« <父 死去 その2>ALS(筋萎縮性側索硬化症) | トップページ | 城見<京橋>-1 »

2010年8月26日 (木)

<父 死去 その3>ALS(筋萎縮性側索硬化症)

火葬。無事にお骨になりました。

ALSの記事はこれで最後。

今、なお苦しむ患者さんやその家族。宣告されて、目の前が真っ暗になってしまっているご本人とその家族。
全て、私たちも経験してきたことだ。

色々と自己満足の記事を書いてきたが、最後に記しておきたい。

つらくどうしようもない、最悪の状況だと思うことが何度もあると思います。でも、厳しいけれど、実は今その時が最良の状況。進行性の難病である以上、究極の最悪の状況である死まで、着々と事態は悪化する。
そのことを常に理解しておいて欲しい。
だから、あきらめろという訳ではない。
その時できる最善を尽くしてあげて欲しい。
歩ける間は、少しでも色々なところに行ってあげて欲しい。車いすでも別に構わない。行けるところはあるはずだ。
食事が口から出来る間は、その口から出来る限りおいしい物を食べさせてあげて欲しい。
しゃべれる間は、色々なことをお話ししてあげて欲しい。思い出話でもいいし、これから訪れる会話というコミュニケーションが取れなくなった時の決めごとも話しておけばいい。
やれる治療は医師と相談して、少しチャレンジ気味の治療でも積極的にして構わないと思う。このブログで紹介した抗酸化剤は比較的やりやすい治療だ。効果のほどはどうか分からないが、私はやって損は無かったと思っている。もっと早い段階でやってあげていれば良かったというのが唯一の後悔だ。

遅かれ早かれ、この病気は多分、死という形でしか決着がつかない病気だと思う。
恨みごとは一杯あるとはいえ、それならばそれで仕方がない。
その死までに何が出来るかが、全てだ。

同じ病気に苦しむ患者とその家族に、1日に本当に少しでもいいので安楽の時間が訪れますように。
願わくば、奇跡が起こってALSという病気が治癒することを切に祈って。

08月26日

昨晩はいつも以上に寝れなかった。夜中に父の遺体を見に行こうかと思ったが、母と妹が最後の夜を一緒に過ごしているので、タバコを吸いながら思いにふける。

10:00にお迎えの車。父は先に葬儀社へ向かう。
私たちは12:00頃に葬儀社へ。

出棺は13:40。
早目に着いてしまうのは、うちの家族のみんなの性格だ。もちろん、父も。
あまりにも時間が余っているので、近くの喫茶店に。

13:30。最後のお別れ。
棺に納まる姿というのは、何か異様だ。もうこれで、この世から姿が消えるんだね。

予定通り、出棺。火葬場へ。
到着したらすぐに運搬車ロボットみたいなものが待ち構えていた。
それに棺を載せる。
後は自動で火葬場の決められた部屋に向かう。

8部屋あるが、どこも予約済み。
まあ、当然だがうちだけでは無い。たくさん、1日に死ぬんだなあ。

14:00に火葬開始。終了は16:10。
それまでの時間、ホールの喫茶店で時間をつぶす。

途中、外を少しブラブラ。暑い。国道の車はビュンビュン走っている。
平日のお昼。会社では仕事まっさかりだろう。私は人が焼かれるのを待つ。色々な時間が流れているんだなあとくだらないことを考えながら少し歩く。

予定より10分ほど遅れて集骨。
運搬車ロボットが集骨室へ父を載せてやってくる。

初めて見た。人って焼くとこうなるんだ。本当に骨ですね。
本当に、この世から姿を消してしまった。
通常どんな感じなのかは知りませんが、立派なものでした。まあ、運動神経だけがおかしくなってしまう病気だから。他は何も悪いところはないですからね。

のど仏を拾う。小さな骨壷に。
続いて、大きな骨壷に足元から順番に頭の骨へ。
最後に骨になった姿を見た時は、泣いてしまうかもしれないと、最悪、ペンで太ももを突き刺して泣かないようにしようとスタンバイしていたのですが、そんな必要は全くありませんでした。一応、消毒のためにアルコール綿も準備しておいたんですけどね。
不謹慎ながら、興味の方が先にきてしまいました。
これがどこどこの骨だとか、大腿骨でかいなとか、これ関節部分だとか。

10分ほどで集骨は終了。
葬儀社の方々ともこれでお別れ。実家に戻ります。

お骨の置く場所はもう決まっています。とりあえずは、ずっと実家に置いておく予定。そして、母が死んだ時に、高野山で永代供養を申し込んでいるので、一緒に納骨する予定です。

