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2011年2月 5日 (土)

親の顔が見たい【劇団吹田市民劇場おむすび座】110205

2011年02月05日 吹田市文化会館メイシアター小ホール

立派なホールでした。

劇団ひこひこなどで客演されている前田夏季さんを何度か拝見しており、所属劇団公演も観てみようかなと観劇。

ずいぶんと歴史ある劇団のようで、今回の作品はいじめをテーマにした真剣なお話でした。

舞台は私立名門学校の進路指導室。

学年主任の案内で5組の親がぞろぞろと集まります。

校長がやってきて、集められた事情を説明。

本日の朝、生徒の一人が自殺。遺書が夕方、担任の下に届きます。
そこにはいじめで苦しんでいたこと、そして担任への感謝が書かれていました。
そして、最後に5人の生徒の名前。

その親たちが集められているわけです。
生徒たちも別室で聴取を受けているようですが、いじめは決して認めません。

親と学校の話し合いが始まりますが、親たちは子供を信じて疑いません。
子供を守る最後の砦が自分達であるという大義名分の下、いじめはなかったような話に何とかもっていこうとしたり、事件自体をもみ消すような行動に出たりします。

挙句の果てには、死んだ生徒の家庭環境が悪いことにしようとします。

そんな中、生徒が学校に内緒でバイトをしていた新聞配達屋の店長がやってきて、すべてを暴露します。
いじめ、お金の巻き上げ、内緒のバイトの口止めとしての強制的な援助交際・・・

そして、死んだ生徒の母親も。

それでも、一部の親はまだ認めようとしませんが、ある親がいじめを知っていたような発言をし始めます。
子供は反省しており、後悔もしている。いじめないことで仲間外れにされたくなかった。
親も、いじめのことは黙ってその場をしのぐように子供にアドバイスしていたりもしていたようです。

その発言を皮切りに、他の親も発言し始めますが、似たようなものでした。
全員、間違った子供の守り方をしている。

もう逃げ場が無くなって始めて、子供と向き合おうとする親たち。
別室で各々待機している子供たちの下へ向かいます。

話はここで終わり。
この後、どうなるの知りませんが、現実的には結局、親に守られておしまいといった感じなのではないでしょうか。
子供と向き合って、今回の責任を一生背負って生きていくなんてことは、実は無いような気がします。
不安だけが残るきつい終わり方でした。

個人的な好みはありますが、演劇がフィクションである以上、もう少し希望をもった終わり方を私は望みますが。

話の途中で、子供たちの担任の女教師が親に言われて、生徒の様子を何回か見に行きます。
どうしてたかという親の質問に、感情の無い顔で普通でしたと答えます。
最初はそれで少し笑いがありましたが、これが繰り返されると恐くなります。
この悪意の無さこそが、いじめの恐ろしい問題のような気がします。
本当の悪意を持って悪いことをする。それは本当の悪人であって、ほとんどの場合、悪意はそれほど無い。でも、していることは悪そのもの。そのあたりがいじめには限りませんが、悪いことをする人間の怖さなのではないでしょうか。

ところで自分のことですが、私は比較的おとなしい生徒でしたので、どちらかというといじめられる側になりそうだと自分では思っているのですが、そんな経験は一度もありませんでした。
でも、いじめた経験があります。今となっては本当に恥ずかしい行動です。
自殺することはありませんでしたが、登校拒否ぐらいまで追い込んだことがあります。
同じように親が呼び出されて集められました。私たち子供は先に帰宅させられましたが。

親が帰宅後の言動は今でも覚えています。
母親はこの作品に出てくる親そのものだったと思います。少なくとも積極的に加わっていない、あくまで中立的な立場にいたぐらいは本当に信じていました。事実は完全に積極的な加わり方をしていましたが。
それに対して嫌悪感はありましたが、ある種の安心感を感じたのも事実です。
父親はひどく軽蔑のまなざしで私を見ただけでした。その時の嫌な目もよく覚えています。父にはこの時、嫌悪感しか抱きませんでした。恐らくは父の方も。

これは私見です。
必ずしも両親がいるわけではありませんので、差別的な考えが入り込んでいると思います。
自分の少ない経験からだけで書いています。

この話のように最後の砦になるのは母親だけじゃないかと思います。
父親はどこかで客観的な視点で子供を見てくるような気がします。
この作品にもいますが、片親の場合にそのバランスが崩れるので、子供はより苦しい思いを強いられるか、それほど悪くないんだという誤った考えで納得してしまうように感じます。

この作品の5組の親も実はそれぞれかなりキャラクターが異なります。
かわいがっているだけの両親、厳しい父親にそれに服従する母親、母親だけ、両親に捨てられ祖父母が面倒を見ている、家庭の事情で以前ほど子供を見てあげられないなどなど。
どれが正解なんかは当然ありませんが、この話の結末以後の進み方は恐らく全く異なるはずです。

社会が家族だけで形成されているわけではありませんから、様々な環境で出会った人たちの影響も大きいでしょう。
そんな人たちの出会いも大切にして、自分自身も大切ですが、他人を苦しませることに哀しみを感じられるような人間にならなくてはと漠然ですが感じた次第です。

率直な感想は後味が悪いから、あんまりこういう作品は好きじゃない。
でも、たまにはこういう機会に自分や家族、周囲の人たちのことと向かい合うことも大事なことなのでしょう。

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コメント

お忙しいところ、観劇ありがとうございました。
いろんな劇団のおかげで、なんとか開演できました。
前田ともども、よろしくお願いします。

投稿: おむすび座 豊川 克幸 | 2011年2月16日 (水) 15時47分

>豊川克幸さん

コメントありがとうございます。
座長さんからのコメント、大変恐縮です。

きつい作品でしたが、色々と考えさせられました。
楽しいのもいいですが、まあたまには真剣に作品のメッセージを考えるのもいいかなと思っています。
いい劇場でしたし、また観劇させていただくつもりです。
ご活躍ください。

ありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2011年2月16日 (水) 19時28分

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