちは、全員、故人に何らかの元気をもらってたみたい。滋養という言葉を使っていました。
自分達が漠然とした苦しみの中にいた時に故人は現れ、何かをしたという訳ではないのでしょうが、みんな与えられたものを持っているみたいです。
無償の愛のようなものでしょうか。
奥さんや息子、娘も同じようなものを感じているようです。
全員が語り終え、故人を見送ります。
話の流れとしてはこれだけです。
よくは分かりませんが、故人はみんなを愛し、そして愛されていたのでしょう。
ただ、本当にこの話は共感できません。
うまく書けませんが、非常にイラダチを感じます。
やっぱり、私はどこか心が貧しいのかなあ。
とりあえず、何が気に食わないのか、書くだけ書いてみます。
恐らくは、故人がみんなに与えていたことを崇高にとらえ過ぎているところかなと思います。
たしかに、詳細には書いていませんが、集まった人達が語る故人には優しさを感じるものがあります。
でも、その優しさは、故人の単なるわがままにしか思えません。したいからしただけ。
故人の弱さをとても感じます。自身に救いを求めて、出会った人に優しさを与えただけなんじゃないでしょうか。受け止めてくれるような人を知らずうちに選んで。
何かを与えれば、それだけ相手にも背負わすものがあるのに、それを数多くの人にしてきた。そんなことは大切な人1人にすればいいことです。自分の思いを背負ってくれる人を何人にも分散するのはわがままだし、卑怯ってものです。
しかも、愛人においては、男女関係なので、愛という形でそれが隠れやすいことが利用されているように思います。
そして、与えられた側の人達が、みんな善意でしかそれを見ていない。
少し違った観方をすれば、故人の非難轟々の通夜になってもおかしくないはずです。
それがこんな感じで故人を綺麗に偲ぶところに、無理やり善意で物事を見て、それで悪いところを打ち消そうとしているようにしか見れませんでした。
この人達も弱いなと感じます。
結局、誰一人、本音で話していないような感じがして、偽りだなあと思ったのかな。
まあ、色々と考えさせてくれるということは、それだけ作品から何かが発せられているということでしょうから、いい作品なのでしょう。
話自体の好き嫌いは個人にゆだねられるところがありますからね。
今回は全く合わなかったということです。
ちなみに前々作かな、会えないで帰った夜という作品はすごく共感できたのですがね・・・
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