これで全て終了。闘病3年弱といったところでしょう。
今の病院に入院してからは1年7ヶ月。その間1日も休まずに、通って介護をした母と妹。
遺体の肌のつやなどは、他のどんな患者さんより綺麗でした。
病気自体は最高に不幸せでしょうが、こうして最後に面倒見てくれる人がいることは幸せに感じて死んだことでしょう。

さて、私もそろそろ悲しもうかな。
無理に悲しむ必要は無いので、思い出さないようにすれば全然大丈夫なんですがね。
小学生時代に出張のたびにお土産で買ってきてくれたロボコンの超合金のことを思い出すのが一番やばいかな。甘やかされて育ったからなあ。欲しいものは普通の範囲内ではだいたい買ってもらっていたような気がする。
まあ、ゆっくり思い出しながら、私は私なりの父とのお別れをします。

神様にはALSを治せとまではもう言いません。神様と言っても、いうほど力持ってないみたいですもの。あまりにも望みが高すぎるような気がします。
だから、せめてALS患者が最後に誇りある死を迎えられますようにと願います。
その瞬間まで、大切な時間を少しでも多くの楽しみで埋め尽くされますように。

|

« <父 死去 その2>ALS(筋萎縮性側索硬化症) | トップページ | 城見<京橋>-1 »

ALS(筋萎縮性側索硬化症)」カテゴリの記事

コメント

お父様のご冥福をお祈りします

投稿: まこと | 2010年8月27日 (金) 12時39分

>まことさん
ありがとう。
こんな病気にならなかったら、和に連れて行って、会わせたかったよ。
きっと心配しただろうなあ(゚▽゚*)

投稿: SAISEI | 2010年8月28日 (土) 10時43分

謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿: 泥谷 | 2010年8月28日 (土) 15時00分

お父様お亡くなりになられたのですね。
心よりご冥福をお祈り致します。
お父様。最後は苦しまずに逝かれたのですね。
それだけでも良かったです。
サイセイのブログは、他人事ではなかったので、色々勉強になりました。
ありがとうございました。

投稿: みずもん | 2010年8月29日 (日) 12時43分

大変お久しぶりです。

私も初盆を迎えたりバタバタしていて、なかなかSAISEIさんのブログにお邪魔できなくて…。

お父様、御愁傷様でした。心からご冥福をお祈りいたします。

最後まで誇り高いお父様の生きざま…母を見るようです。私の母も最後10日間入院し、誰にも迷惑を掛けずに旅立ちました。

本当にALSは、死を嘆き悲しむだけではなく、楽になったんだなぁ〜と思えてしまうつらい病気です。

生きる道があるけれど、その選択もまたつらく厳しいものです。

旅立ちのお顔が穏やかだったところも、私の母と同じです。

お葬式が終わると疲れが出やすいので、ご自愛ください。
まだまだ暑いですから。

これからも、ブログを見させていただきます。

投稿: ウラン | 2010年8月29日 (日) 17時14分

>泥谷さん
ありがとうございます。
演劇ファンにとって、やはり役者さんからのコメントは嬉しい限りです。
本当は、作品感想記事に書いてもらわないといけないのに。
何か変なことに巻き込んでしまった感じになって、本当に申し訳ないです。
まあ、これで次回公演の頃には落ち着いて、作品を拝見できると思います。
また、舞台で拝見できることを楽しみにしております。
本当にありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2010年8月29日 (日) 19時57分

>みずもんさん
コメントありがとうございます。
というわけで、遂にお迎えが来てしまいました。
悲しみよりも救われた感の方がちょっと強いのが複雑です。
悪い書き方になりますが、みずもんさんはこれから。
お母様に少しでも楽しい時を過ごせていただけることと、みずもんさん、ご家族の皆さんの苦しみが少しでも緩和されることをずっと祈っています。
くれぐれも、追い込まれないように、明るいそのキャラを存分に活かして日々お過ごしください。
本当にありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2010年8月29日 (日) 20時01分

