キョム!【悪い芝居】101223
2010年12月23日 精華小劇場
この劇団も必ず公演をすれば観劇に足を運ぶところ。
ハチャメチャながらも、風刺的な鋭い話を楽しませてくれる。
今回の作品はこれまでと変わったもの。
当日パンフレットの中にも記載されているように、劇団自らのことが書かれている。
(以下、感想も含めてネタバレ注意。関西では今週末まで、年明けからは東京で公演があります)
最近、抜けてしまった劇団員の方や演劇への思いを詰め込んだ作品なのだろう。
感想を述べる。
観ていて嫌な気分になった。
劇団の演劇への思いよりも、それと異なる道へと進んだ人達を表面上肯定しながらも、奥深くでは否定しているような自己正当化が見え隠れしているからだと思う。
少なくとも一般客に見せるべき公演ではないと感じる。
そんな強制させるような気はないのだろうが、結局、演劇への思いの同調を求めてしまっている。
それはこちらであなた方が作られた本当の作品を観て判断しますよ。
話は路上生活者の松本さんという人が殺害され、その容疑者を見つけ出すという設定で進む。
刑事の捜査が入り、路上生活者仲間や出入りしていた風俗嬢、高校生が容疑者となる。
前半は、この容疑者達のアリバイを証明するために、各々が回想シーンを演じる。
全員にアリバイがあり、しかもそれぞれの人が話す松本という自分像が異なり、捜査は難航する。
それもそのはず、全員が演技している。
しかも、この時点で実は松本さんは生きている。
現場は激しく混乱する。
話を後半へ進めるために、役者が事情を客に説明する。
今までの話は松本さんが死んだ後に起こる出来事。
まだ、松本さんは生きている。これからみんなで殺す。
なぜこんなことになったのかを説明して、話を終え、最後に殺す。
話が続く。
簡潔に述べると、路上生活者という社会的偏見のために絶望に追いやられ、家族を含め全てを失った松本さんに出来ることが殺してあげるということだ。
上述した容疑者達が賛同して、殺す時が迫る。もちろん、殺される松本さんも納得しており、それを望んでいる。
ここで殺して、話は終了。前半に戻るという訳だ。全事情を知る客は、この話に関して思ったことを何でも世間に訴えて欲しいと役者が分から望まれている。
ところが、そうはならない。
いざ殺す時になって、是非を問いだす者があらわれる。
松本さんがしたいこと? 容疑者のリーダーがしたいこと? 偏見を生みだす社会への正しい反発?・・・
1人抜け、2人抜け・・・
残った数人。舞台は暗転し、抜けていった者への価値観を認めながらも、殺しを実行する。
前半はともかく、後半はほぼ心理描写になるので伝わりにくいでしょう。
要は後半の細々したところが、今のこの劇団の心情を表しているのでしょう。
このあたりの表現の仕方に多分嫌悪感をもったのだと思う。
価値観の共有を前提にしているが、結局は異なる価値観の排除や自分達の価値観の肯定・正当化になっている。
きっと、そんなつもりは毛頭ないし、表現したかったのはもっと大きいものだという考えでしょう。
でも、そうは伝わらない。少なくとも私には。
自らの心を表現し、相手に伝えるのは難しい。
表現することを生業にするプロでこれだもの。
素人がそんなことしたら、さらにおかしく伝わって意図しない方向へ向かうかもしれない。それだったら表現しないで心に留めておくのも一つの表現として許されるのかもしれない。
・・・なんて、ちょっと自分に照らして考えてみる。答えはでないが。
最後、カーテンコール。きちんと拍手して、役者さん方をもう一度舞台に呼びだしました。
今回の作品、多分劇団が求めるものとは違った感じで私はとらえているでしょう。でも、懸命に真剣に何かの思いを伝えたかったということだけは、きちんと心に残っています。
次回はお得意の奇をてらった楽しい作品を期待しています。
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