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2010年8月26日 (木)

<父 死去 その1>ALS(筋萎縮性側索硬化症)

2010年08月24日 20:30でした。

一応確定診断された2008年5月から約2年。歩行がおかしくなる初期症状が出始めた頃から考えると3年。ALSの平均寿命とほぼぴったりというところでしょう。

死因は誤嚥性肺炎。筋肉が劣化し、誤嚥頻度が高くなっていましたが、ある日突然でした。感染による熱と血圧低下。1週間の延命措置の末、ついに心臓が力尽きたように停止したようです。

長い長い闘病生活でした。日に日に動かなくなってしまう体を嘆きながら、最後まで良く耐えたと思います。死に目には立ち会えませんでしたが、全く苦しむことなく、す~っと逝ったそうです。

08月24日

この日は、朝、病室によって容態を確認してから会社へ。
大きな変化なし、血圧は80,40ぐらい。これもドーパミン持続点滴をしているから何とか保っている。
IVH栄養点滴は量を減らす。手足のむくみがひどい。尿はほとんど出ていない。
意識はもちろん無い。

もう危ないと言われて呼び出されたのが18日。今日で1週間。
母はほとんど24時間体制で付きっきり。体も精神も弱い母だが、さすがは女だ。最後の最後で肝っ玉は据わっている。
私は、もう寝れなくて終始眠い。朝起きた瞬間に眠いなあと思う。普段絶対しないような、電車を乗り過ごしたりするミスもよくやってしまい、正常な状態ではないみたい。

きちっとした性格だった父。多分1週間でケリをつけるのではないかというのが家族の見解。Xデイは明日の水曜日。なぜか暗黙の了解でみんなそう覚悟する。

大阪の方の会社、細胞培養センターに行く。資料を取りに来ただけ。恐らく今週中に決着はつくと思うことを伝えて後を任す。
神戸のクリニックに向かう。理事長と色々と相談しておかないといけないことがたまっている。

理事長が気を使ってくれて、早めに打ち合わせ開始。19:00ぐらいに終了。とりあえず、仕事の方向性は決まり、少し安心する。それでも、新たに色々と問題も。とりあえず、今はそれは考えないようにする。
その後、父の状況を話したりして19:30ぐらいにクリニックを後にする。

三宮から病院によって、実家へ戻る予定だ。
20:00前に母から電話。電車の中。緊急事態だと思うので電話に出る。
もうやばいみたい。向かっていることを伝える。電話の向こうで鳴り響くアラーム音が耳に残る。
10分後、また母から電話。電車だからそんなに早く着かない。分かっているけど、焦っているのだろう。
もう、間に合わないから気にしないでと伝える。

この時点で、多分死に目には会えないなと思った。今から思えば、会議が終わってすぐ帰っていればということになるが、結果論に過ぎない。
それに、何となくだが、私だけ死に目に会えないのではないだろうかという気がしていた。父との最後の会話はもう済ませてある。別に死ぬ瞬間を見る必要性は無い。
ただ、ちょうど妹も病室から離れていたみたい。今、急いで戻っているところらしい。
妹は何とか間に合わせてあげて欲しい。
溺愛していた最愛の娘。意識が無くても会いたいだろう。こんな目に合って、きちんと我慢したんだ。最後にそれぐらいはかなえてくれと神にずっと祈る。

20:45着。
病室に入る。
人が死んだら空気ですぐ分かりますね。
残念ながら15分間に合わず。ただ、息をしてないというだけで、いつもの父の姿。
妹は20:25に到着して間に合ったらしい。その後、すぐ息を引き取ったとのこと。父も最後まで妹を待っていたのだろう。願い通じる。神様ありがとう。

さて、ここからが私の仕事。悲しくないと言えば嘘になるが、少なくとも泣いたりしないように、エレベーターで何度も自分の頬を叩いて気合いを入れてある。
やらなくてはいけないことがたくさんある。
とりあえず、葬儀社の手配、病室の退室だ。

葬儀社は生前に母と妹が家族葬をお願いしたいと相談して、段取りをだいたい決めているところがある。そこに電話。担当者が夜なのでいなくて、違う人が電話に出る。
話があまり通じておらず、葬儀ホールの手配の話をしてきたりする。私の住所まで聞いてきたので、今、それがどう必要あるのかとどなる。今して欲しいことは、病室から実家まで遺体を運ぶこと。それだけに何を手間取らないといけない。
結局、すぐに伺いますという返事。ご安心くださいと言われた。この対応で、安心できるか!
でも、人間は同時に違う感情を持つのは難しい。怒りで悲しみが消える。計算でしたことなら、あまりにも見事過ぎるプロの技だ。

病室内ではエンジェルケアとかいうのか、最後のケアをしてもらっている。
本当に全く苦しんだ顔をしていない。3年の闘病の最後がこの顔ならば、それでいい。全てが終わったと思える。

母と妹を先に実家に帰らせる。葬儀社が来るまでの10分ほど、病室で父と二人っきり。
不思議なくらい悲しみが沸いてこない。
もう、どこかで覚悟してたんだな。死に顔見た瞬間こそ、悲しくなったけど、後はもうそれほどじゃないもの。

迎えが来て、車に載せる。実家へ。お世話になった病院ともお別れだ。病室の荷物は便宜を図ってもらって、明日片づける。

応接間に運ぶ。今から33年ほど前。ここに引っ越してきた時に、最初に入った部屋だ。今でも覚えている。綺麗なシャンデリアみたいな部屋灯に洋酒が並んだショーケース、ピアノがあった。今はすっかり変わってしまった。シャンデリアは簡単な灯りに変わっているし、かっこよくピアノを弾ける子供たちにしたかったのだろうが、願いかなわず。ピアノも先日売り飛ばしてしまった。今頃は発展途上国のどこかで使われているはずだ。
ショーケースだけは残っている。幾つかの洋酒はまだ残っている。形から入る人だった。飲みもしないくせに、色々と揃えている。その半分には、役所関係の書類が並んでいる。

葬儀社と今後の打ち合わせ。と言っても、火葬の日取りを決めるだけ。あさって、26日。
明日、25日はずっと遺体を安置したままだ。最後のお別れということだ。

ペットの犬は、何となくおかしな状況であることを察しているみたい。もう1年7ヶ月ぶりに再会した父のことは忘れているみたいだ。散歩に朝晩連れて行ってもらってただろうが。

ようやく終わったという安堵の気持ちの方が大きい。火葬して姿が無くなれば、さらに悲しみは湧いてくるのだろうが、それでも、もう、十分だ。こんなおかしな病気とは、もうこれでおさらばしたい。

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