>ウランさん
コメントありがとうございます。
ご無沙汰しております。
ウランさんから、お母様の最期のことを少しお伺いしていたので、父もきっと急変してバタバタした中、す~っと逝ってしまうんだろうなと思っていましたが、本当にある日突然でした。
ALSのことをよくご存知のウランさんですから、分かっていただけると思いますが、まあ良かったと思っています。
苦しみも無く、穏やかに逝けたことは、熊野古道や小豆島88箇所遍路などで、ALSの進行を止めてくれと祈願して、全く願いをかなえてくれなかった神の罪滅ぼしかもしれません。
火葬も終えて、一段落。さすがに母は翌日からダウンしてしまっていますが、時間が解決してくれるでしょう。
そこまでは悲しみもとりあえずどこかに置いておきます。
ウランさんも時が少し経って、逆につらい時期かもしれませんね。忘れることはできないとはいえ、楽しい時間が少しづつ取り戻せることを願っています。
本当にありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2010年8月29日 (日) 20時08分

 初めまして。偶然こちらのブログを見させていただき、初めてコメントというものをしています。8月22日に私の母も同じ病気で亡くなりました。74歳でした。呼吸困難で入院して1年7か月、呼吸器と胃ろうの状態でしたが、父が毎日2~3回顔を出しては、顔や手足を拭いたり目薬を差したりマッサージしておりました。きっと入院の数年前から少しづつ進行していたのでしょうが、認知症状もあったのでどの程度悪かったのか今となってははっきりせず、その点でもっと注意深く見てあげてたらと、今でも後悔の念が去りません。それと、その日の夕方まではいつも通りだったと父は言うのですが、夜9時半頃父のもとに病院から電話がきて、急いで行ってみたら心臓マッサージをしているところだったそうです。その急に悪化した数時間の経過については一切聞いていません。ただ母が最期に苦しい思いをしなかったのか?それだけが今でも胸の中に引っかかっています。死因は、心不全にできないということで、病名そのものになりました。
 SAISEIさんも少し落ち着いたころでしょうか?悲しみはいっぺんには来ないものなんだなと最近思います。長々と申し訳ありませんでした。お父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。

投稿: satoko | 2010年9月18日 (土) 23時26分

>satokoさん
コメントありがとうございます。

心からお悔やみ申し上げます。
お父様も大変な毎日だったことでしょう。そして、今、まさにおつらい気持ちの真っただ中にいらっしゃることを思うと心が痛みます。
少しでもお気持ちが和らぐことを切に願います。

コミュニケーションが取れなくなりますから、本当にどれくらい悪かったのか、痛くはなかったのか、何か出来ることはなかったのかなど、後悔の念はずっと残りますね。
でも、拝読する限りでは十分だったのではないでしょうか。綺麗事になるかもしれませんが、最後にご家族の方が十分に接してくれたことに関しては満足されているように感じます。

私はクリニックに勤めており、最期の話もよく聞きますが、無くなられる時は本当に急みたいです。
うちはす~っと逝ってしまったようですが、実のところは本人ではないので分かりません。
十分苦しめられた病気ですから、最期ぐらいはきっと楽に死なせてくれているはずだと信じていますが・・・

多分、satokoさんもそうでしょうが、そろそろふと悲しくなる時がありませんか。
もう親父いないんだなと思って悲しくなる時があります。
こんな時期もまた過ぎて、忘れてしまう時期やまた思い出す時期などもやってくることでしょう。
私達はまだ生きているから仕方がありません。
時折、思い出してあげれば、それでいいと思っています。

お互い、そろそろがたっとくる時期かもしれませんから、また、気合いを入れて日常生活を送りましょう。

おつらい時期に本当にありがとうございます。
同じような経験をされた方がいることは悲しいことと分かりつつも、何か安堵する気持ちもあり、心が少し穏やかになりました。

投稿: SAISEI | 2010年9月20日 (月) 18時47分

ありがとうございます。
 お返事をいただいてから何度も読み返しました。大げさに聞こえるかもしれませんが、私の知りたかったこと、迷っていたことの答えがここにあると感じました。私はきっと共感してくれる人を無意識のうちにを探していたのかもしれません。
そしていろいろと考え込んでいましたが、母が満足してくれていたと信じたい、そう思うようになりました。
 日々の自分の気持ちの移り変わりを表現することは難しいのですが、SAISEIさんに道標を示していただいた気がして、また勇気をもらった気がしてとても感謝しています。
 これから四十九日などまだまだ落ち着かない日々ですが、お身体ご自愛ください。

投稿: satoko | 2010年9月23日 (木) 21時02分

>satokoさん
少しでも気持ちが楽になったのなら、これ以上の喜びはありません。
こんな恐ろしい病気に大切な人がかかり、そして失ってしまった気持ちを理路整然と受け止めることが出来る人など多分いないと思います。
これからの色々な出来事でまた悩んだり、つらくなったり、安心したりなどすることになるのでしょう。
でも、私達は最大限の気持ちでその時できたことを行って、大切な人を見送ったということは忘れることなく誇りに思えばいいと思っています。
きっと、私の父も、satokoさんのお母様もそう思うことに異論は唱えないでしょう。

