熊野古道小辺路の旅 その10-1
第3日目(2008年5月29日)
天気がだいぶ崩れてきました。というか、大雨です。これから2日間ずっと標高1000mあたりを歩くことになっているのに。しかも今日は一番高い伯母子峠越えです。
川も濁流になってきてます。中止も考え、迎えに来てくれたバスの運転手に聞いて見ると、大丈夫じゃないという軽い返事。このあたりは豪雨によく合うのであまり気にしないみたいです。確かに昨日見た腰抜田も水没して無くなっているわけですしね。決行することにしました。
侍平屋敷跡。
水ヶ元茶屋跡。
上西家跡。距離は8km。このあたりまで、昭和初期には集落があったみたいです。上西家も旅籠を営んでいたらしいです。牛二頭を飼い、畑でジャガイモやかぼちゃを作っていたそうです。高野から十津川に荷物を送る重要なルートだったということです。
何ですかね、この木は。水平に枝が見事に伸びていますが。
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コメント
バスの運転手さん軽いですね(笑)
山は天候が変わりやすいって
ホントなんですね~w(゚o゚)w
山小屋きたなっ!!!!(゚ロ゚屮)屮
確かに、藤岡弘、ぐらいじゃないと
泊まれないですね(´,_ゝ`)プッ
投稿: mio | 2010年2月 8日 (月) 10時04分
散策決行したのですね
それにしても山小屋含め日本を代表する遺産を本気で守るつもり無いのかなぁ 「ほかっておいても観光客は来る」って感じがしないでもないですね なかなか隅々まで手が届かないでしょうけど(>_<)
投稿: 魔呼斗 | 2010年2月 8日 (月) 13時15分
>mioさん
泊まってたら、いいネタになったんだけどね。
日程上、本当に夜にここに到着する予定も考えたので。
泊まるのはつらいし、山下りるのは恐いしで大変だったろうな。
>魔呼斗さん
熊野古道は歩いていて本当にうまくいっていない気がしましたよ。そもそも観光地にする気もないのに、何か勝手に世界遺産を進めた人がいるような雰囲気です。
投稿: SAISEI | 2010年2月 8日 (月) 14時01分
国も税金もっと使って人を雇って整備すれば集客力アップ出来そう でも人が集まるとゴミが増えるという逆効果もありますね(:_;)
投稿: 魔呼斗 | 2010年2月 8日 (月) 15時50分
標高1000mで思い出しましたが元カノと以前長野県の民宿をある居酒屋の大将に紹介してもらったので行く途中の山道で看板が標高1000m…目的地に着くか不安とやけくそで二人で叫んだ事ありました
ちなみにその民宿はおばあさんが経営しててIn Outはお客さんの好きな時間でと…食事はと言ったら9品ぐらいのおかずと信州蕎麦 当然ご飯もありで鍋が3~4人前ぐらい とどめは五平餅 二人でそんなには食べれましぇ~ん(ーー;)
投稿: 魔呼斗 | 2010年2月 8日 (月) 20時08分
>魔呼斗さん
あのあたりでは人も集まりにくいんでしょうね。閉鎖的な感覚を持つ人も多いような感じがします。
長野の民宿、いいじゃないでですか。食料確保は山歩きで重要ですからね。
しかし、元カノさんもよくついてきましたねw(゚o゚)w
投稿: SAISEI | 2010年2月 8日 (月) 20時18分
今も部落文化あるところがありますからね ホントに村八分になるそうです
ってかそりゃ元カノとは当時はラブラブでしたし元カノの子供の事も考えてそれこそ3年前には結婚まで真剣に考えてましたから 子供の戸籍も考えて市役所にも相談に行ってた時期でした
昨日今日と過去のブログも楽しみながら閲覧してましたよ
投稿: 魔呼斗 | 2010年2月 8日 (月) 22時11分
>魔呼斗さん
携帯から見てくれてるんでしょ。
大変だったでしょう。ありがたいことです。
そんな時期もあった人が、今や若い子に迫られる毎日ですか。ちょっと腹立つなあ(`ε´)
また、ブログネタ作りに遊びに行きますね。
次は何が出てくるのかなあ。楽しみです。ハードル上げておきます。
投稿: SAISEI | 2010年2月 9日 (火) 00時19分