まだ気持ちの整理がつかないところもありますが、また自分の人生を歩んでいかないといけません。
ずっと思っていますが、きっと幸せな人生になることでしょう。
ALSなどという不運には、そうそう出会うとは思えません。
親族の誰かがその不運を全て引き受けてくれたので、残った者は幸運しかないと思うのです。
私は親からの最高の子供孝行に感謝しています。
まあ、それに少しは見合うぐらいの孝行をしてあげればよかったのですが・・・。

そうですね。四十九日も近づいてきますね。
まだまだすることはたくさんありそうです。
お互い、ばてないように頑張っていきましょう。

ありがとうございました。

投稿: SAISEI | 2010年9月24日 (金) 09時01分

はじめまして、Google検索でこちらのブログにたどり着きました 父74歳三年前に宣告を受けました 父もですが 自分達も悔いの無いように生きて行きたいと今は思っております 父の病状を見ておりますと 精神的ショックを受けるごとに進行しているような気が致します 私と違い 真っ直ぐな性格が災いするのかも知れません 貴殿のブログを拝見させていただいたことを感謝致します 不尽

投稿: すず | 2012年2月 8日 (水) 22時36分

>すずさん

コメントありがとうございます。

今、まさにお父様はじめ皆様にとってつらい日々が続いていることと思います。
心中お察しします。

でも、書かれているとおり、悔いのないように生きるしかありませんね。
それしかできません。
そんな病気です。
最後に触れ合う時間が普通より多くなったと無理矢理、いいように解釈しないと、あまりにも理不尽なこの病気には恨みごとしか出てきません。

わたしの父も宣告直後は、まだ新聞を読んで社会動向を把握するようにしていたり、治療もやれることは何でもやってみるようなことを言っていましたが、進行に伴い、どんどん気力を失っていきました。
しゃべれなくなる、口から食べれなくなる、ナースコールボタンも押せなくなる・・・、突きつけられる現実にショックを受け続けていたようです。
その姿は、まさにそのショックとともにどんどん病状が進行していくようでした。
と言っても、何もできません。
だから、おざなりな言葉になりますが、その時その時にできる最善を選択して生きていくしかありません。
どうか、最後の時まで、悔い無き生き方ができることを願います。

すずさん自身も大きな精神的ショックを受ける日々をお過ごしのことと思います。
精神、肉体ともにご自愛ください。

ありがとうございました。

投稿: | 2012年2月 9日 (木) 13時10分

こんばんは 丁寧な御返事誠にありがとうございます 正直な現在の気持ちを吐き出すことに 貴殿は勿論、このようなネットの力を産み出した方々にも感謝しております 不思議なもので身近な人間関係だと自己満足な気持ちばかり(自分が良く見られたい…)が専攻します お情けな言葉もかけられたくない…苦しみを簡単に受け入れてもらいたくない… 今年インフルエンザになり入院 少し元気になってそろそろ退院かなぁと思っていた矢先、元気になるからたまにはと 見舞いに行った時に 肺炎から痰が絡み…病室に入った時に五人の方々が一生懸命処置をする姿 苦しむ父を見た時には 立ち眩み そして 悔しくて悔しくて どうせならボケて本人は苦しみがわからなくなってくれたら良い!と切に思い男泣きしました、その後ICUに入り 上手く切り抜け 今は普通病室に戻る事が出来 現在は在宅に向けての位置におります
今は生きていて儲けものと思い 父には 「お金かかっているんだから元とってくれよ!」と、自分なりの考え方で接しております。乱筆お許し下さい すっきりさせていただきました。また聴いてやって下さい
不尽

投稿: すず | 2012年2月 9日 (木) 21時59分

>すずさん

また、訪ねていただきありがとうございます。
こちらこそ、おつらい時期にこうしてコメントをいただけることに感謝しております。

もう父が亡くなってから2年経ちましたが、今でもこの病気で苦しむ方のお話を伺うと当時の気持ちが甦ります。
そして、それは、ほとんどの場合、私の経験と似通っており、みんな同じ気持ちでこの病気と闘っているんだなあと改めて感じる次第です。

身近な人間にこそ、なかなか率直な気持ちを伝えられなくなるというのもよく理解できます。あまりの理不尽さがそうさせるのでしょうか。よく分かりませんが、こんなむちゃくちゃな状況を誰が理解できるかと思ってしまうのかもしれません。

本当にボケたらいいのになあ、運動神経だけじゃなくて一緒に脳もやられればさぞ楽なことだろうにと何回思ったか。
どうせ動けないので、ボケても介護は変わりませんからね。
ただ、目を見ることぐらいしかコミュニケーションとれませんでしたが、それだけでもボケてない方がいいのかと思ったり。色々と複雑です。

在宅になると、すずさん自身の負担も大きくなりますね。
私も一度在宅にしましたが、すぐに母がダウンしました。
その後は病院で最期まで過ごしています。1年強ぐらいですね。
難しいとは思いますが、ご自分のことも決しておろそかにすることなくご自愛ください。

また、何かストレス溜まることがありましたら、ここにぶちまけてください。
何が出来るわけではありませんが、当時を思い出し、同調したり、こんな感じでやり過ごしたみたいなことぐらいは幾らでもお伝えできますので。

投稿: SAISEI | 2012年2月10日 (金) 01時59分

はじめまして! ブログ読ませていただきましたsign03

お父様、空の上から貴殿のご活躍を見守られていらっしゃる事でしょうね。


私の義妹つまり主人の妹がALSです。

現在、幸運?な事に自宅から車で15分の所にある難病施設に入院しています。

義妹は41歳で24歳のときに発症しました。 今からっていうときだったため何度自殺未遂を繰り返したことか・・・

恋愛も遊ぶ事もできず初めの2年は在宅介護でした。固形物が食べれなくなりトイレも間に合わなくなったりした頃、急性胃腸炎になり救急車で現病院に入院し、15年になります。

進行状況はゆっくりで3年前に胃ろうをしました。

言葉の方は5年前から『伝の心』というソフトが入ったパソコンを補助してもらい意思を確認していますが時間は相当かかります。

進行が緩やかな分、義母の方が先に逝ってしまうのではと心配しています。

主に介護しているのは義母ですが、78歳と高齢のため最近少々認知症気味でもの忘れがひどくなり義妹のイライラ度が増すという悪循環になりだしたので今は私が週2回病院に行っています。

今回医師から呼吸困難になった時、人工呼吸器を使用するかそのままかの意思表示を本人に確認してほしいとの事で話さなければならなくなり死を待つしかない義妹にとってこの確認は必要なのかと私がおかしくなりそうで、検索していたら貴殿のブログを見つけたわけです。

自分の事ばかりでごめんなさい。
この先、特効薬はできないものなのでしょうか

投稿: はまたく | 2012年5月31日 (木) 16時26分

>はまたくさん

コメントありがとうございます。

母は昔ながらの父に付いていって生きていればいいというような人ですし、妹もしっかりせず、父がずっとそばにいて何かあっても助けてくれるというような箱入りで育っていますので、父もさぞかし無念の死だったことでしょう。
もし、空の上から見てても、母と妹が幸せに過ごしているかだけが気になってると思いますね(*^-^)

義妹様、あまりにも厳しい発症で驚きました。
ALSはあらためて本当に恐ろしい病気だと思います。
父が入院していた頃、私と同世代の男性(30歳後半ぐらいかな)が恐らくはALSで同じように入院しており、奥様と二人の幼き子供が見舞いに来ている姿を見て、大げさですが絶望ってこんなことだろうなと感じていました。
義妹様の発症から今に至るまでのおつらい時間は、言葉が見つからず、もはや何も言えません。
もう、伝の心を使われているということは、恐らく球麻痺も進んでしまい、今後、意志疎通もどんどん厳しくなる状況なのだと思います。
その中で、死を待ちながら、義母様やはまたく様含め周囲のこと、ご自分のことを考えながら日々過ごすことの心情は・・・

本当に特効薬とか、エイズのように症状を抑えながらも普通の生活が出来る方法は無いのかと思いますね。
開発されている薬もメチコバールを代表に症状を遅くするだけ、それも本当に初期症状に限られる。はやりの再生医療で神経再生が騒がれていますが、それは今の日本の薬事制度では、仮に死んでも構わないから実験台になりたいと言っても治療を受けることは実現はしないでしょう。
個人的に認可されていない治療を検討しても、現実の患者様の症状を見てしまえば、とても昔のように普通の生活を送っていた姿に戻れるとは正直思えないところが実情だと思います。

実はGW前に母が乳がん宣告されて、つい先週に全摘手術を受けました。今後は再発や転移との闘いになると思うのですが、不思議と深刻な気持ちがありません。
私が少しばかり癌の研究をしているところもあるのでしょうが、治療法を幾らでも選択出来て、最善の治療を一緒に考えながらともに闘っていけるような気がするのです。
ALSは、それが全く出来ませんでした。
何も出来ないままに、進行する症状。死んだ後も、あんなことしてあげればよかったなんて後悔することすらできません。何も無かったんですもの・・・

本当にこの悪魔のような病気に少しでも光の筋がさすことを願ってやみません。
科学の力で限界があるならば、本人含め周囲の人たちの介護等の心配が少しでも緩和される制度をもって助けて欲しいなと思います。

人工呼吸器は、安易なことはもちろん私は言えませんが、当たり前ですがご本人の意思に任せるしかありませんね。
来たる時はもう苦しみから解放されたいのか、苦しくても少しでも長く生きたいのかという選択肢だけで考えさせてあげたいものです。
介護が大変だろう、自分のために生活の時間を割かせてしまうのが悪い、お金がかかってしまうなど周囲への気遣いから判断せざるを得ないようになってしまいますが、そこを少しでも本当の気持ちを引き出してあげれればと願います。
私の父は、自ら拒否し、私もそれに賛同していましたので、人工呼吸器は選択しませんでしたが、たまに、本当はどんな形でも、見舞いに来る母や妹の姿を見れる日を一日でも長く過ごしかったのではないかと思う時があります。

はまたくさんも、病院に少し通われているとのこと。
悩みは当然尽きないでしょうが、どうか肉体・精神ともに過剰な負担となってしまわれないように、お過ごしください。
私はALSの患者を家族に持ってしまった人間なので、分かってもらえると思います。
どうかよくなりますようにとは、絶対に書けません。そんな安易な病気ではないと思うので。
こうなってしまったからには、どうか、はまたくさん含め周囲の方々が少しでも苦しまず、幸せに生きて下さい。
それしか、この病気に勝つ方法は無いように思うのです。

投稿: SAISEI | 2012年5月31日 (木) 17時46分

わたしの父も、ALSです。
今年の5月に右足に異変を感じたのが最初で、みるみるまに右足、右手が使いづらくなり、整形外科、脳神経科、内科、総合病院、大学病院といろいろ検査を受け、最終的に11月にALSの告知を受けました。
今は在宅で、本人も家族もがんばっています。
進行が早く、今は寝返りもうてず、左手は少し動くのですが、呼吸がかなり弱くなっています。
往診してくださる主治医の先生は、あと1カ月くらいかもしれませんと言っています。
これからが一番しんどいのでしょうね。不安です。

投稿: めろ~な | 2012年12月15日 (土) 19時51分

>めろ~なさん

コメントありがとうございます。

告知に至るまで色々なところに回されること、みるみる間に動かなくなること。
もう思い出したくないような現実です。

進行が早い。
正直、かなり厳しい状況なのだろうとお察しします。
快方に向かうことを祈るなんてことは、経験した私はとても書けません。
覚悟せざるを得ないのだと思います。
最後まで、出来る限り傍で少しでも接してあげて欲しいと思います。それぐらいしか、もう出来なくなるはずです。
そして、めろ~なさん自身が体力的、精神的に過大な負担がかからないような生活が出来るようにしてください。

世はiPS細胞で難病が治る日が来るなんて騒いでいますが、ALSは全然ですよね。
本当にどうにかならんのかと、いまだに思い続けています。

投稿: SAISEI | 2012年12月17日 (月) 02時03分

SAISEIさん

思い出させるようなコメントをして、すみません…(>_<)

わたしは来週から介護休業で会社を休むことにしました。
父が退院して在宅療養になってから2週間、母ひとりで面倒をみていて、4キロも体重が落ちてしまったので…。
わたしが実家に戻り、母の負担を軽くしてあげたいです。

今まであまり良い娘でもなかったけど、ここにきて親孝行ができることは良かったと思っています。

父はまだ指でコールを押す力があるし、ほんの少しだけど食事ができるし、なんとか会話もできるんです。
それなのに、呼吸筋が先に弱っていっています…。
夜も眠れないので、モルヒネを使い始めました。
あまりに厳しい現実ですが、なるべく楽しく過ごしたいと思っています。(ムリかな)

父のためにたくさん録画した映画、ドラマ、バラエティー番組…、数分ずつでもいいから、一緒に見たいと思っています。

投稿: めろ~な | 2012年12月18日 (火) 20時28分

>めろ~なさん

コメントありがとうございます。

うちも妹が介護のために会社を辞めました。
その後、父が亡くなってから、再就職先を探すも苦労してねえ・・・
今は、その経験を活かして、介護職をしていますわ。

色々な進行があるんですね。
うちも進行が早い方でしたが、呼吸筋は一番最後でした。
でも、これが一番、介護の負担がかかりますね。
痰吸引とか頻繁ですもの。

食事が出来るのと、会話が出来るのは幸い。
今の間に、少しでも意思疎通を図っておきたいものですね。

ポータブルDVDプレイヤー買ったり、昔の西部劇DVDをオークションで落としたり、紀伊国屋で朗読CDを取り寄せたり・・・
色々しました。
まあ、それなりに楽しんでいたみたいですが、日に日にそんなことも出来なくなって・・・
だから、今、お父様がしたがっていること、皆さんがしてあげたいことを、少しでも可能な限り実現して欲しいなと願います。

もう、なってしまったもの仕方ありませんから。
この病気は恐らく可逆では無く、悪くなるという一方向にしか進まないと思います。
明日には、今日よりも悪くなることを覚悟して、今日を一緒に少しでも楽しんでください。

投稿: SAISEI | 2012年12月19日 (水) 08時00分

SAISEIさん

父が他界しました。
雪がちらつくクリスマスイブの日に、
親戚一同に囲まれて、静かにいってしまいました…。

こんなに早いと思ってなくて…。
もちろん、覚悟はしてたんですけど…。
でも、まだ実感がないんです。

オムツもせず、痰吸引もせず、一番大変な介護は経験しませんでした。
おかゆを少ししか食べられなくなっても、ビールちょっぴり楽しんでいました。

このブログと出会えて、父と同じ病気の闘病の様子を知ることができて、とても助かりました。
暖かいコメントもいただいて、ありがとうございましたm(__)m

投稿: めろ~な | 2012年12月26日 (水) 06時34分

>めろ~なさん

そうでしたか・・・(ノ_-。)
おつらい中、ご連絡いただいて、ありがとうございます。

正直、複雑な想いです。
コメントをいただいた時に、これからお父様が迎えるさらなる症状の進行による絶望感、そしてそれに直面して悲しくつらい想いによる精神的負担とともに、強いられる介護等の身体的負担を頭にどうしても描いてしまっていたので。
亡くなることでしか、そこから逃れる道が無いことを重々承知しているだけに、ただ単純に悲しさだけを感じることが出来ません。

それでも、どんな状態であろうと生きていて欲しいという気持ちも、嘘偽りの無い気持ちで、今でも、身動きできずとも病院に行けばただそこにいるだけでも良かったのかもと思う時があります。
しばらくは空白の時を迎えることになると思いますが、少しでも早く、この悪魔のような病気から脱却できることを祈っております。

まあ、現実的なところは、お母様ですね。
介護で体重が既に落ちてしまわれているぐらいなので、きっとショックも大きいことでしょう。
私もそうでしたが、めろ~なさんも、子供として、しばらくはご自分の悲しみより、お母様を守ることに専念ですね。
それはきっとお父様も無念ながらも望まれて旅立たれたことだろうと思いますので。

どうかお体を大切に、この悲しみを乗り越えて、きっとお父様も願ってやまなかったであろう、ご家族の幸せな生活をまた取り戻してください。

投稿: SAISEI | 2012年12月26日 (水) 12時59分

はじめまして。みろと申します。

私の母は61歳で、ALSと確定して2年が経ちます。
最近は流動食も食べづらくなり、人工呼吸器を装着するかどうかの判断を迫られています。
母は装着しない方向で考えているようです。
死が少しずつ近づいているなと、最近ヒシヒシと感じています。

後悔のないように、母に接していきたいのですが、何をしてあげればいいのかわからず考え込んでいたところに、ネット検索で、このブログにたどり着きました。


SAISEIさんのブログを読ませていただきました。
SAISEIさんもお母様も妹様も、ご苦労が多かったことと思いますが、お父様はつらい闘病生活の中にもいくつもの幸せを日々感じていらっしゃったんだと思います。

私はと言えば、気持ちばかりが先走り、実際は生活や仕事に追われて、何もしてあげれていません。

でも、SAISEIさんが書かれていたように、

食事ができる間に美味しいものを。
歩ける間に外へ出かけ、話せる間にたくさん話す。

今できる最善のことをしていこうと思いました。
SAISEIさん、気づかせていただき、ありがとうございます。
心より感謝いたします。

このブログを通して、ALSという難病に苦しんでいる方々がこんなに多くいらっしゃるという現実に胸が締め付けられる思いです。
でもこうして頑張っておられる方々がいらっしゃるということに勇気をいただきました。

ありがとうございました。

投稿: みろ | 2013年4月29日 (月) 00時35分

>みろさん

コメントありがとうございます。

歩ける時はどこかへ一緒に行く。
食べれる時は一緒に食べる。
話せる時は一緒にお喋りする。

動けなくなった時は。
口からもう食べれなくなった時は。
喋れなくなった時は。
眼球しかもう動かなくなった時は。
・・・
確かに何も出来ないのですが、それでも何かをして一緒の時を過ごす。
それしか無い病気ですね。
こうなってしまった以上、家族が最期の時まで一緒にいたという誇りを感じて、旅立ってもらうしかありませんから。
私たちが何かをしてあげたい、そして何かをする行動に移そうとする。その時にはもう病気が進行していて、それをしてあげられない。
そんな後悔の繰り返しでした。
恐ろしい病気です。
でも、今でも思うのは、ただ一つだけ、母や妹がずっとそばにいてあげられたこと。
これだけは病気に負けず出来たことではないかと思っています。
そして、それは父にとって、人生最後の幸せの時でもあったのだと信じています。

お母様の状況を拝読する限りでは、正直、これから厳しい日々が待ち受けているように感じます。
どうか、そばにいてあげて、こんなことになってもお母様には家族という素晴らしいものを得た人生だったと思っていただいて最期の時を迎えて欲しいと願います。

このブログの記事には、もう数年たった今でも多くの方からコメントをいだいており、まだ苦しむ人がいるのかと心が痛みます。
経験した人間からすると、もう、この病気が治るなんてことはあり得ないと思っています。
だからこそ、死を見つめた上で、最善の時間を過ごして欲しいと切に願います。

本当、どこに怒りをぶつければいいのか分からない、悪魔の病気ですね。
それでも、負けずに皆さん、自分で出来ることを悩みながらやろうとしているみたいです。
コメントをいただくたびに、あの頃を思い出しながら、悔しい気持ちが甦るとともに、必死に頑張られている皆さんの姿を心から応援するというか、心穏やかな日々を過ごされて欲しいと祈っています。

自分は幸せになりましょうね。
私は父が全ての不幸を運悪く、背負ってくれたのだと思っています。
残された者はきっと幸福な時が待っているはず。
だから、亡くなった時も父に感謝しました。
親の愛情を受け取る。これはきっと最大の親孝行になると思うのです。

投稿: SAISEI | 2013年4月29日 (月) 09時45分

SEISAIさんご無沙汰しております(-.-)
初盆もすみ、まだまだふいに涙が出て、声出して泣きたくて、けど中々泣けなくて、くやしくて、お父さんが亡くなった事現実として受け止めて無かったりでm(__)m
しんどいですね~。
救急車の音聞くと怖いし、救命救急のテレビやってると、ダメでm(__)m
親って凄い存在ですね。
私たちの親はあんな病気になってまで、凄く頑張りましたね。自慢の父ですね!

投稿: りえ | 2013年9月11日 (水) 22時02分

>りえさん

ご無沙汰しております。

ちょうど6か月ぐらいですかね。
まだ、心の整理がつかないことでしょう。
私の母も、まだ病院に行けば、父がいるような気がすると言い出したりしていた頃かな。
実家から最寄りの駅まで歩いて20分ぐらいなのですが、その途中にある病院に入院していました。妹は、未だにその前を通る時に、病院から目を背けて歩いているみたいです。

私なんぞは、冷めちゃってるのか、特に何とも無く、日々を過ごしていますが、お盆になるとやはりあの頃を、父のことを少し思い出します。
よくやったなと思います。
父も、家族も。
りえさんの場合は、30年もの闘病だったから、そんな気持ちもひとしおでしょう。
良く頑張った。そう自分の親のことを思えることが、まだこの悪魔の病気の救いですかね。

あの恐ろしい病気と長年付き合ったのです。
そんな簡単に割り切って、元の生活を過ごせるとは思えません。
でも、少しずつ、新しい人生を取り戻していければいいなと思います。

投稿: SAISEI | 2013年9月12日 (木) 11時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549536/49254823

この記事へのトラックバック一覧です: <父 死去 その3>ALS(筋萎縮性側索硬化症):

« <父 死去 その2>ALS(筋萎縮性側索硬化症) | トップページ | 城見<京橋>-1 »